月にはしごが掛る夜




 改札口で駅員に、ボストンバッグを持ち替えた右手から切符を渡した。
 終業式を終えた日、こんなに遅くなる予定ではなかったのに、帰り際に後輩に捕まったのがいけなかった。
 三年の秋に、剣道部部長を引き継いでくれた後輩からの相談だと言われれば、例えそれが些細な事だったとしても、真行寺には断る事が出来なかった。三学期には自由登校になる。受験まで後少し。せっかく与えられた時間なのだから、一心不乱に受験勉強に打ち込みたかったというのが本心であっても。

 中央コンコースから外に出て、五分ほど歩いたところの階段口から下りて乗り換え電車に乗れば、あとは実家の最寄り駅までそのままで行ける。
 二十四日の夜の駅前の道は華やかで、それぞれがイブの夜を楽しんでいるように、真行寺には見えた。

「本当ならなぁ…」

 ぽつりと零れた言葉の吐く息が白い。
 昨夜の三洲との電話のやり取りを思い出す。

「明日の帰りに、どこかで会えないすか?麓でもいいし、途中でも」
『ん…午後から用事で、その後、友人達との飲み会があるから…』
「アラタさんてば、まだ未成年なのに?」
『俺はソフトドリンクだよ。先輩達も参加らしいから』
「残念…折角の―――」
『興味はないが、イブなんだってな』
「そうですよー。世の恋人達の甘く過ごせる日なんですよー」
『受験生とは思えんな』
「すんません〜」
『悪いな』
「アラタさん…」

 申し訳ないと謝りながら、小さく笑っていた。柔らかな声をしていた。
 世間で騒がれるようなイベント事に、三洲が興味がない事は知っている。真行寺から切り出さなければ、誕生日の祝い事もそのまま素通りしてしまうのだ。それでも、声をかければ乗ってくれる。嫌みの言葉もあったりしても、両想いになる前の、ただただ辛辣だった頃とは比べようもなく優しくなっている。

 いつだって気遣ってくれている。
 それが、真行寺には嬉しい。

 そんな三洲だから。
 三洲がダメだと言うのだから、抜けられない用事だと言うのが理解できる。一年先に大学生活を送っているのだ。祠堂の時とは違う。そこに、真行寺の知らない生活があるのが普通なのだから。

「だけど…、会いたかったな…」

 祠堂で共に過ごしていた頃は、離れていても所詮は同じ寮内である。身近に沢山の人の目はあっても、いつだって会えていた。あの二年は、ほんとうに恵まれていた事を痛感させられる。
 会いたい。いつだって会いたい。
 ちょうど青になった横断歩道を渡りながら、「会っても、何もまだ買ってないけど…」と、そんな言葉を、すっかり陽が落ちた空に向かって吐きだした。見上げた夜空には、綺麗な弧を描くように三日月がかかっていた。
 満月ならもっと明るいと思われる三日月は、淡い明かりをしていた。寂しい心を、ほっと灯してくれる。
 途中で何か買っていこうか。
 階段口を下りたところには、小さな店が幾つかあった。そこに寄って、今度、三洲に会えた時に渡せるものを買おう。
 会えなくて、ともすれば落ち込む胸の中に、三洲を思いながらの買い物ならば、きっと楽しい。
 少しだけ足元が軽くなったようで、弾む足取りで階段を下りていった

 地下一階の、入ろうと思っていた店の先にある中央の大きな柱の側に。見るつもりはなかった。店に入る気でいたから。三洲に何か買っていこうと思っていたから。
 柱に凭れかかっているその人は、ダウンジャケットを着ていて、その襟元に青いマフラーが見える。あの色には見覚えがある。去年のクリスマスに三洲に送ったマフラーが、あんな色だった。麓まで、受験勉強で忙しかった三洲のために、温かくなるものをと思って買ったマフラーが、ちょうどあんな色だった。
 見るつもりはなかったのに、自然に柱が視界に入ったから。
 この時間には、ここにはいない人なのに。

「なんで…」

 凭れていた柱から体を外して、その人が近寄ってくる。

「アラタさん…」

 あの時、マフラーと一緒買った手袋もしてくれている。

「アラタさん…、どうしたの?」
「遅かったなぁ、お前。後、五分待っても来なかったら、もう帰ろうかと思ってた」
「なんで?」
「飲み会?顔だけ出して、帰って来た。顔だしして会費払っておけば大丈夫だからな」
「そうなの?」
「真行寺…、何、鳩が豆鉄砲食らったような顔してるんだよ」
「だって、昨日…、もう会えないって言ってたから…」
「昨日はな」
「あー、何か嬉しくなってきた」
「何、真行寺。ここの雑貨店に入るのか?」
「あ、うん…。アラタさんに何かプレゼントって思って…。去年送ったの、してくれてるんですね」
「受験生が何言ってる。ま、でも、俺も、何か買おうかな」

 電話でいつも聞いている三洲と同じ声をしている。柔らかな声が、胸の奥に沁みこんでくる。温かくなってくる。

「どれくらい待ってました?」
「そんなに待ってないよ。お前の家に電話したら、まだ帰ってないって言ってたから。多分、ここを通るだろうって思って」

 こうして気持ちを汲んでくれる三洲には、到底勝てないと思った。

「アリガト、アラタさん…」
「さ、早く買い物して帰ろう。今夜は寒くて冷えるから、お前の家に泊めてもらおうかな」
「了解っす!」

 そうして、二人で送りあうための物を買うために、店に入っていった。

 さっき、横断歩道を歩いている時に見た、綺麗な弧を描いていた三日月を真行寺は思い出した。
 満月とは違う、はっきりとした月明かりとは違うそれは、ほんとうに三洲のようだと思った。いろんな形を見せてくれる。想いを、いろんな形にして見せてくれる。

 まるで、今夜のように。


真行寺×三洲 2014年クリスマス 短いですが、二つ目書けて良かった(^^)
12月15日