溢れ出すものは…



 シンと静まり返る夜の中、藤真はベッドに胡坐をかいて座っていた。冬の間は布団の上に必ず置いて寝る上掛を、今は肩に掛けて寒さを凌いでいる。
 ふいに思い立ちカーテンをそっと開け、曇っている窓ガラスを手で擦ってみる。外が僅かに見えるまでに近づき見てみると、やはり雪がちらついていた。
 寒さがより冷たかった訳だ。
「季節外れの雪ってか。風情があるな…」
 ふっと唇を軽く歪め、ひとりごちる。
 座り直した時、右手が隣に寝ている花形の肩に触れる。温かい、と素直に思う。
 この寒さの中で、人肌はなんて温かいのだろう。それが花形だからそう思えるのか、藤真には判らなかった。それでも、ともに肌を寄せ合っていられることに嫌悪感も何も浮かばない事に、不思議と違和感のない自分には驚いている。やはり、どうしても離れたくないと、知らず知らずのうちに思っていたのかもしれない。口では強がって見せても、心は何て正直なのだろうか。
――― 何処に居ても、お前はお前で頑張れよ。俺も頑張るから。
 寂しくなんてないから、なんて、本当に強がって必死に体面を取り繕うことばかりを考えていたのだと、今なら素直に認めよう。
 身体を繋げる事が、花形や自分にとってどんな意味があるのか、実のところは判っていないのかもしれなくても、きっと何かあるはずだと思う。そう思いたい。

 そっと、髪に触れてみる。固そうに見えていて、その実、とても柔らかな髪質で、指の透き間をするりと通り抜けていく。いつも眼鏡をかけている部分を指先でなぞってもみて。頬に触れれば、自分の手の冷たさを思い知り。ふたりがこんなにも近くに居る事を確認する。
 胸の奥が、痛い。ちりちりと燻ったように焼けていくようで、小さな痛みが後から後から湧いてくる。
 夜が開け、陽が高くなった頃にはもう別れているだろう。お互いが、それぞれに納得して進路を決めて、そうして離れていく。それは新たな門出になるはずなのに、その時が近づくにつれて、胸の痛みが治まらなくなってきて。微かな痛みがずっと続く事がこんなにも息苦しいものかと、初めて知らされる。
 小さな痛みを何とかしたくて、花形と身体を繋げた様なものだ。きっと痛みから解放されると思っていたのに、今こうして想いを遂げたと言うのに、まだ痛みは自分から離れていってはくれない。むしろ、酷くなってきているようでさえある。

「なあ、花形…。俺は、今、どんな顔してる?」

 小さな声だったのに、花形の瞼がそっと開かれる。
 静かに見つめてくる瞳に少し顔を近づけてやると、口元に笑みを浮かべ、
「藤真…」
 とても柔らかな声。痛む胸に染み込んでくる様で、切なさが込み上げてくる。
「藤真…、泣くなよ…」
「泣いてなんか…」
 ふっと笑った顔がやはり柔らかくて、切なさよりも温もりが生まれてくるよう。布団の中から出てきたばかりの温かい手で頬を撫でられると、それだけで溶けていきそうな。
「なあ…」
「なに?」
「俺はね、ずっと藤真の事が大切だったよ」
「俺だって花形の事―――」
 温かい手が首筋を降りて肩を撫でてくれるのを待ちながら、花形の言葉を待つ。言いかけた自分の言葉は何故か今は言えなくて。
「無理に言わなくて良いよ。俺が大切にしていたい藤真だから、ね」
「どうして…」
 今度は両腕で抱きしめられる。花形の胸に頬を摺り寄せて、温もりを肌で感じて。
「ずっと―――好きだったんだよ、藤真の事…」

 好き、と言う言葉を今くれるなんて、ずるい。こんな時に、痛む胸が苦しい今にくれるなんて、花形はずるい。もう会えなくなる夜に、大事にしまっておいた心の内を見せてくれるなんて。
 ずっと前だけを向いて、駆け足で過ごしてきた三年間の中で、いつも隣に居てくれて、言葉にして眼差しだけで励ましをくれていた花形。胸の内に秘めていた気持ちを、ほんの僅かも滲ませないで、気づかせてもくれないで今更に告げてくるなんて。
 どうすれば良い?
 受け止めるだけの時間も余裕さえもない今に自分はどうしたら良いのだろう。
 好きかと問われれば、迷わずに好きだと答えられる。身体を繋げたいと思った時から、それは確信のように心の内にある。それなのに、花形のように言葉にして伝えられない。受け止められないから伝えられないのか。自分の思いが遂げられたらそれで良いと、どこかで思う気持ちがあるからだろうか。

「花形…」

 温かな肌に触れ、できるならこのまま溺れて堕ちていってしまいたい。
 確かな想いを言葉にすらできずに、けれど、溢れだす熱のような痛みにだけは、どんなに息苦しくても手放したくないと叫びたい。