恋愛事始め-1-



 ようやく梅雨が明け、本格的な暑い夏がやって来たばかりの午後、学生で賑わっている喫茶店で藤真と牧は、人を待っていた。

「はあぁ〜〜〜〜〜」
 この日、何度目かの大きなため息をついた藤真は、アイスコーヒーをほんの少しだけ飲み、またため息一つ。
「はぁ〜〜〜」
 なかなかやって来ない待ち人の事で落ち込んでいるのではない。藤真にとって今一番気にかけている事があるだけなのである。ここのところ、ずっと自分の気持ちを持て余してはどうにもならない現実に藤真は嘆いていた。そしてまた…「はあぁ〜〜〜」とため息は続く。

「あのなぁ、そのうっとうしいため息は何とかならないのか。いいかげんに…」
しろ、と言いかけると、何とも恨めしげな視線を向けてくる。そして、また目の前に視線を落とし、ため息ばかり…。
(やれやれ…)
 藤真のため息は今に始まった事ではないけれど、こう何度も聞かされるとうんざりしてしまう。
 外は、くらくらと眩暈を起こしそうなほど暑い陽射しが溢れているものだから、余計にそう思う。

 翔陽・海南・陵南のちょうど真ん中当たりに位置しているこの喫茶店を藤真と牧は、空いた時間をなんとなく過ごす時によく利用している。
 一年の頃から”ライバル”とか”双璧”とか言われてきた二人は、県代表の合同合宿等で顔を合わせるうちに、すっかりフレンドリーな間柄になっていた。学校の連中には絶対に見せられないような素顔も、お互いに知っていたりする。弱みを握られていると言えなくもないが。ちなみに、牧の恋のキューピット役を藤真がしてあげたとか、しなかったとか。

 そんな牧が、時々腕時計で時間を確かめては、喫茶店にある壁掛け時計で時間を確かめては、ドアの方をちらちらと気にしている。彼らしからぬそわそわとした態度。何度も何度も時計を見ては時間を気にしているのは、実は彼は彼を待っているから。
 誰を? 陵南の仙道を。
 つい先日、ひょんなことから陵南の仙道と普通の男女のようなお付き合いが始まった牧。やっと訪れたこの世の春に、少々浮かれてしまっても、側から変な人だと見られてしまう事があっても、元来が小さな事には拘らない性格ゆえ、気にする事はなかった。
 ただ、生まれてこの方、物心ついたときからバスケ一筋の生活しかしたことがなく、暇さえあればシュート練習しかしてこなかった牧にとって、”お付き合いする”と言っても何をどうすれば良いのか皆目わからないでいた。 仙道より一つ年上の意地と帝王と呼ばれているプライドにかけて、あたふたしている姿を仙道に見せてしまうようなドジをすることはなかったけれど。
 バスケに関しては、この神奈川では向かうところ敵なしと言われ、皆から一目置かれている牧ではあるが、恋愛事に関しては超ビギナーなのである。
 だから、仕方なく、非常に不本意ではあるけれど、自分より少しは恋愛事に詳しいと思われる藤真に相談にのってもらっている牧だった。
 ただ、その藤真にしても恋愛事にはさっぱり経験がなかったらしく、あまり役には立ってくれていないのが実状だったけれど。

 目の前でそわそわしている牧に目をやり、
(まぁた仙道の事考えてるな。いいよな、好きなヤツと両思いなんてさ。オレなんて……)
 いまだ想いを告げる事ができない花形の事を考えては、ため息をついてしまう藤真だった。
 小さい頃からその美貌の為、男女を問わず言い寄ってくる人に事欠いた経験のない藤真にとって、片思いをしてしまうなんて、生まれてはじめての経験だった。それゆえに、山よりも高いプライドと負けん気の強さと意地っ張りが邪魔をして、なかなか「好き」と言えない。 しかも、その相手がチームメイトで、自分が一番信頼を寄せている同じバスケ部の副主将ときては、そうそう告白できるものでもなく、藤真でなくてもため息をつくと言うモノ。

花形 透……

 花形の事を考えるだけで、心臓はバクバク、汗は滝の様に流れ、顔は真っ赤ッか(と、自分では思っている)になってしまう。照れ隠しで、思いっきり殴ってしまった事も一度や二度なんてものじゃない。意識する前はなんでも平気でできたのに。一年の夏合宿で、一緒に風呂に入って背中を流し合ったことが、遠い過去の記憶のように思われる。
 どうでも良いようなことを思い出しては、懐かしいあの頃を思いため息な毎日を送ってしまう。
 しかし…。
 一日も早く告白をして両思いになり、目の前にいる牧に見せ付けなくてはならない。せめて恋愛事だけでも牧に勝ちたいと思っている。
 ただ、現実は藤真にはちょっと厳しいようで。
(あ〜あ、オレって、なんて不幸なんだろ……)

 その頃、藤真と牧が待つ喫茶店からかなり離れた場所に位置するとある書店には、今日も見事に髪を逆立てている仙道がいた。
 二人が待つ喫茶店へ行く途中、たまたま目に付いた本屋へ足が勝手に向かってしまったらしい。呑気に今週発売のコミックなんぞを立ち読みしている。先輩を待たせているのだからさっさと行けば良いものを、一冊読み終わってもまた次と言うように、なかなかその場から動こうとはしない。約束をしている事を覚えているのだろうか。さすが、仙道…。


 同じ頃、翔陽バスケ部部室では、三年生達が着替えを始めていた。

「あれ? 花形、藤真は?」
「あぁ、なんか用事があるとかで、今日は休みだ」
「へぇ〜。たまにさ、休んだりするよな、藤真は。デートかな?」
「さあな…」
 興味のなさそうな返事をしながら、藤真がいない事でわいわい騒いでいるチームメイトを横目に、誰にも気づかれないようにため息をそっと一つ。

 藤真が――デート……。誰だろうか。昨日、正門前で待っていた女の子か。それか、先週、手紙を渡していた女の子だろうか。それとも、練習試合の時の…。
 心当たりがありすぎて見当のつけようがなかった。おかげで気になって仕方がない。しかも、気になる自分が更に気に入らない。 
 最近、ずっとこんな感じだ。何故か心がざわついている。
 何時からこんなに自分の心がざわつくようになったのか。その事に気がついたのは最近だが、この感じは随分前からなように思う。県予選で敗退してしまい、当面の目標が冬の選抜になったことで、少しだけ時間の余裕ができたからかもしれない。
 そうだ、余裕ができたからだ。藤真も、遊びの一つでもできるようになったのだから、それはそれで良い事じゃないか。あいつだって……。そう、藤真だって……。そうだよ。そうなんだよ。

 そう言い聞かせなければならない自分の心の不自然さに、まだあまり気づいていない花形だった。



 さてさて、藤真と牧が待つ喫茶店へ向かう途中、本屋へたちよった仙道は、雑誌を立ち読みした後、イラスト・ロジックを解く事に一生懸命になってしまっていた。それはそれは楽しそうに。
 待たされている方は堪ったものではないのだが……。
 牧はと言うと、以前であれば、先輩を待たせるとはけしからん!とか、ルーズな事は性に合わん!と怒って帰ってしまっていたところなのだが―――事実、付き合い始めた頃は、待たされてばかりいた―――、仙道と付き合うようになってからは、随分おおらかになってきていた。少しくらいの遅刻には目を瞑らないと仙道とは付き合ってはいられないのだろう。
 苦労が耐えない牧である。

 そんな事もあって、待たされるのには慣れている牧は、花形の事を思って相変わらずため息ばかりついている藤真に一つの提案をした。待っている時間を有効活用しようと言う訳だ。
「あのな藤真、このままじゃ埒があかんだろ?」
「まあ…なぁ…」
と、返事をしながら口にくわえたストローをぷっと吹き飛ばしたりしている。
「で、思うんだが、手紙でも書いてみたらどうだ?」
「は?」
 藤真は、一瞬聞き違いかと思ったけれど、牧はいたって真面目な顔をしている。
「え〜と…、なんだって?」
「だから、つまりな、行動を起こせって事だ。今のままじゃ、どうにもならんだろ? それなら、何かすればいいんじゃないか? このままの状態じゃ、お前も辛いだろ? なんとかしたいだろ? いや、そうじゃないな。 何かした方が良いんだ。 どうせ、じっとしていても何も始まらんのだし」
 早い話しがラヴレターを出せと牧は言っているらしい。告白しろと。本気か、この男は。
「そりゃあ…まぁ…。でも、手紙ったってなぁ…、書いた事ないよ…」
 貰った事はあっても、自分から出した事はない。そんな自分が書けるのだろうか…。
 考え込んでしまった藤真に、
「ああ、もう…じれったい。一緒に考えてやるから、出せ出せ」
「そんなに言うなら…」
 別の意味で面白そうだ。牧のお手並み拝見といこうじゃないか。

 牧は手際良くノートとペンを用意する。
 藤真がじっと見つめる中、さあ書き始めようとした時、牧がたずねてきた。
「花形の下の名前はなんて言うんだ?」
「え?」
「だから、花形…なんて言うんだよ」
「…透…。すきとおるのとお……」
 声が聞こえなくなったので、どうしたのかと藤真を見てみれば――テーブルに突っ伏して何やらブツブツと呟いている。よくよく聞いてみれば、
「ひゃぁ〜〜〜。とおるって言っちゃったよ〜。とおる、だって…。恥ずかし〜〜〜。わぁ〜〜〜」
「…………」
 見なかったことにして牧は、さくさくと書きつづけた。
「すきとおるの透ね…。はいはいと」

 はい、と書き終わったノートを見せられた藤真は……。

『 花形 透様

  謹んで暑中お見舞い申し上げます。
  今年は例年になく暑さも厳しい夏ですが、貴方におかれましてはいかが
  お過ごしでしょうか。
  私はお陰さまで何とかやっておりますのでご安心下さい。
  本日、このような文を認めましたのは、貴方に申し上げたい事があったからです。
  私は、貴方の事をいつも気に留めております。
  気づいておられないと思い、ここへ書き記した次第です。
  まだ猛暑が続くことと思いますが、大過なきことお祈り申し上げます。
  もし貴方のご都合がよろしければ、私の家に遊びに来ませんか。
  何もおかまいできませんが、いつでもお越し下さい。
  まずは暑中お見舞い申し上げます。
                                        敬具
                                      藤真健司   』

「…………」
 書いてもらった手紙と牧の顔とを交互に見ながら、藤真は思った。
(せっかく書いてもらった手紙だけど、このセンスにはついていけないかも……)



 ようやく仙道が、藤真と牧の待つ喫茶店に到着した。

「すいませ〜ん。なんか、遅くなっちゃって。待ちました?」
 先輩達を待たせていたとは思えないくらいに明るい仙道に、藤真は思わず脱力しそうになってしまう。しかし、ここは一つ言っておかなければいけない。ガツンと一発だ。
「まったく、おまえ…」
「いや、そんな事はない。さっき来たばかりだ」
「牧っ!!! あっ、い…」
 仙道にお小言の一つでも言おうと思っていた藤真は、牧に向こう脛を蹴られてしまった。
 睨み返す藤真には構わず仙道を気遣う牧。外は暑かったろうと労い、座る為のスペースを作ってやったり、冷たい物でも頼めとか言っている。腹が空いているならサンドイッチでも頼んでやろうかとも。
(やれやれ、いっつもこうなんだから…。甘いんだよ、牧は。甘すぎる…)

 蹴られた足の痛みも忘れて藤真は、のんびりと頬杖をつき、目の前の二人を眺める事にした。どうせ何時もの事だから、慣れたものである。
 ソファーは、二人掛けとは言え、窮屈であろう事は傍目に見ても一目瞭然なのだが、この二人、そんなこと一向に気にする風ではない。牧は仙道の耳元で何やら囁いている。それを、仙道は嬉しそうに聞いている。そのうちにキスでもしてしまうんじゃなかろうかと思われるような近さだ。見ているこっちが恥ずかしくなってくる。
 色々な噂のあった仙道が、牧と付き合うようになってからは大人しくなった。風の便りで届いていた噂も、殆ど何も聞かれなくなった。牧と一緒にいるのが余程楽しいのだろう。
 堅物で融通のあまり利かない牧もそれは同じで、ずいぶんと柔らかくなった。他の連中には、いつもと変わりない姿しか見せていないだろうけれど。
 人間、案外に変われるものなのだろう。

 目の前で仲良くいちゃつかれても、藤真はあまり気にならない。
 ただ、少しだけ。ほんの少しだけ、羨ましいと思うだけだ。
 花形となら、とか考えない訳ではないのだけれど、目の前の二人のように自然には振る舞えないだろう事が簡単に想像できてしまって、藤真は何ともやるせない気持ちになってしまう。変に意識をしてしまいそうで、きっと真っ赤な茹でタコのようになってしまい、呂律もまわらなくなり、きっと返事の一つもできないと思う。
 恥ずかしくてドキドキしてしまう自分を花形は笑わないだろう。だいたい、花形はそんな事で人を笑うようなヤツではない――はずだ。
 もっと自分の気持ちに素直になる事ができたら。告白する事ができたら…。
 しかし…。
 それが簡単にできれば、ここまで苦労はしない。

 ややあって、
「あれ、そう言えば藤真さん、まだ一人なんですか?」
「…ありがとう、仙道」
 仙道の軽いイヤミを最上級の笑顔で受けとめる。が、
「夏休みに入る前には花形さんを連れて来るって言いませんでした?」
「うっ……」
 そうだった。前に三人で会った時に宣言したのだった。次に会う時には、花形も連れて四人で会う、とかなんとか…。忘れてはいないのだが。
「大変そうですね」
「なかなか素直じゃないからなぁ、藤真は」
「普通に、好きだって、言えばいいんじゃないですか」
「そうそう、もっと気楽に考えて、素直に言えばいいんだよ」
「ですよねぇ」
「…………」
 絶対に二人に見せ付けてやると、心に誓う藤真だった。



 その頃、翔陽では……