-小さな贈り物-
「う〜ん、やっぱり難しいなぁ…」
参考書とにらめっこするも遅々として進まないペン。
その時、ドアがノックされ。
「真行寺くん、ご飯が出来たわよ。休憩入れたら。あーくんも、もう帰ってくると思うから」
「あ、はい。有難うございます。すぐ降りていきます」
冬休みから三学期になり、受験勉強も最終段階な真行寺は、只今、三洲宅にて集中勉強中なのだ。
遡る事三週間ほどまえ。
二学期最後の麓でのデート中。
「お前、終業式終わったら、受験で三学期は登校しないんだろ?」
「ですね。一応、そのつもりっす」
「なら、親に許可貰ってこい」
「は?何の?」
「家庭教師してやるから。俺の家で集中的に勉強する。いいな?」
「ええっ!うっそっ!アラタさん、マジで?いいの?夏休みよりグレード・アップじゃん!わお、やたぁーーー」
「馬鹿かお前は。受験勉強だけだ」
その言葉に、姿勢を正した真行寺は。
「にしてもですよ、いいんすか、アラタさん家…。一か月半くらいかもしれないのに…」
「もう、親には言ってある。真行寺くんの為なら大歓迎だってさ。お前、母さんに気に入られてるから」
「えへへ、それほどでも…」
意味もなくにやける真行寺に、思わず、平手で頭を叩いてやる。
頭を押さえて涙目な真行寺。
「もう、暴力反対ですって。アラタさん、凶暴過ぎ…」
「とにかく、第一志望に合格したいんだろ?なら、言う事聞けよ。その代り、親にちゃんと許可とること」
「ありがとうございます」
「滑り止めの二校は大丈夫だろうけど、お前の場合、第一志望がなぁ…」
身も蓋もない三洲の言葉は真実で、穴があったら入りたい。
「そのかわり―――」
三洲の目が細められる。
なんか嫌な予感が頭の隅をよぎった真行寺だった。
そんなこんなで、三洲の家に下宿させてもらいながら受験勉強中な真行寺は、三洲から言い渡された「そのかわり」の交換条件を飲んだのだった。
「クリスマス、バレンタイン、ホワイト・デー、その他諸々の、俺が在学中に煩く言い募っていたイベント事は一切なし。興味がないから。もちろん、アレも一切ない。判ったな」
毎日、三洲がセットしてくれる課題を、三洲が帰ってくるまでにやり終える。
採点した三洲からOKがでれば、次の日の課題を渡される。
寝る時は、床に敷いてもらった布団で寝る。もちろん三洲はベッドだ。おやすみのキスはしない。「アレ」の中にはキスも含まれていたらしい。
毎日毎日、こんなに勉強した事は生まれて初めてな真行寺は、それでも三洲と同じ大学へ行きたい為に、とにかく頑張るしかなかった。
三洲が、ここまで応援してくれているのだから。
でも、時々ふっと思ってしまう。
第一志望のH大の受験日が2月の初旬に行われる。
2月初旬と言えば…。
去年も一昨年もその前も三洲にチョコレートを贈った。初めてのチョコは受け取ってもらえなかったけれど。
三洲の心遣いもわかるのだ。他所事考えずに頑張れと言ってくれている。だから、イベント事は忘れろと。
でもさぁ、アラタさん…
純粋な邪系なチョコはダメだけど、有難うと大好きのチョコは赦してくれる?
三洲がまだ帰ってきていない部屋で、真行寺は両手を合わせてお願いをした。
翌日、近くのコンビニまで行ってみる。
所詮はコンビニ。置けるチョコレートには限りがある。小振りな物ばかりの、その中でも一番手頃だと思われる物を、真行寺は買った。
手の平に乗る小さな箱。
試験の最終日は、そのまま実家に帰ることになっている。だから、前日の三洲が帰ってくる前に、机の中に入れておこう。
カードもメッセージもつけないけれど、三洲なら判ってくれると信じている。
その頃、三洲は大学にいた。
一月の終わり頃から、少しづつ増えていくチョコレートの贈り物。
しかし、そこは三洲新。人当たりのいい笑みを浮かべながら、丁寧に断りの説明をする。
「義理も本気も、貰ってもお返しはしない。受け取るだけ。興味がないんだ」
「それでもいいです…」
「ありがとう」
手渡された包みを三洲はデイバッグに仕舞い込み、軽く頭を下げて女の子の横を通り過ぎた。
まったくもって、この時期は憂鬱である。
その気もないのに、どうしてチョコレートが向こうからやってくるのだろう。頼みもしないのに。
義理も本気も、それに対してなにも返さないとまで言っていると言うのにだ。
そう言えば、祠堂にいた時もこの時期は、チョコレートには不自由しなかったな。甘ったるいものは好きではないのに。
中学時代にも不自由しなかった。しかし、心動かされた事は一度としてなかった。
思わず出てしまうため息。
そして、その後には、そっと思いだして心が温かくなる自分がいる。
貰って、初めて心がざわざわと落ち着かなかったのは、あれは祠堂で一年生の時だ。
真行寺から届いた封筒を、結局は突っ返した形になったけれど。あの時、初めて感じたもの。
翌年も真行寺はくれたっけ。そっけなくあしらったけれど、大事に机の中に仕舞った事は、未だに内緒のままだ。
去年は自分の受験が終わるのを待って、祠堂に戻った時にお互いに渡しあった。
よもや、自分がチョコレートを渡す立場になろうとは、人生って何が起こるか判らない。
人生の不思議に想いを馳せながら歩いていると。
「おーい、三洲!」
「相楽先輩…」
「ちょうどよかった、今から帰るのか?」
「はい」
「時間があるなら、お茶でもしないか?」
「家庭教師のバイトがあるので、あまりゆっくりできないんですが…」
「いいよ、それでも」
何故かいつもよりニコニコしている相楽と、いつものカフェに落ち着いた三洲だった。
「先輩は、何か良い事あったんですか?」
「どうして?」
「なんか、嬉しそうですよね」
「そうか?それより、見てたぞ、さっきの」
「ああ、あれですか」
「三洲はもてるなぁ。今年も早々とチョコ貰ってたんだろう?」
「ええ、まあ。でも、受け取るだけで、お返しはしないって断りを入れてます」
「だよなぁ。貰う全部に応えたたら、たまったもんじゃないからな」
「や、興味がないからですよ」
「そうなのか」
「お菓子メーカーに踊らされているイベントには興味はありませんから」
「そうなんだ…」
ピシャリと三洲が言い放った言葉に、どことなく気落ちしたように見える相楽。
三洲は、対外モード全開の笑みをうかべ。
「それより、先輩こそ沢山もらってるんでしょ」
「いやいや、三洲ほどじゃないよ。一個か二個くらいだし。しかもお袋からだしな」
「いいじゃないですか、愛情が詰まってますよ」
「そんなものかな…」
三洲は腕時計をみて。
「時間がないので、俺、行きます」
「ああ。家庭教師って、何年生を教えてるんだ?」
「中学二年生です」
「やけに中途半端だな…」
「ええ。受験生なんて責任重大過ぎて、俺には無理ですから」
「そんな事ないだろうに」
「そんなもんですよ。それじゃ」
カフェから出ていく三洲の後ろ姿を見つめ、相楽は大きなため息をついた。
渡す事くらいはできるだろうと思って、生まれて初めて用意したチョコレート。
言いだす前にあんな風に言われてしまっては、渡せないではないか。
あ〜あ、こんなはずじゃなかったんだけれどなぁ。どうするよ、このチョコレート。
電車を乗り継いで、いつもの改札口を出て、いつものように自宅に向かう。その途中にコンビニがある。
魔が差す…。いや、この場合、何となくだろう。つい、コンビニに寄った三洲だった。
入口をはいったところの棚に、所狭しと置かれているチュコレート軍団。所詮はコンビニと言えど、小振りでもそれなりの種類がある。
人生二度目のチョコレート観察に、三洲も馴れたものである。一番小さな箱を選んだ。
真行寺にはイベント事はなしと言っていた手前、これは、疲れた頭に栄養を、とか何とか理由を言えば良いかな。
ちょっとほっこりしながら、三洲は自宅に向かった。
さてさて、H大の受験日当日。
三洲は休講なので自宅から真行寺を送り出した。
「ここまで来たら、四の五の言わずに力を出しつくせ」
「オッケー、アラタさん!頑張ってくるっ!合格発表は一緒に見に行こうね」
「大きくでたもんだな。楽しみにしてるから」
「じゃ、お母さんも、有難うございました」
三洲の母親・理子に律義に頭を下げて、真行寺はH大に向かった。
三洲は部屋に戻って、真行寺が使っていた布団等を片づけた。何時も一人で使っている部屋が、真行寺といても、そんなに狭くは感じられなかったのに、こうして片づけてみると、広く感じてしまうのは何故だろう。
落ち着け落ち着けと、胸をとんとん叩きながら、昨日までは真行寺が使っていた机に向かった。
何の気なしに引き出しを開けてみれば、そこには見知った小箱が入っていた。
「あいつ…」
手にとってみれば、自分が買ったものと同じものだった。
ずっと真面目に受験勉強をしていた事は知っている。多分、時間を見つけて、こっそり買いに行ったのだろう。散歩がてらに。
約束を守らなかったとは言え、怒る気にはならない。その代り、やっぱり温かくなってくる自分に、ため息がでてくる。
いよいよ真行寺に毒されてきたのかもしれない。
手の平に乗る小さな箱。
三洲の口元が柔らかくほころんだ。
真行寺は受験を終えて、久しぶりに家に帰った。
「ただいまー」
「お帰りなさい。どうだった?」
「まあ、何とか」
「先輩のお家の方には、きちんとご挨拶してきたわよね?」
「してきたよ。母さん、心配しないで」
「そうそう、荷物が届いてるわよ。部屋に運んだから」
「ありがとう。先輩家で使ってたパジャマとかそういうのだけ、先に送ったんだ」
後から降りていくからと伝え、真行寺はまずは部屋で寛ぎたかった。
なんせ、三洲と同じ空間にいても、何にもなかったのだから。最後の夜も、キスさえなかった。結構ストレスになっているのかもしれない。
部屋に入ってみると、三洲と一緒に荷作りした段ボール箱があった。
洗濯物とか教科書とかしか入っていないし、後から片づけようか。しかし、そのままと言うのも気にかかる。
真行寺は仕方なく、先に片づけることにした。
段ボール箱の前に胡坐をかいて座った。
テープをはがして中を開けてみると、自分の知らないものが一番上にある。
「これって…アラタさん、いつ入れたんだろ…」
手に取ってみると、それは知らないものではなく。
「アラタさん…」
真行寺がコンビニでこっそり買って、三洲の机の引き出しの中に入れておいたあの小さな箱と同じものだった。
あのコンビニで、三洲も同じものを買っておいてくれた。しかも、自分には黙ったままで、こっそりひとりで見つけられるようにしてくれていた。
自分と同じように、三洲も同じようにしてくれていたことが嬉しくて。
真行寺は、嬉しくて嬉しくて。合格発表とは別の嬉しさが込み上げてきた。どうしようもなく。
「アラタさん…やっぱ、すっげー好きだぁ…」
手の平に乗る小さな箱。
真行寺と三洲。
互いの想いを箱に詰めて、あなたに贈ります。