段取りの達人になれそうだと、同室の葉山託生に話したのは、あれは七月の音楽祭の前だったという。優秀な生徒会長との噂を常に耳にしている三洲だから、そこは意地も多分に含まれていたはずである。どんな忙しくても、学院内の懸案事項が数多く持ち上がっても、予定通りに進めていた事にそれは伺えた。
そんな生徒会長である三洲が、二学期が始まり、本来なら文化祭までに済ませていなければいけない後期役員選挙を、体育祭後に行うことになった事を実は苦渋の決断だったと、後から聞いた。その事を三洲が傍目には判らせないようにしていても、本当は相当気に病んでいた事を知っている。
文化祭前に、思いがけずに聞いた両想いであったこと。嬉しさの中で三洲を抱きしめた。彼もいつになくほっとした、柔らかな笑みを見せてくれた。三洲が抱える色々な事の一つが解決したのだと、そう思った。
だからと言って、その両肩に掛っている全ての事が終わった訳でなく、相変わらず忙しくしてる姿は三洲らしかったが、それでも、一抹の不安は消える事はなかった。
前の様に無理をしているのではないか。
疲れを溜めてしまってはいないだろうか。
体育祭が終わってからの三洲の忙しさに、会いたいと言える訳もなく。部活の帰りに、生徒会室の窓にまだ明かりがついているのを見ても、邪魔をしてはいけない気持ちが先に立ち、以前のように訪ねる事も出来なくなっていた。
そんな時だった。
生徒会長の三洲が、熱を出して寝込んでいるとの噂が、二年の教室に広まってきたのだ。
ちょうど四時限目の、体育のために着替えをしているところだった。
シャツに腕を通しながらも、ざわざわと落ち着かない胸。やはり無理をしていたのかと思うと、やりきれなくなってくる。何事も手を抜かない三洲だから、きっと、忙しさに感けて、食事もろくにとっていなかったのだろう。
そんな事、判りすぎるほど判っていたのに。
どこかで息抜きをする時間を、例えそれが少しであっても、三洲には必要だったのだ。
遠くから見ていて、そんな事、判りすぎるほど判っていたのに。
部活をなんとか終わらせた後、夕食もそこそこにして、270号室を訪ねた。消灯まではまだ時間はある。少しでも良いから、会いたかった。
小さなノック音をさせると、葉山託生がドアを開けてくれた。
「真行寺くん、待ってたよ」
「え、あ、はい…」
「もし良かったら、三洲くんについていて上げてくれる?」
「そのつもりで来たっすけど、良いんすかね、俺がいても」
「三洲くん、今は寝てるし、僕よりは真行寺くんにいて欲しいと思うから」
「はい…」
「僕、じゃあ、ちょっと上に行ってくるから、後は頼んだよ」
「はい」
部屋に通してもらうと、入れ替わる様に葉山託生は出ていった。
静かにドアが閉まるのを待って、三洲が寝ている側に椅子を持ってきて座ることにした。
しんと静まる部屋の中に、三洲の寝息だけが聞こえる。規則正しく。熱は今は、そんなにないように見える。頬の赤みが普段のそれのように思えるから。
ほっとした。そんなに酷くなかったらしい。
「アラタさん…」
三洲が、ゆっくり目を開けた。
ぽつりと零した声が届いたとは思わないけれど、空気を僅かでも震わせたのかもしれない。
「アラタさん…、大丈夫?」
「ん…」
「俺ね、ちょっとだけ見に来た…」
「…真行寺か…」
目が覚めた三洲の額に、そっと手を置いた。まだ少し熱い額に冷たい手を置く事で、熱をとってやりたいと思った。冷やしてやりたかった。そんな事くらいしかできない自分が情けないけれど。
「真行寺…」
布団から出した手を、三洲は重ねてきた。気持ち良さそうに、頬ずりをして。ゆっくりとした動作。それが余計に胸を締め付けて、切なくなってくる。
「俺とした事が…心配掛けたな…」
「アラタさん、違うって。俺も気がつかなくて…」
「…会ってなかったのに?」
「会ってなかったからだよ」
「…そうか?」
「アラタさんは―――」
俺と会えていない時に限って倒れてる、そう続けた言葉に三洲は、小さく微笑んでくれた。
「…そう…だな」
「少しの時間でも、会わないとダメっすね」
「そう…だな」
また、小さく微笑んだ三洲は、安心したように目を閉じた。
緩く額に手をあて、そのまま髪を梳いた。さらさらとした色素の薄い髪が、指の間を流れていく。
自分からは決して弱音の吐けない人だから。
「俺をさ、弱音吐く時の理由にして」
頷く三洲を静かに見つめる。
寝込んだと聞いてからの胸を締め付けてきた焦燥にも似た感覚が、ようやくなくなってきた。二人にとっての、これも経験だと言われてしまうような出来事だったけれど、次はないように、三度目をもうしないと誓う。
消灯まで後少し。
寝息が部屋を満たすまで、側にいよう。
側に。
「傍らに二十題」から”01 弱音の吐き方”です。
10月23日