秋に濡れて



 柔らかな線を描くまるで絹糸のような雨は、身体に絡みつき、静かにその芯までを濡らすように降り注いでくる。
 傘を差していても殆ど意味が成さないような雨に、左手に下げている鞄を抱きかかえるように持ち返る。
 そうして、これから暫くは降り続くだろう雨空を見上げた。

 気がつけば身体の中に沁みこんでくるような、しっとりとした感覚。
 もっと鮮明なものを好む三洲は、さわさわと緩やかに降る雨があまり好きではなかった。降るなら降る、降らないなら降らない。
 激しく。静かに。
 そんな風にはっきりとした方が三洲自身には合っていた。 
 それなのに。
 降り続く雨の中に浮かんだ面影に、口元が綻ぶ。

 ――― そう言えば、どんな雨でも好きだと言っていたな…

 出会う前なら躊躇なくそう言い切れていたものが、そうでなくなってきている。
 たとえば、同じモノを見ていたいと思う気持ち。何を見て、何を感じ、その身体に記憶させていくのか。気に留めたことも無かった事に、目を向けるようになっている。
 そんな風に変わっていく自分に気がついて、何をバカな事をと思ってみても、それが無駄な抵抗だと気がついたのは何時のことだったろう。
 逆らえないほどに惹かれていく。
 変わりゆく心は、確実に三洲の中に根付いていった。
 彼は、何時の間にか入りこんできた新しい風のように、自分を捉えて離そうとしてくれなかった。そうして、離せなくなった。


 


 ふと、遠目に誰かがいるのを見つけた。
 真っすぐに傘もささずに近づいてくる。
 真行寺だ。

「お疲れ様っす、アラタさん」
「お前、傘はどうした?」
「さっきまで止んでたから、置いてきました」
「馬鹿!風邪ひくだろっ」

 迎えに来てくれた真行寺に、何時もの口調で叱責する。
 が、そんな事は今は気にも留めない彼は、悪戯が見つかった子供のようにちょっとはにかんで、鞄を持ってくれた。
 横に並んで歩き始めると。

「傘に入れて下さいよぉ〜」
「じゃ、傘も持て。お前の方が背が高いから」
「了解っす」

 

 降り注ぐ雨足は柔らかく、寮までの決して長くはない時間の中を二人で歩く。
 真行寺の左手が、いつの間にか肩にかけられていて。手に籠る力が、もっと寄ってと言っている。
 最近、二人きりの時に交わす言葉が少ない。
 あの、朝から晩まで目が回るほど忙しかった頃には、もっと積極的に話をしていたはずなのに。

 認めて。
 言葉にして伝えて。
 受け止めて。

 たったそれだけの事で、二人を包む空気が変わった。
 少しばかりの戸惑いは、まだある。でも、それもいつかは自然になっていくだろう。



「アラタさんさぁ…」
「ん?」
「…今日は…身体辛くなかった?」
「今日”も”だろ。辛いに決まってるじゃないか」
「うっ…、ごめんなさい…」
「まったく。きつくしないから、とか、優しくするとか、明日に響かないようにとか」
「あ、あーーー」
「ほんとに、口先だけ真行寺だな」
「…なにも言えないっす…」
「もっと自重してもらわないと。身体がもたない」
「はぁ…すいません…」

 真行寺の神妙な声に、思わず笑みが零れる。
 良いんだよ、別に。望んだ事だから。
 声にして伝えられないモノを飲み込む。
 自覚した想いを言葉にして伝えることができたのに、三洲にはそこから先には中々進めなかった。
 何かが邪魔をする。喉元まで出かかった色々な言葉を、声にして伝えられない。
 本音の本心を隠して、嘘で固めた人当たりの良い三洲新を演じ、ただ一人テリトリーの中に入れた真行寺には、その反動からか容赦なく辛辣にあたっていた。
 極端から極端に振れていた振り子は、もうその振り幅を抑えても良いものを。
 素直な気持ちを伝える術を知らない訳じゃないのに。
 

「アラタさん?」
「あ、ん?」
「何か、考え事してたでしょ?」
「ん…まぁな…」
「なーに考えてたっすか?」
「内緒」
「俺には言えない事?」
「それも内緒」
「ま、いっかぁ」

 雨のせいで少し寒い今が、真行寺の屈託のない声で温かくなる。
 その温もりで溶けていくものがあるとしたら。
 まだ肩に掛けられていた真行寺の手を外し、少しだけ見上げて見る。彼も見つめ返し。
 寮の玄関の明かりに急かされるように、傘に隠れてそっとキスを交わした。
 きっと、紅い顔をしている。熱い頬が気恥かしくて、真行寺の背中を押して。

「お前が先に行けよ」
「うん、そうする」
「食堂で」
「ラッキー!我慢して、待ってて良かった」
「じゃ、後でな」

 一足先に歩き出した真行寺の制服に、雨が静かに降り注いでいる。
 どんな雨でも好きだと言っていた。濡れるのも好きだ言っていた。
 どこまでも柔らかな雨に絡め取られるように、互いの心が離れて行かないでくれと。
 
 寮の玄関を入っていく真行寺のその背中に、静かに祈る三洲だった。


秋の雨って、寒いのか冷たいのかそうでないのか、いまいち掴みどころがないと思うのです。
11月13日