青い空



「青い色の、カクテルを作ってくれ」
「承知致しました」

 丁寧に返事をしたバーテンは、手際良くカクテルを作り始めた。振られるシェーカーの音が心地良い。
 そうして「どうぞ」と差し出されたカクテル。
 もっと薄い色だと想像していたそれは、とても深い色をしていた。深いのに透き通っていて、無数の小さな泡が舞っている。何とも言えない不思議な感覚をもたらしてくれる。

「これの名前は?」
「初めて作ったので、何にしましょうか?三洲さんがお決めになって下さって結構ですよ」
「そか…」

 指先でグラスの縁に触れながら、どんな名が良いか考える間もなく、浮かんでくるのは一つしかなかった。青い色でと頼んだ時から、時間はあの頃に戻っていたから。

「忘れられない思い出」
「え…」

 思わずバーテンの顔を見つめてしまう。

「目元がとても優しくなってましたから」
「そうかもな…」

 三洲は、カクテルには口をつけず見つめていた。


 あれから、もう何年が経つのだろう。
 季節外れの雪が舞う中で、指先は感覚がないほどに冷たくなっていた。温めて欲しいと言えば、真行寺は抱きしめてくれる。何を置いても自分を優先してくれる優しい真行寺。
 別れを選んだのは、彼の優しさを壊してしまわないように。ただただ真行寺の為にとの思いからしたことだった。

 初めて真行寺と目があった時。絡み合う視線を、あの時、ふたりして一本のものにしたのだろうと、今なら分かる。気持ちは、理性より遥かに正直で素直だったけれど、屈折したプライドがそれを許さなかった。心はずっと真行寺にあったのに。
 表に出さず内にひっそり秘めていた想いは、出口なく押し込められていた分、いったん自身で認めてしまった後は留まる術をしらないくらいに真行寺へとこころは傾倒していった。、まるで石が坂道を転がり落ちるような勢いで執着していく。どうにもならないくらいに。
 
 小さい頃から、あまり何に対しても執着するほど興味を示した事はなかった。だから、いつもどこか冷めていて、浅く広い付き合いが多かった。祠堂に入った頃は、先輩達に囲まれている事が多く、今思い出せば、きっとその頃に人の気持ちの儚さを知ったのだと思う。憧れの先輩がいつも自分を見てくれてはいるけれど、追いかけるのは別の後輩だった事に。

 祠堂で真行寺と過ごしたあの二年という時間は、彼の告白が本当の気持ちなのかどうかを試していたのかもしれない。心は真行寺にあっても、認め、受け入れるには、プライドもあったが、何より人の気持ちの移ろいやすさが怖かった。
 怖くてどうしようもなかったのに、誰にも取られたくないと思う気持ちが日に日に強くなっていくのを止める事もできなかった。
 執着と嫉妬。
 真行寺を知って、真行寺を好きになる気持ちが甘美であればある程に、その先にある自分の想いの深さが怖かった。雁字搦めに閉じ込めて、いつか真行寺を壊してしまいそうで。

 ああ、だけど。
 あんなにも心を動かされた事は、後にも先にもあの時だけ。あんなに好きになったのは、真行寺だけしかいない。
 彼に出会うまでは、好意を持った人はいたけれど、ただそれだけで。初恋だったのだろう。
 胸が締め付けられるような甘い痺れにも似た感覚。
 離れても、消えてくれない感覚。

 時折届く彼からの便りには、真行寺の想いが真摯である事を教えてくれる。進学した大学がそうであったように。
 真行寺はどうしているだろう。忘れた事はない。いつだって頭の片隅に彼はいる。祠堂で自分を見つけた時の、あのはちきれんばかりの笑顔をいつだって覚えている。雨の好きな真行寺の笑顔が青空のように眩しかった事を、今も覚えている。



「そんなに好きな人なんですか?」

 カクテルを見つめていた三洲にかけられた言葉に、またバーテンの顔をみてしまう。

「目元が滲んでます」

 少し苦い笑いが浮かんだ。

「良く見てるね」

 三洲は、グラスの縁を指先でふれたまま、まだ口にしなかった。

「この…カクテルの色に良く似ている奴なんだ」
「大事な方なんですね」
「ああ、大切なね」

 とても大切な真行寺の為にと離れても、心は今でも真行寺にしかない。
 鼻の奥がツンとしてくる。
 彼の前では決して見せる事はなかった涙が、今夜は溢れて頬を伝い落ちる。



 赦してくれ。
 嘘をついた俺を。


『優しい嘘』の三洲サイドのお話。短い三洲のモノローグ。
4月28日