葉桜



  汗にまみれた手を握りしめ、腰を引き寄せる。
  吐息だけが零れる苦しげに薄く開いたくちびるに、自分のそれを重ねていく。
  逃げる身体を押さえつけ、白い肌を仰け反らせ、なおも突き上げる。
  無意識のうちにながれる涙をすくいとる。
  強いているわけじゃないのに。
  泣かせたいわけじゃないのに。



 先にシャワーを使った花形は、藤真が横になっているベッドに腰をかけた。
 荒かった息もようやく落ちつき、今は静かに寝息を立てている。起こしてしまうには忍びない程に気持ちよく寝ている。
 それでも、仕方なく耳元へ唇を寄せ、小さく声をかける。
「藤真。藤真…、どうしよう、シャワー使う?」
 うっすらと目を開けた藤真は、花形を見とめ、柔らかい笑みを浮かべた。
 同じような笑みを返してやると、安心したようにすーっと目を閉じてしまい、また穏やかな寝息を立て始める。
 抱き合った後、そのまま寝てしまう事を嫌がる藤真の事だ。このまま起こさずにいれば、目が覚めた後、うるさいくらいに怒る事は容易に想像ができる。それでも、こんな風な寝顔を見せられてしまうと、何も言えなくなってしまう。少しくらいの抗議なら受けても構わないとも思う。

 久しく見る事がなかった藤真の寝顔を見ていると、翔陽にいた頃、机に突っ伏して寝ている藤真の寝顔を飽きもせずに眺めていた事を思い出した。寝ていて気づかない事を言い訳に、小さな悪戯も繰り返していた。
 普通に好きになり、恋をした。たったそれだけの事が簡単には伝えられないほどに二人は近くにいた。押さえてしまうしかなかった。それが、まさか、藤真とこんな関係に、肌を重ねられる関係になれるなんて思ってもみなかった。

 自分のものとは違う、少し色素の薄い細くて柔らかい髪。手で掬い上げればさらさらと流れる髪に口づける。長い睫から目じりにかけて、涙を浮かべた跡にもくちづける。
 見る度に心が痛む。
 泣かせたい訳ではないのに、自身の若い性が向かう時、それは強いることにしかならない。男同士では、身体を繋げる事は負担にしかならない。分かっているのに、それだけがお互いを確かめる方法ではないと理解しているのに、他に方法を見つけられないでいる。
 涙の跡を指でそっと撫で、もう一度瞼に口づける。そのまま頬の線を辿り、柔らかい唇に触れる。舌先でそっとなぞると、藤真の唇が僅かに動いたような気がした。気がついたようだ。

「な…に…花形…」
「藤真の寝こみを襲ってるんだよ」
 くすりと、くすぐったそうに微笑み、
「そう…、襲えた?」
「ま、ね。それより、シャワー、どうする? 使うか?」
「ん、そうする…。ちょっと、起こしてくれる?」
 言われるままに、背中に腕をさし入れ起こしてやるが、まだ半分寝ているような藤真はそのまま花形に身体を凭れかけてきた。
 息を吐きだした時、自身の痛みで身体を少し強張らせた藤真は、やっと目を覚ましたようだ。
「いっつ〜…」
「大丈夫? 歩ける?」
「なんとか…。あ、ちょっと待って、花形。これ、何? 赤くなってる…」
 立ちあがろうとした時、背中に指を当てられ尋ねられた。
 藤真に指摘されたところには、たぶん…傷がのこっているのだと思う。図書館で探し物をしていた時、本棚の上から落ちてきた本に直撃された時にできたものだ。痛みはすでに消えていて、藤真に問われるまではすっかり忘れていた。
「まだ、痕がついてるか? 上から本が落ちてきて、頭を庇ったら背中に当たったんだよ」
「痛そう」
 そう言ったまま傷をさすっている藤真は、なかなか背中から手を離そうとしない。
「藤真?」
「あのさ、花形…」
「ん?」
「背中に、キスマークつけていい?」
「…いいけど」
「ありがと」
 藤真から何かをしたいと言われたのは、たぶん――初めてだ。何を思ってそんな事を言ってきたのだろう。自分と同じ事をしたいのだろうか…。

 藤真は、左の肩甲骨のあたりを指先で触れ、手の平で触れ、その肌を確かめるようにそっと唇で触れてきた。背中越しに藤真の唇の柔らかさを感じる。初めて口づけた時の事が頭を過ぎった。身体の奥に、じんと痺れるものが生まれ、波打つようにせり上がって来る。一瞬、快感に身体が震えた。
「感じた?」
「少し…」
「よかった…」
 嬉しさが滲む声音は吐息に変わり、そうして強く吸い上げる。ほんのりと色づいた印を指先で確かめるように触れ、また吸い上げる。繰り返し、繰り返し、何度も。
 その度に身体の中を駆け巡るものを、花形は息を吐くことで追い出していく。
 藤真は、それと分かるほどに紅く色づいたものを愛しむように頬ずりをして、また指先で触れてくる。
「次、会う時には、消えてるよな…」
「藤真…」
「こんな風にキスマークつけたら、花形は俺のもんだって言えるかなって、そう思っただけ。変、かな…」
「藤真……」
「わかってるよ。会えないから寂しいだけ。それだけ。花形は平気そうなんだもん」
「……」
「俺のだから…。全部、俺のだ…」
 背中からきつく抱きしめられ、耳元で何度も囁かれる言葉に、花形は何も言えなくなってしまった。

 目の前の未来ではなく、もっと先の未来のために別の大学を選んだのは間違いなく自分の意思で、藤真と離れてしまっても大丈夫と、想う気持ちさえあれば充分なんだと思っていた。一番大事であるはずの相手なのに、寂しい想いばかりさせて、泣かせてばかりだ。

 藤真の手を取り、ひとつ小さな口づけを落とした。
「藤真、おいで」 
 向かい合う為にベッドに座りなおし、藤真の腰を引き寄せた。
「なんだよ? シャワー、使わせてもらえないの? ずるいな、おまえだけ…」
 言葉ほどに非難しているわけではなく、抱きしめてくれそうな雰囲気が藤真にはこのうえもなく嬉しい事。
「もう一日、居る事にする」
 藤真は、その言葉に花形の腰に足を絡める事で返事をした。
 僅かに目を伏せ花形の背に腕を回し、胸を合わせていく。お互いの鼓動を絡み合わせるよう に。

 先に強く抱きしめたのは、どっちだったろう…。