ぎゅっと抱きしめて




 秋がまだ始まった頃の、少しばかりの肌寒さに震えた身体は、早めの冬支度も整わないうちにもう人恋しくて堪らないらしい。
 らしいと言う言い方を自分にするのもおかしなものだけれど、本格的に受験勉強にとりかかって、それが習慣になっているはずなのに、いつの間にか真行寺を探している。
 没頭しているうちはまだ良かった。ただ、少しばかり気を抜いた時とか、渡り廊下を歩いている時とかに探している自分に気がついた。

 祠堂では、10月が過ぎれば後期が始まる。どこの部でも、文化部運動部に関わらず、部長などの交代があり、新部長のもとでの新体制になって忙しいと聞く。あの真行寺が、自分の受験勉強への遠慮もあるのだろうが、それ以上に、剣道部の部長になった事が大きくてなかなか会いにこないことからも、それは判る。
 ただ、判るといっても、心が納得できているかと言えばそうではない。いつも神出鬼没だった真行寺に、気がつけば纏わりつかれているのが、本当の事を言えば心地良かったのだ。
 どうせ自分は、真行寺が会いに来れば来たで、憎まれ口しか言わないのに、随分勝手なものだと自身で呆れてしまうが。

――― 今夜あたり、会いたいな…

 
 好きだと、自分の気持ちを素直に受け止めるのに時間がかかった。悩みもしたし、抗いもした。不安や、認めた後の先の見えなさへの怖さもあった。じゃあ、受け止めたなら、認められたなら、もう何も思い悩む事はないのかと言えば、実際にはあまり変わっていない。その中身が変わっただけで、どちらにしても悩みは尽きない。

 もっと素直になれたなら―――。

 できないだろうそんな事を思い、苦笑いが浮かぶ。






 クシュン

 参考書のページを捲っていた時、昼間の事をふと思い出して、寒くもないのにくしゃみがでた。

「アラタさん、風邪?」

 自分のベッドで静かに雑誌を読んでいた真行寺が声を掛けてくる。

「違う」
「なら、良いんだけど」

 気をつけて、と、小さくなる声は、また雑誌に向いていた。

 会いたい気持が伝染した訳でもないだろうが、今夜、珍しく真行寺が270号室をたずねてきた。久しぶりに時間があいたからと言う彼の言葉は、自分の中にすとんと落ちてきて、不思議なくらいに素直に首を縦に振れた。
 その時の真行寺のはにかんだような笑顔が、やけに心に沁みこんできて、こんなにも彼に会いたかったのかと、我ながら情けない気もしたが、それが本心なのだから認めなければいけないと思う。

 参考書のページをまだ持ったまま、名前を呼んでみた。

「…真行寺…」
「なに、アラタさん」

 口は開きかけ。でも、声にはならない。
 何を言おうとしていたのか。

「…いや、何でもない」
「何か、飲みたいの?」
「いや、良いんだ」

 ページを、また捲り始める。
 喉元まで出かかった言葉に、実際には自分が驚いている。

――― バカな事を…

 もうすぐ消灯になる。同室の葉山は今夜は戻ってこない。二人きりで、他に誰もいない。

 何もしないで良いのか?―――

 何かしてほしいと、自分は思っている。
 真行寺から声をかけて欲しい。邪魔をするなと、きっと、その手を邪険に振り払う事は目に見えているのに、彼から側に来てほしいと思っている。
 求められたがっている、自分は。

 口元には苦笑いが浮かんだ。
 どうしようもないほどに真行寺に触れたがっている自分を自覚してしまい、こう言う気持ちを恋と言うのかと、改めて思った。
 見かけないでいれば気になるし、側にいればいたで気になるのだ。


「ねえ、アラタさん」
「なんだ?」
「勉強、まだするんなら缶コーヒーでも買ってこようか?」
「そうだなぁ…」

 ついつい、深いため息で返事をしてしまった。

「どうしたの?疲れたの?」
「まあな、疲れたのかもな」
「頭、マッサージしようか?」
「いや、良い。それより、缶コーヒーを買ってきてくれ」
「はい!」

 真行寺が買いに出ていった後の部屋の中で、伸びをした。
 なんだか、随分と肩にも力が入っていたようだ。

 気持ちのままに、思いのままに、素直な言葉を吐けなくても、それでも伝えられるものがあるのかもしれない。
 自分の事を優先してくれている真行寺のもつ距離感に物足りないのなら、誘えばいい。求められたいのなら、求めればいいのだ。悩ませて、迷わせてしまうかもしれないけれど、それが、今とれる精一杯の自分の距離感なのだから。


「アラタさん!買ってきたよ」

 少しばかり息の弾む真行寺が戻って来た。手には缶コーヒーが握られている。彼の優しさが、そこにある。
 参考書を閉じて、彼に向かう。

「ありがとう」

 両手をほんの少し広げてみる。
 真行寺の表情が柔らかくなったのが判った。

「アラタさん…」

 真行寺に抱きしめられる。込められる力が、なんて心地良いか。

――― ああ、やっぱり良いな…

 この腕の中が一番落ち着けるのだと、再確認する。それだけで安心する。心が穏やかになる。受験勉強の邪魔になるだろうと思って、切って捨てようとしたことのある自分を、できもしなかった自分を笑い飛ばして、せめて今からは真行寺を求めていきたいと思った。

「お前、今夜大丈夫なら、消灯後に、また来いよ」
「良いの?ほんとに、良いの?」
「ああ、何もしないし、一緒に寝るだけだけどな」
「ありがと、アラタさん」

 その時、消灯の放送が鳴った。
 名残惜しげに、真行寺にぎゅっと抱きしめられる。

「後で来るから。絶対に来るからね」
「ああ、遅かったら先に寝てるぞ」
「大丈夫、頑張って来るからね」
「ああ、待ってるから」

 その言葉は真行寺を驚かせたようで、彼は目を瞠っている。
 くるくる変わる表情を見ていたいと思ったが、ゆっくりもしていられない。

「とにかく、早く部屋に戻れよ」
「うん、そうする。アラタさん、待っててね」
「ああ」

 ようやく出ていった部屋は、まだ温かさが残っていて、穏やかな気持ちでいられる。
 そんな自分に、今度は笑みが浮かんだ。

 待ってるから―――


youtubeにて『【作業用BGM】心がぎゅーっとなる洋楽ラブソング集』をBGMにして。
11月7日