好きって言わないよ



「お疲れさん。気をつけて帰れよ」
「ありがとうございましたー」


 全体練習の後、いずれセンターを務めるであろう2年生に練習をつけていた花形は、体育館の戸締りを確認した後、部室に戻った。
 藤真は何か片付けがあるからと先に戻っていたが、この時間ならまだ部室にいるはずだ。

 まだ居るかもしれないと思うと足早になっていく。
 疲れていても藤真の事を考えてしまう。
 自然に、いつだって藤真を思っている。

 何てバカな事を、と何度自分に言い聞かせても、結局は藤真を想ってしまう気持ちを諦めて受け入れたのは、あれはいつの事だったろう。
 初めて藤真に会った時、初めて言葉を交わした時には、もう心は捉われていたのだ。
 一目惚れなんて言葉、一生縁がないと思っていた。普段からもっと考えて行動していたし、心もそうすると思っていた。けれど、実際は違った。
 理屈では説明できない感情が自分の中にもあるんだと、藤真と出会った事で思い知らされたのだ。




 部室のドアを開けながら「藤真…」と声をかけようとして、しかし、その言葉を慌てて飲み込んだ。
 机に突っ伏して眠っている藤真を見つけたからだ。

 ――― やれやれ…

 少し苦笑しながら、起こしてしまわないようにそっと藤真の後ろまで歩いてみると、まだ、着替えてもしておらず、練習着のまま眠っていた。
 いくら暑くなって来ているとはいえ、この時間にこんな格好で寝ていては風邪をひいてしまう。仕方なく、自分のジャージを肩からかけてやった。
 そうして、藤真に覆い被さるような姿勢でその手元を覗き込むと、来週から使う練習メニューが書き込まれてあった。

――― …………



 それを見ているだけで、やりきれないき気持ちになってしまう。
 藤真自身の望むと望まぬとに関わらず、結局は、すべてを背負い込むしかなかった。それ以外の方法を、学校側も手は尽くしてくれたはずでも。

 一選手として専念したかったであろう本音を自身の中にしまい込んで、前に進むしかなくて。
 助けを求める事も、弱音を吐く事も、責任感もプライドも高い藤真が言うはずもなくて。

 だから、せめて自分は藤真の負担にならないように、藤真のために側にいようと思う。どこまで役に立っているか分からなくても、例え、それがほんのささやかな事であってもだ。


 ――― 藤真、あんまり一人で抱え込むなよな…




 声に出せない言葉をかけながら、藤真の髪にそっとキスをしようとして―――。

「んん…ん… 」

――― 気がついたか?

 危ないっ、と思ったが遅かった。
 目を覚ました藤真は、突然頭を上げた。上げたところに顔があったものだから、ものの見事に藤真の頭が顎にヒットしてしまった。
 同時にうずくまってしまった二人だった。


「ってぇ〜〜〜〜〜。 花形ぁ、お前、なんでそんなとこに顔をもってきてるんだよ?あたってしまっただろう…」

 後ろでしゃがみ込んでいると、藤真から声がかかる。

「わ…るい…。いや、何を書いてたのか、見ようと思ってさ…。あ〜、いてぇ〜」
「来週から使う新しい練習メニューだよ。それより、練習は終わったのか?」

 顎をさすりながら起きあがり、「ああ」と、軽く返事をした。

「一緒に帰ろうと思って待ってたんだよ。ほら、さっさとシャワー浴びてこいよ」
「悪い。すぐ済むから、もう少し待っていてくれ 」





 シャワー室に花形が入っていった後、藤真は、自分の肩にかけた覚えのないジャー ジがかかってあるのに気がついた。
 確か、皆が帰る頃は、こんなものはなかったはずだ。

――― 花形……

 花形が自分を気遣ってかけてくれたであろうそれを握り締めると、心の中に暖かいものが流れ込んでくるのを感じた。
 今の自分の置かれている状況は、決して自分が望んだものではない。だけど、それを言い訳にはしたくない。

――― 弱音なんて、誰が吐くもんか…

 けれど、そんな中でもこれだけは言える。  
 自分は良い仲間達に巡り合えた。感謝してもしきれないくらいに。

――― その中でも……





「なーんてな。そんな事、言うつもりなんてないけどな」
「何?何か言った? 」

 シャワー室から出てくると、藤真がこちらを向いた。
 いつもの藤真がそこにいた。

「いや、何も言ってないよ。花形、お前、年なんじゃない?医者行って、見てもらえば」

 笑いながら憎まれ口をたたいている藤真に、はいはい、と空返事をしながらさっさと身体を拭いて着替えを始める。
 藤真の小さな声がポツリ―――……おまえだけだよ―――と、かけられた。「俺のセンターは……」とも、聞こえた気がした。

「え、何?」
 
 振り向いて見るが、でも、何も言ってはこない。
 着替えをすませて、藤真の方へ向き直してもう一度聞いてみても、何も答えてはくれない。
 そのかわり、カラカラと楽しそうに笑っている。

 その笑顔だけで充分だ。


「腹、減ったな。何か食ってくか? 」
「何が、良いかな?花形は?何か食べたいものある?」
「学校出てすぐのところにラーメン屋ができたろ?そこでも行くか?」
「良いよ」 


 その笑顔だけで充分だ
 けれども、その笑顔の裏に隠している、君が抱えている辛さを少しで良いから俺にも分けて欲しい。
 少しづつで良いから分けて欲しい。
 それで君の重荷が少しでも軽くなるのなら。

 好きって言わないよ。
 言わないけれど、ずっと側に、いつもいるから。