陽射しの中に



 薄ぼんやりとかかる霞の中から、微かに聞こえてくる音がある。
 煩くはないけれど、そのままにしておくには気になるその音を止めようとして、ベッド脇のテーブルの方へ腕を伸ばした。音の正体が、目覚まし時計と思ったからだ。
 手の中に納まる小さな目覚まし時計を布団の中へ引き込んでボタンを押す。
 音が止み、やっと静かな眠りに落ちていける安堵感に、ふわりふわりと意識を泳がせていると、また聞こえてくる。
 仕方なくもう一度時計のボタンを押すが、今度は音は止んではくれなかった。

 なん…で…?

 眠気から覚め切っていない頭で何とか意識を集中させ、その音の行方を辿る。しばらくして、ようやく居間から聞こえてくる電話のコール音だった事に気がつく。
 先程手に取った目覚まし時計で時間を確かめれば、まだ、朝の八時前である。昨夜と言うよりは、明け方近くに寝ついた仙道にとっては、こんな時間でも夜中にしか思えなかった。
 深いため息をつくと、同時にコール音も止んだ。

 やっと静かになった部屋を、今日も暑くなりそうな予感のする陽射しが、まだ引かれているカーテンを通して暖かくしてくれている。
 心地良い眠りを邪魔された後、いつもなら文句を言いながらも起きてしまう仙道だったが、カーテン越しの柔らかい陽射しを眺めていると、まだ起きるのは早いと言われているように感じられて、だるく、まだ痛みも残る身体の事を考えて、横になったままでいる事にした。
 牧はと言えば、仙道の腰に腕を回したままでよく寝ている。

 軽く身動きするだけでも悲鳴を上げる身体。それなのに不愉快さは微塵もなく、それ以上に至福感に包まれている自分がいる。ただの傷ではなく、牧自身を刻み付けられていると思えるからだ。
 それでも、この身体の痛みを牧が理解し得ないだろうと思うと、ほんの少しの悔しさがなくもない。
 隣の部屋にある電話とは言え、コール音に反応すら示さなかったのだから、どうせ相手の耳には届いていない事を承知で、笑いを堪えながら少しだけ嫌味を言ってみる。
「気をつけてはくれてるみたいだけなんだけどなぁ…、まだまだですよねぇ」
 やはり仙道の背の方からは答えはなく、静かな寝息が聞こえてくるだけだった。
「自分だけ熟睡だもんなぁ。ズルイですよぉ…」
 首筋に顔を埋められているせいで、かかる寝息がくすぐったい。わずかでも身じろげば、離さないようにと腕に力が込められてくる。

 その腕を摩りながら思うのは、彼の自分に対する執着心だ。
 普段はそれほど自分に執着しているようには思えない彼が、抱き合った後のベッドの中でやけにしがみ付いてくる事に、最初の頃はずいぶんと戸惑ったものである。
 誰も寄せ付けない雰囲気を醸し出していながら、その裏側には、まるで幼い少年のような香りを放ちながら人肌を恋しがる、信じられないほどの人懐っこい彼がいる。
 大学生になった自分が寮生活を始めたせいもあって、会える時間は以前よりも一層少なくなった。だからだろうか、会えない時間を埋め尽くしてしまう程に求めてくる牧が、独りきりの心を満たすために、いつも足りない何かを自分に求めているように見えて仕方がない。
 牧が垣間見せる素顔には、どことなく自分と重なる部分があって、だからこんなにも惹かれ、お互いに執着してしまうのかもしれない。

 擦っていた牧の腕をぽんぽんと軽く叩く。
「離せないよなぁ…」
 ぽつと囁いた声が聞こえたのだろうか、気が付いた牧がうなじの辺りに顔を埋めたまま、
「な…に? 何か言ったか?」
「何でもないですよ。何でも…」
 何を考えていたのか、本当の事を仙道は言うつもりはなかった。きっと、お互いに同じ事を思っているはずだから。

「今、何時だろ…?」
 少し掠れた声で聞く牧に、
「何時だと思いますか? ずいぶん明るくなってますよ」
 けれど、起きる気配はなさそうで、腰を引き寄せられる。
「もう少し寝てます?」
 それには答えず、仙道のうなじ辺りを弄りながら、
「仙道、髪、切ったのか?」
「少しだけね。だけど、気が付くの遅いですよね。牧さんは、そう言うのには鈍感だから…イタッ」
「俺の事を鈍感なんて言えるのはお前だけだな」
 そう言って、また首筋に顔を埋めてくる。
 憎まれ口を叩く自分の首筋に軽く噛み付き、仕返しをしてくる牧が可笑しくて小さな笑いが止まらない。腰に回されている手に自分の手を重ねながら、
「起きるのは、もう少し後にしましょうか?」
「良い…よ。起きたら…」
 掠れていた声が途切れ途切れになるのを聞きながら、
「コーヒーは、牧さんに煎れてもらいますからね」
 返事はなく、また寝息が聞こえてくるだけだった。仙道の口元に笑みが浮かぶ。


 どの時間が一番好きかと聞かれたら、迷わず答えられる。
 お互いの気持ちを確かめ合うような熱いひと時も好きだけれど、誰にも邪魔をされることなく、のんびりと寄り添っていられる今が一番好きだと。