あたためてあげる- 社会人編 -



 24日。金曜日のイブの夜。クリスマス本番の街中は、随分にぎわっている。
 歩く人達は、どの足もゆっくりとしている。歩道脇の銀杏並木に設えられたイルミネーションを見ながらだからだろう。先を急ぐほどでなかった自分も自然とゆっくりになる。
 ようやく、地下鉄の乗降口に辿り着いた。降りていって地下鉄に乗り、一人暮らしのマンションの最寄り駅で降りる。後は、一人の部屋に帰るだけで良い。毎日そうしていた。今夜も同じように階段を下りれば良いのに、何故だろう。足が躊躇する。このまま帰ってはいけない。せめて今夜だけは。不思議な胸のざわつきを感じた。

――― ひと駅だけでも歩こうか…

 きっと、人波やイルミネーションの光に当てられたからかもしれない。マフラーに手をやり、また歩き出した。
 マフラーは冬には欠かせない。しかし、今しているモノを会社の同僚たちは良く言ってくるのだ。「三洲らしくない。どうして買い替えない?」「そろそろ新調したら」と。
 随分くたびれた感があるこれは、それもそのはず。祠堂にまだ在籍していた時の、三年時のクリスマスに贈られたものだ。あの頃の唯一の思い出のモノ。
 一つ年下の彼から送られたこれは、そんなに高価なものではない。高校生に贈れるものと言ったら、たかがしれている。いくら小遣いを貯めたって、値段の張るものは買えない。それでも、これを手放さず今も使っているのは、認めたくはないが、彼の事が、真行寺が恋しいからなのだろう。

 卒業式の日。真行寺は、今にも泣き出しそうな顔に作り笑顔を浮かべていた。涙を必死に堪えていた。真っすぐな彼の、それが精一杯の卒業祝いの証しだったのだろう。ひとことだけ。

「アラタさん…」

 震える声で呼ばれても、だから、返事ができなかった。何も言えなかった。確かな未来を約束できない自分には、真行寺に何も言いだす事が出来なかった。
 それで終わりにした。
 それからは会う事はなかった。なかったけれど、忘れた事はない。真行寺の声が、いつも頭の中に残っていた。冬になれば、真行寺から贈られたマフラーを巻くことが習慣になったのは、彼に抱きしめられているような、温めてもらっているような気がするからだ。
 こんなにも女々しい毎日を送ってしまうなら、あの時、一言でも言葉をかけてやればよかったとも思う。

「待っている」

 約束はできない。しかし、真実、そう願っていたのに。

――― 真行寺…

 今、どこで何をしているのだろう。あの腕や手は、他の誰かを抱きしめているのだろうか。
 幸せでいて欲しい。一人でいて欲しい。何時まで経っても平行線でしかない事ばかりを考えてしまっている。
 もしも会えたなら。
 そこまで考えて、頭を振った。もうよそう。手放したのは自分。繋がっていた糸を切ったのは、紛れもなく自分なのだから。

 ふと、頬に冷たいものがあたった。見上げれば、光の中を雪がちらちら落ちてきていた。
 信号が変わるのを待つ人波に紛れるように、マフラーを巻きなおした。
 青になって歩き出す。行きかう人達の中を見ながら、落ちてくる雪にも目をやった。ぶつかることなく。そんな交差点の真ん中で、馴染みのある高さの肩が視界の端に黒い髪と一緒に見えた。すれ違うその肩を眼で追えば、見知った背中を見つけた。

――― 真行寺!

 追いかけ、その肩に手を掛け、もう一度名を呼びたい。
 なのに、何故。どうして足が動かない。早くしなければ、はやく追いつかなければ、また離れていってしまう。背中が一歩一歩と遠ざかっていくのに。

――― 真行寺!こっちを向いてくれ!

 動けないなら声だけでも掛けたいのに、声が出ない。呼びとめられない。背中が遠くなっていくのに、何もできない。

――― 真行寺っ、真行寺…






「ああ、真行寺…」
「アラタさん、アラタさんてば」
「し…真行寺?」

 声に反応して眼を瞬かせてみれば、そこには真行寺がいる。淡い灯りの中の真行寺は、何故かひどく心配そうな顔をしてこちらを見ている。

「真行寺…」
「アラタさん、大丈夫?」
「お前…、というか、何が?」
「うなされてるんだもん、俺、びっくりしちゃって」
「うなされて?俺が?」

 真行寺は裸である。良く見れば、それは自分も同じだった。部屋の中を見渡してみると、そこは見知った部屋でなく。

「ここは?」
「やだなぁ、アラタさん。予約したホテルの部屋ですよ」
「ああ、そうか…」

 意識がはっきりしてくると同時に、色々な事を思い出した。

 イブの夜にホテルの部屋を予約した真行寺と、先日、ちょっとした喧嘩をしたのだ。無駄と言った自分に、真行寺は頑として予約をキャンセルしなかった。一つくらい頼みを聞いてくれとせがまれて、それがカチンときてしまい、あとは売り言葉に買い言葉よろしく、しばらくは口をきかなかった。しぶしぶやってきたホテルの部屋でも、自分は機嫌を直していなかった。そんな中での行為だったから、激しさはあっても、どこか冷めていた。真行寺に冷たい言葉もかけてしまったのだ。それ故、そのまま眠ってしまった自分は、あろうことか、真行寺と別れた夢を見たらしい。

「ごめんね、アラタさん…」
「どうして真行寺が謝る?」
「ほんとうは家でゆっくりしたかったんだよね。それを俺が無理言ったから…」
「別に、そんな事…」

 しゅんとしている真行寺に、なんだか申し訳なくてこそばゆさを感じる。大人げなかったのは自分の方なのに。
 真行寺の頬に手を当てた。温かい。その手を真行寺が握り返してくれて、小さなキスをくれた。それから、唇を触れ合わせて啄ばむようなキスを何度も。

「すまない、意地っ張りで」
「アラタさん…」
「どこで過ごしたって良かったんだ。あの時は、忙しくて疲れてたんだろうな。お前の言う事にいちいち腹立てて…」
「アラタさんは、いつも何もいらないって言うから、じゃあ気分を変えてホテルで過ごそうと思ったんだ…」
「ああ、そうだな」
「夢、見てたの?」
「ああ…」
「どんな?」

 真行寺の胸に頬を寄せる。背中をゆっくり撫ぜてくれる手が優しい。

「お前と別れてた」
「なんて夢見てんのさ、もう」
「そうだな」
「ありえないって」
「判ってるさ」
「俺ね、どんなに離れたって、どこに居たってアラタさんを追いかけるよ」
「へえ」
「信じてよ〜」
「はいはい」

 大きな胸にチュッとキスを落とした。真行寺の身体の震えが伝わってきた。

「アラタさん…」

 大好きな腕に抱きしめられて、その身体の重みを今夜、また感じる。この腕の中が、この重みが、自分の居場所だ。誰にも渡さない。
 何度も、濡れた音をたてながらされるキスに、意識を手放すのはもうすぐそこだ。


 離れないで。
 離さないで。
 ずっと、あたためていて。


真行寺×三洲。社会人編。今年、ふたつめのクリスマスのお話です(^^)
12月23日