君の笑顔



 ふと思う。
――― 真行寺って、ほんとに馬鹿だな…



 二年の後期生徒会長にめでたく就任した俺は、日々、まるで雑務のような仕事の山々に取り組んでいた。一緒に副会長になった大路や他の役員達と共に。
 文化祭も体育祭も終わり、どこの部も新部長のもと新体制になり、運動部ではまず腕試しのような新人戦がある。それには、もちろん二年生が中心ではあるが、有望な一年生も参加させると聞いている。
 一年生もでるのか新人戦に…。いや、新人戦なんて俺には関係ない。関係はないが、気にならない事もなくもなく…。ああ、もう、何を言ってるんだか。
 今はその事はいいんだよ。
 生徒会も各部も新体制になって最初に取り組むのが、来年度の予算編成だった。
 各部から出された「予算申請書」に目を通しながら、考える。考える。考える。

――― たく…どこの部も何なんだよこれは。お前等だけの予算じゃないんだよ。限度ってものがあるの知らないのか?

 ポーカーフェイスの奥底で悪態をつきながら、目の前の大路に目を向け、声をかけようとしたその時。
「三洲、何?」
 反応の早さに目を瞠る。が、いつもの柔和な笑みを浮かべ、
「各部の予算申請書なんだが」
「ああ、三洲が見てる書類だろ」
「どこの部も言いたい放題で、こんなのまともに受けてられないね」
「思う思う…」
「大路、どうだろ、一度しっかりすべての部を見に行かないか?紙の上の事だけじゃ判らない事もあるだろうし」
「三洲がそう言うなら…そうしよう」
 心なしか大路が嬉しそうだったが、気がつかない気づかない。
「そうと決まれば、まず運動部から見ていこう」


 と言う訳で、今、俺達生徒会は剣道部に来ている。
 剣道部は弓道部と並んで、祠堂の僻地と言われる場所に道場がある。だから、校舎から遠い。校舎を二つ超えた渡り廊下の奥まったところの、まだ向こうにあるから、本当に遠い。陰ではウォーキング・コースなんて呼ばれている。
 ま、それはさておき。
「田原部長、すまないね、練習中に。予算申請書の件で今、各部の視察をしてるんだよ」
「生徒会長〜」
 俺に縋りつくなよ、田原。

 三洲への人望は今更語るまでもなく非常に厚く、何故もっと早く立候補しなかったのかと、今期、会長職に無事に就いた時に一番多く語られた言葉がそれだった。
 しかし、三洲新。そんじょそこらの者達より遥かにキレ者としても有名だった。なんせ三洲のシンパ達の目の輝きようったら後々語り継がれるくらいだったのだ。そのシンパ達の間でもっぱら噂されたのが、全生徒が待ち望み、一番期待が膨らんだ時期での立候補だったと。タイミングを外さない感とチャンスを掴み取る引きの強さは、流石の三洲新。
 しかし、当の本人曰く、高校生活をエンジョイするなら二期務めるくらいがベストなんだそうで。
 侮る事なかれ三洲新、である。

「見てってくれよ、三洲。しっかりとさ。ほんっとに剣道部は部費が半端じゃなくって―――」
 新部長に就任した田原は力説している。もう充分に耳タコだよと思ったその時、視線を感じてその方向に目をやると、真行寺がいた。
 俺達が来るまでは一心に練習をしていたのであろうが、今は、気もそぞろになっているのが手に取るようにわかってしまって。
 で。

 ふと思う。
――― 真行寺って、ほんとに馬鹿だな…

 あんなにあからさまに動揺しているようじゃ、新人戦はおろか、二年時の県大会とか目も当てられないんじゃないだろうか。
 この天下の三洲新が、例えカラダだけの関係と言い張っていたとしても、夜な夜な夜這いもどきを掛けあっている仲としては、甚だ不本意なんてもんじゃない。
 なんなんだよ、だらしない。もっとしゃんとしろよ。
 と、蹴りの一発でも噛ましてみたくなってくるじゃないか。
 あ、つんのめってる。

――― ったく…

 俺が生徒会長になってからは、ほんっとに毎日毎日飽きもせず生徒会室にやってくる。俺を含める皆からの冷たい視線もなんのその、キャンキャン吠えまくっている姿は、まるで犬のようで。
 昨日はあんまり煩いんで、思わず「お座り!」と、床を指さして言ってしまった程だ。

 それでも。

 二人きりの時には、俺はポーカーフェイスで飾らなくても良い事を知っている。
 それは、俺の意図した事ではなかったけれど。ましてや悔しい事に、真行寺から教えられたものだったりする。
 言葉ではなく。煩く周りを纏わりついているからでもなく。
 俺だけに向けられる真行寺の笑顔があまりにも。
 自然に目があった時、あいつが幸せそうに微笑む。瞬間、俺の中に何とも言えない温かみをもったものがさぁっと広がったのを感じた。
 邪気のない本物の笑顔がこんなにも温かいなんて、俺は初めて知った。
 親の愛情の笑顔等ではなく、それまでは全くの赤の他人だった者からの、そこに真摯な想いが込められている事を伝える笑み。
 温かなものに包み込まれる安心感を、俺だけに与えてくれるこれ以上ない至福感。
 ちょっと褒めすぎだろうと、自分で突っ込みを入れるのにももう慣れたものである。

 だからって、容認できる訳じゃないんだよ、真行寺。
 ったく…。

「田原部長、あそこの一年生、大丈夫なのか?」
 大路が笑いを噛み殺しながら聞いている。

 あのなぁ大路、気持ちはわかるが…。
 鉄壁のポーカーフェイスの裏で、俺は心だけ明後日の方向に目を向けてため息をついた。
「あ〜、あの真行寺な。駒沢とふたりでそりゃあ腕は確かで剣のすじも良いし、一年生では抜きんでてるんだが…」
 ちらっと三洲を見て、
「生徒会長にぞっこん片想い驀進中でなぁ、三洲を見つけると途端にダメなんだわ…」

 俺の心は氷点下真っ逆さまで、ブリザードも真っ青になっている。
 でも、まあ、それも経験かもなと。
 そう思う俺も、大概どうかしているとは思うけれど。つくづく不思議なのは、どうも真行寺に対しては甘くなるって言うか、厳しさが最近では続かないって言うか。
 慣れって、怖いな。

「ありがとう田原。今日、練習を見せて貰って、これからの判断材料にさせてもらうよ」
「三洲ぅ〜」
「それじゃ」
 大路を促して剣道場を後にした。
 それなのに、歩き始めた俺の後ろ髪をこんなにも引っ張る視線っていったい…。
 何だと振り返れば、真行寺が思いっきり手を振っていた。満面に笑みを浮かべて。すかさず田原に頭を叩かれてはいるが。

――― 真行寺って、ほんとうに…

 こんなに沢山の目があるところで、馬鹿なヤツ。
 まったく、ああ言う笑顔は俺だけしかいないところで見せりゃいいんだよ。
 今夜もまた、びしっと注意しないといけないな。

 そうして俺は生徒会長三洲モードになり、
「大路、次は弓道部だから」
 いつもの柔和な笑みを浮かべた。

三洲のモノローグ。性格がちょっと原作と違います^^;でも、こういう三洲も大好きなんです(^^)
7月3日