月に、はしごの掛かる夜



「さあ、準備OK!」 

甘いものが苦手な花形が、唯一好きで食べられると言う“抹茶シフォンケーキ”を作り始める。

 昨日、たまたま寄った本屋で、たまたま見つけた『簡単シフォンケーキの作り方』と言う本を買ってしまったのが、今日の突然の部活休みとケーキ作りに繋がってしまったのである。
 本自体の値段が安かった事と、パラパラ捲った時に、自分でもできそうな感じがしたのが運の尽きだったように思う。 しかし、一番の理由は、花形の為に何かしたいと思う自分の気持ちな訳で。 これが、最近の藤真を悩ませている事でもある訳で。
 17日に時間が取れそうにないからと、早めに祝ったのが先々週の土曜日だった。
 だから、本来なら、もう祝ってやる必要もないはずなのに。分かってはいるのに…。

 8月の自分の時は、離れていた為に電話だけだった。まぁ、あの時はまだお互いの気持ちを確かめ合っていた訳ではなかったから、どのみち花形とは、あれ以上の事がある訳がなく、電話だけで当然だとは思っている。そこまで自分は我が侭ではない…はずだ。
 しかし、それでも、どうして花形の時だけこんなにも自分は色々としてやるのか…。
 考え始めると、あまりの理不尽さにふつふつと込み上げてくるものがあるのだが、では、何もしないで平気でその日が過ぎるのを我慢できるかと言えば、そうでもない。
 悔しいが、認めてやる。ちょっとムカツくけれど…。そう、好きな奴の為だから……。

 卵白をハンドミキサーで泡立てながら、
「花形、お前、絶対に忘れるなよ。来年の俺の誕生日には奮発しないと絶交だからな」
 目の前にはいない相手に文句を言いながら、それでも楽しいと感じている自分も否定できない。
 この“好き”と言う感情は藤真には厄介過ぎて、まだまだコントロール不能なのだった。

 卵白も卵黄も何とか泡立てた後、少しずつ混ぜ合わせながら、最後に抹茶パウダーをいれて、さくさくと混ぜ合わせ、生地の出来あがり。
「何て言う手際の良さだろう…。惚れ惚れするね、我ながら。流石だよ、俺は」
 容器に移し、オーブンで焼く事40分。
 火傷をしないように気をつけてオーブンから出す。良い匂いだ…。
「うまそーーー。これで砂糖が沢山入ってりゃ文句ないんだけどなぁ、ったく…」
 冷ませている間に生クリームを泡立てる。途中で砂糖を入れるが、これも花形のために量は少なめだ。テキパキと生クリームをぬりたくり仕上げる。

「ん?いっけねー。もう、こんな時間か、急がなきゃ」
 気がつけば、花形と約束している時間が迫ってきていた。
 藤真宅では二日前から父親が帰ってきている為、今日は珍しく花形の家で過ごす事にしている。
 即効で後片付けを済ませ、父親宛てに書き置きをして、マンションを出た。

 11月も半ばになると、コートを着る程ではないが、それでも夜はかなり冷える。
 首をすくめて、駅までの道を急ぐことにする。足取りが何となく軽いのが癪に障るけれど…。
「何やってんだかなぁ、俺って…」
 7時近くの人通りの少ない薄暗い道を歩きながら、ふと夜空を見上げた。
 半分近く欠けた月が、雲もない夜空にぽっかりと浮かんでいる。

   『冬の寒い夜の三日月には ハシゴが掛けられる…』

 昔、母親から聞いた何かの絵本の話しだ。
 何時頃の事だったかなんて、思い出せない程に小さかった頃の話しだった思う。
 何故だか分からないけれど、花形と友達以上の関係になってから、小さかった頃の事をよく思い出す。
 電車に乗り、ふた駅向こうまでの間、窓から空を見上げ、また…月を探している。
 何故だろ……。

 目的の駅に着き、改札を通りぬけ、花形の家までは15分ほどだ。
 急ぎ足で向かっていると、後ろから名前を呼ばれた。振り向けば、いつもと変わらない花形がいる。相変わらず、背が高いヤツだと思う。
「あぁ、花形…」
 自分が乗った電車がホームについた時、反対側にも電車が滑り込んできていたから、きっと、それに乗ってきていたのだろう。
「今か? もう用事は終わったのか?」
「うん。 今日はさ、我が侭言わせてもらって悪かったな。 練習の方は?」
「大丈夫だよ。 たまには、俺は良いと思うけど。 藤真も休みとらなきゃな」
「そう言ってもらえると助かる。 でも、珍しいな、花形ン家の人がみんな留守なんてさ」
「ほんとにな」

 花形の家に着き、玄関を入ったところでキスをもらう。
 もう、何度も花形とはキスをしているのに、未だに初めてした時のような恥ずかしさが込み上げてくる。大好きなのに、やけにくすぐったくて、いつも逃げ出したくなってしまう。
「いらっしゃい」
「お邪魔します」
 他人行儀な挨拶に、お互いに顔を見合わせて笑ってしまった。

花形のおふくろさんが作ってくれていたカレーを二人で食べ、後片付けの間に今日は珍しく順番にお風呂を使わせてもらった。

「さてと…」
 八畳の花形の部屋には、藤真が泊まると言う事でだしてもらっている来客用の布団が幅を利かせているために、かなり狭くなっている。 仕方なく、取りあえずの場所確保の意味で小さな折り畳みのテーブルを用意してもらった。
 ふたりきりで、花形の誕生日を祝うためだ。

 テーブルの上に作ってきたケーキを乗せ、花形の前に差し出した。
「ほら、これだと花形、食べられるだろ」
 一瞬、声をなくしたような感じで眼をみはり、そうして、一番大好きな笑顔をくれた。
「これを作るために、今日は休んだのか?  なんか…、みんなに申し訳ないな」
 驚いて喜んでくれた事が、嬉しいやら恥ずかしいやらで、変な気分だ。
「ありがとう」
 柔らかい穏やかな声で伝えられる言葉に、素直には返事ができなかった。
「あ…と、あのさ、それより、ロウソクあるか? 俺、用意できなくて」
「え〜と、ない…な。でも、どうして?」
「ほら、ケーキにロウソクを立てて、願い事を言うんだよ。 ったく、言わせんなっ!」
 顔を真っ赤にさせながら怒る藤真に、
「はいはい。でも、ないなぁ、ロウソクなんて。マッチで代用するか?」
「ん〜、マッチでいいや。貸して」

 こんなこっ恥ずかしい事は二度とゴメンだ、とぶつぶつ言いながらも、明かりを落としマッチを擦る。
 薄暗い部屋の中に灯されたマッチの火を見ていると、なんとなく厳粛な気分になってくるから不思議だ。花形の顔をちらと上目遣いで見ると、花形も同じらしく、冗談なんか言えないくらい真面目な顔をしている。

「うわぁっちちっ! あっち〜。 花形ぁ、、さっさと言えよ〜。火傷しそうだよ…」
「ごめんごめん。 今度はちゃんと…、て、声に出すのか?」
「そうだよ。 今度は、さっさと言えよ。 ほら…」
「急かすなよ。 では…」
 もう一度マッチを擦って、二人の間に火を灯す…。
 花形の眼鏡にはマッチの火がうつっている為に目が見えない。 どんな表情をしているのか分からなかった。

「藤真と、ずっと一緒に居られますように…」

(花形……)
 ちらと藤真を見たきり、後は視線を落とし、
「今の…、正直な気持ちだ」
 静かに、けれどキッパリと言い切る花形の気持ちは――分かっている。 茶化すつもりなんてない。 俺も、同じだと思うから…。

「次は俺が点けるから、貸して」
「いいよ、今日は花形の…」
「藤真も、一緒だ」
 そう言ってマッチを擦る花形の手元を見ながら、一番言いたい言葉を捜す。
 一番言いたい事。一番に願っている事は…。
 その言葉は、自分の中ですでに大きくかたちのあるものになっていて、いつもどんな時でも、出口を探して外に出たがっている。
 けれども、ほんの少し口を開け、出口はここだと教えても―――まだ、出てきてはくれない。まだ、言えない。本当の願いは、まだ伝えられない。勇気がもう少し足りない…。

 マッチに火が灯っている時間なんてあっという間だった。 
「藤真? もう一度擦るから、待ってろ」
「うん、ごめん」
 花形が、2本目を擦って火をつけてくれたけれども、一番願っている事は、もう言えなくなってしまっている。

「二人が……二人で、一緒の大学に入れますように…」

 花形と少し目があったが、すぐに逸らせてしまった。
「いつか、でいいから。今は、まだいいから、な」
「うん。いつか、ちゃんと話すから」
「藤真…」
「ん?」
 呼ばれて顔を上げたところに花形の顔があった。重ねられる唇を受け止める。
 柔らかな温もりに包まれるようなキスに、少しだけ鼻の奥がツンとしてくる。
 花形も俺も、どちらからも言い出す事はなかったけれど、このキスの持つ意味がどんなものか、分かっている。
 そっと離れた花形に、想いを込めて告げる。
「忘れるところだった。18歳、おめでとう」
「ありがとう」


 花形が電気を点けてくれて、何だかホッとしてしまった。すーっと肩の力が抜けていく。
 暗がりのなかで花形と二人きりでマッチの火を見て、初めて経験する厳粛な雰囲気に知らず知らずのうちに身体に力が入ってしまっていたようだ。
花形もそうだったみたいで、明るくなってお互いに顔を見あわせたら、照れもあってか笑ってしまった。

「さ、食おうぜ。 花形、早く切れよ」
「ではでは、切らせてもらいます」
 真面目腐った言い方に笑いながらも、花形が一口食べるのをじっと待っている。
「うん、あんまり甘くなくて、美味しい」
「そう? 俺も結構いけるようになったよな」
 自分の作ったものを美味しそうに食べてもらえる。
 認めるのは癪だけれど、嬉しいと思っている自分がいる。


 ベッドの横に布団を敷き、ベッドか横に敷いた布団か、どちらをとるかをあみだクジで決めた後、明日の事も考えて、さっさと寝る事にした。

 電気を消した後の暗がりの中で、お互いの息遣いだけを聞いていると言うのは、中々寝つけないものだった。
 何度か寝返りを打った後、どうにもならなくて仕方なく声をかけた。
「ごめん、花形…。そっち行っていい?」
「うう〜ん、いいよ」
 理性を過大評価し過ぎるとかなんとかブツブツ文句を言いながらも、どうぞと開けてくれた布団の中に潜り込み、花形に腕枕をしてもらう。
「やっぱり、こっちの方が落ちつくな」
「じゃ、おやすみ」
 髪にキスをくれる花形の温もりを感じながら、眠りの中に落ちていく。
 この場所が、花形の腕の中が、一番安らげる場所だ。帰れる場所は、ここしかない。
 見失わないように。なくしてしまわないように。


 17日の夜空には、半分ほど欠けた月が静かに佇んでいる。