遊びの時間(二)



 自習時間は大抵はする事がなくて、退屈なままに時間が過ぎていく事のほうが多い。
 この日、三時間目の現代国語が担任の都合で自習となり、図書室で何か本を読んで感想文を書く事と言う課題を出されていても、藤真にとっては退屈な時間である事には変わらなかった。しかも、普段からあまり本を読まない藤真には、感想文に辿りつく以前にどの本を手に取るかでさえ億劫で、やる気が失せてしまうのだ。
 しかし、一人だけレポート用紙と遊ぶわけにもいかず、読みやすそうな本を何とか探し当てたは良いけれど、頬杖をついたまま適当にページを捲りながらも、目は文字を追うことを止めている。

 俺に読書感想文とか、おとなしく本を読んでいなさいなんて言う方が間違っている。性に合わないんだよ。だいたい、人間には得手不得手があって、苦手なものはどうしても苦手なんだよ、まったく。

 胸のうちでぶつぶつと文句を言っているうちに、適当にページを捲っていた手もやがては止まり、課題の感想文の事など頭からすっぽりと抜け落ちたかのように、藤真はぼんやりと窓の外に目をやった。
 窓際の後ろから二つ目の机にいる藤真からは、運動場の右側が少しだけ見えていた。そこにはラグビーのゴールポストがあり、不規則に転がるラグビーボールを追いかけて、生徒達がゴールラインになだれ込んできていた。ボールに群がり密集した中で反則でもあったらしく、生徒達は立ち上がり、センターの方へ走って行った。
 二年生の二学期の体育は、課題がラグビーになる。どこのクラスかは判らないが、二チームに分かれて試合形式での授業をしているのだろう。
 藤真の視界から生徒達が消えてから程なくして、一人の生徒がボールを持ってゴール近くまで走ってきたのが見えた。けれど、直前にタックルされて倒されたためにトライには繋がらなかった。
 藤真の口から、思わず惜しいと言う言葉が小さく発せられた。

 もう少しだったのにな…。

 タックルされた生徒が立ち上がり、自チームの生徒達に囲まれて円陣を組んでいるのを見ながら、藤真は、これからの試合展開に思いを馳せていた時、そこに見知った生徒を見つけた。顔が判別できるほど近くに見えている訳ではないその場所で、一人だけみんなよりも頭一つ分背の高い生徒がいたのだ。

 あれ、花形じゃんか。あいつのクラスって、三時間目体育だったっけ。そっか。だったら話は別だな。簡単にタックルされてるようじゃだめじゃないか。

 藤真にすれば、大黒柱として信頼を寄せているバスケ部の選手である。その花形が、授業とはいえ、簡単に追いつかれて倒されてしまっている事に我慢がならない。側で見ていれば、きっと自分は大声を張り上げて怒鳴っているかもしれない。ましてや、怪我でもされたら一大事である。
 スポーツに怪我はつきものかもしれないけれど、監督を兼任している藤真を中心にして動いているように見えるバスケ部は、主将と副主将を中心に動いていると言っても過言ではない。藤真が選手としてだけではなく監督業もこなしていられるのは、もちろん有能であるからなのだが、花形のきめ細かなサポートがあってこそと、藤真自身は思っている。だから、ほんのひと時でも花形を欠く事は藤真にとっては、ある意味苦痛を強いられるようなものなのである。

 だって、お前が出られなかったら、誰がセンターをやる? 監督としては困るから。だから、だから心配するんだ。それだけだ……。

 けれど―――。
 単に心配する以上に、心の中に広がっていく何かを感じる。喉の渇きを覚えてしまうような感覚。答えを探しているのに、見て見ぬふりをしているようにも思えて、自分自身の気持ちなのに今ひとつ掴みきれないもどかしさに、落ち着かなくなってくる。

 ちょうどその時、三時間目の終了を告げるチャイムが鳴った。
 藤真は、何でもないと自分に言い聞かせるように頭を横に振り、湧き上がってくる何かを自身の中から追い出した。
 図書室はにわかにざわつき始め、それと共にに藤真は先程まで窓の外に見えていた光景を思い出した。口元を小さく綻ばせた藤真は、急いで机の端に何かを書き始めた。
 終了のチャイムが鳴ってもまだ座ったままの藤真に級友が声を掛けてくれたが、後からすぐに追いかけるからと返事をすると、お先にと言うように手を振って図書室から出て行った。
 顔を上げて、静かになった図書室の壁に掛けられてある時計で時間を確かめた藤真は、もう一度、書き記した机の端に目をやり、楽しい悪戯でも見つけたような笑顔でそれを見つめた。
「さ、急がなきゃ、間に合わないや」
 立ち上がると、藤真は急いで図書室を後にした。

 二階まで下りて来た時、下の方から声が聞こえてきた。四時間目が同じ現代国語で自習になった花形のクラスの連中だろう。その中に、聞き覚えるある声が誰かと話をしながら上がって来ている。
 藤真は途中の踊り場で、まだ自分に気が付いていない花形に声をかけた。
「花形っ」
 その声で顔を上げた花形は、ようやく藤真を見止めた。表情を柔らかくさせた花形に藤真は急いで近づき、普段なら立ち止まって一言二言でも話していくところを、立ち止まらずにそのまま通り過ぎて行った。すれ違いざまに藤真が何かを言ったらしく、花形が階段を下りていく藤真を振り返った時には、もう姿は殆ど見えなくなっていた。
 階段の途中で立ち止まって藤真が下りて行った後を見ていた花形は、四時間目のチャイムに急き立てられるように図書室へと向かった。
 その間も、藤真がすれ違う時に言い残していった言葉を思い出していた。

 なんだよ、窓際の後ろから二つ目だからって…。

 藤真の言った意味が判らないまま、花形もまた、同じように出されている自習用の課題のために本を探した。
 読む本はすぐに見つかり、どこに座ろうかと図書室の中を見回した時、藤真の言った言葉を思い出した。
 窓際の後ろから二つ目の机の席に着き、本を開こうとした花形は、その机の端に何かが書かれてあるのを見つけ、細字の油性ペンを使って書いたらしい小さな文字を目で追った。
 花形は笑いたいのを堪えながら、顔を上げて窓の外を確かめた後、もう一度それを読んだ。それから何かを書き始めた。
 書き終わると、課題図書を読み始めた。

 四時間目が終われば昼休みだ。藤真と二人で部室で弁当を食べ、その後は、決まって体育館で短い練習をする。けれど、今日は藤真は少し遅れてくるだろうと思った。花形の勘が正しければ、藤真はきっと図書室まで返事を読みにくるはずである。それを読んだ後の藤真の顔を思い浮かべた花形は、下唇をかみ締めて悪戯っぽく笑った。



  簡単に倒されてんじゃねーよ!あんなんで怪我でもしてみろ、レギュラー外してやっからな。今度また倒されたら、ランニング五周追加してやるよ。

  返事だ。この前、藤真はすっ転んでたじゃないか。人の事言う前に自分がちゃんと走れ。