恋愛事始め -2-



 その頃、翔陽の体育館には花形の姿がなかった。

「あの…、永野さん、花形さんは大丈夫でしょうか?」
「心配ない、心配ない。石頭だから大丈夫だ。もう、練習に戻って良いから」
「はい…」
 肩を落として走っていく後輩の後ろ姿を見送った後、長谷川、高野、永野の三人は、いったい今日の花形はどうしちゃったんだろうかと話し合っていた。


 一時間ほど前、留守の藤真の代わりに練習メューの指示を出していた花形は、パスを受け損ねてしまい、頭にボールの直撃を受けてしまったのである。あんまりふらふらするので、みんなで保健室まで連れてきたのだが…。
 それにしても、今日の花形はどうも”変”だった。何時もの彼なら、藤真がいない時、副主将としてピシッと後輩達の練習を仕切っているのに、時折、ぼんやりと考え事をする事が多く、指示をうっかり出し忘れたり、ドリブルをミスってみたり、挙げ句の果ては、パスを受け損ねてしまうと言う。
 普段の彼を知る者にとっては、未知との遭遇、不思議以外の何ものでもない。
 なにが花形に起こったのだろうか…。

「すまん、みんな…」
「まあ、いいよ。花形も疲れてんだろ」
「そうかもなぁ。最近は暑かったからなァ。酷暑とか言われてたし」
「藤真がいないって事で、かなり気張ってたからなぁ」
「…申し訳ない…」
 ベッドの中で申し訳なさそうに謝る花形は、小さくみえてしまう。普段は、ベッドの方が小さく見えるのに。これでは仕方がない。
「今日は花形は、もう上がれ。帰ったほうが良いな」
「ああ、その方が良い。また倒れられるとほんっとに藤真に怒られるから」
「花形が故障すると、藤真の機嫌が悪くなるから、今日は帰って養生してくれ」
 俺たちが困るからと言われると、何も言えない。すまん、と、さらにさらに小さくなる花形だった。



「いったい、なにやってんだか。それにしても、なんだって、まぁ、あんなに……」

 今日は使い物にならないからと、みんなから帰れと追い出された花形は、不調の原因を考えてみることにした。
 季節の変わり目で気がつかないうちに風邪でも引いていたとか。IH予選であっさり負けてしまって、気がつかないうちに落ちこんでしまっていたのかも。いや、期末試験の成績が、少し…だったからかも。それか、昨日の晩飯の後、オヤツや夜食のことで弟と揉めた事かもしれない。
 思い当たる事を上げてみたけれど、どれも違うような気もする。もっと大事な何かがあるような。掴めそうで掴めないと言うのは、痒いところに手が届かない事にも似て、なんてもどかしい。


 ええぃ、じれったいなぁ……とぶつぶつ文句を言いながら歩いていた花形は、校門を出たところで、一人の女の子を見かけた。
「あれ? あの子は…。昨日、藤真に手紙を渡していた子じゃないか…」
 花形を認めて会釈をしてくるので、自分も会釈を返し、そのまま通り過ぎながら、ふと思う…。
 あの子がここにいると言う事は、藤真と会っていないと言う訳で。なぜか、ほっとしてしまう自分がいる。あれぇ???
 いやいや、そんな事よりも、じゃあ、藤真は今、誰と会っているんだろうか。 新たな疑問が湧き上がってくる。しかし、そんな事はいつものことじゃないか。藤真には自分の知らない生活があって、付き合いもあるんだから。
 そう言い聞かせているのに、後から後から湧いてくるこの気持ちは一体何なのだろう。変だ。絶対に何かおかしい。普通じゃない。

 藤真がいない。デートだと聞いて、信じられないくらいに落ち着かない。その相手と思っていた子が、藤真と一緒にいないことで、何故かほっとしている。

 ぐるぐるぐるぐると、地球を一周まわるかと思われる程思いをめぐらせ、ようやく、やっとひとつの答えに行き当たった。

 俺は、藤真が好きなんだ……

 いまさらに自分の気持ちに気がついた花形。
 なんだ、そうだったのかと、訳の分からない感情に答えが出てほっと安心したのも束の間、花形は大事な事に気がついたのだった。


 藤真は―――男じゃないか……


 自分の気持ちにも気がついたけれど、もっと重大な事も思い出してしまった花形は、交差点の真ん中だというのに、思わず立ち止まってしまった。 他人の迷惑を顧みれないほどに動揺している。

 あわわ、なんてこった、藤真は、男じゃないか…。いや、しかし、藤真は、男にしてはキレイだから。…って、オレはなんてことを…。例え、藤真がキレイだとしてもだ…。

 ダメだ、いや、しかし、何故…、だから、それでも、を繰り返している時、クラクションを鳴らされ、ようやく自分が何処にいるか気づいた花形は、ドライバーに一礼をして何とか歩き出した。 歩きながら、今一度、自分の心に問いかける。
 藤真は、確かに男かもしれないけれど、我が侭だったりもするけれど、嫌だなんて思ったことは一度もない。ほんとうだ。迷惑だと思ったことは数知れずだけれど。

 どんなに追い払っても、戻ってくるところは一つだけ。藤真の事が好き。
 ならば、それでいいじゃないか。自分の気持ちに正直にいるのが一番良いんだと、思う。
 ようやく辿りついた答えは、自然に自分の中におさまっていく。認めてしまえば、こんなに簡単なことだったのかと、先ほどの自分のうろたえぶりを思い出しては、恥ずかしさがふつふつと込み上げてくる。何だか、穴があったら入りたい気分だ。

 自分の気持ちに気がついてから、悩み、そして開き直るまで、そんなに時間のかからない花形だった。彼は、そんなに思い悩む方ではない。そうでなければ、藤真の側にいて、副主将を務めることはできなかっただろう。

 ふって沸いたような問題を解決した花形は、このまま家に帰るのもなんだから、少し遠出をしようと、何時もとは反対方向の電車に乗ることにした。
 ドアに凭れ掛かり、流れる景色を見ながら、これから向かう本屋で何を買おうかと考えているのに、ふと気づくと、藤真の事を思っている。
 そう言えば、ここ最近は、何故か藤真の事を考えていた自分を思い出した。ずっと、纏わりつくようにあったモヤモヤの原因は、いつの間にか好きになっていたからなのかと、今更に気づく。近過ぎると言うのも案外に厄介なものなんだと、悟りの境地にいるようだ。
 そんなこんなを考えていたら、むしょうに藤真に会いたくなってきた。
 藤真は、今頃どうしてるだろうか。何処に行っているのだろうか。帰ったら、電話でもして…。って、おいっ、藤真は、今、誰かと会っているんじゃなかったか。
 誰と??? 何処で??? 何をしてる???

 モヤモヤは消え去ったけれど、嵐の予感が花形の身体を駆け抜けた瞬間だった。


「う…」
「どうした、藤真?」
 今日のデートはここまでと、駅までの道を牧や仙道と一緒に歩いていた時、藤真は何か悪寒を感じたのである。
「ああ、何でもない。ちょっと寒気がして。風邪でも引いたかな」
「腹でも出して寝てたのか?」
「藤真さんでも腹出して寝ることがあるんですか?」
「……言ってろ」
 なんだったのだろうか。ほんとに、風邪なのか?
 何となく変な感じを拭えないまま、しかし、それらしい原因にも思い当たらない藤真は、忘れてしまう事にした。

 途中までは一緒になる藤真と仙道を、反対の電車に乗る牧が律儀にも見送ってくれる。もちろん、それは仙道のためなのであるが。それならば、二人だけで会えば良いものを、いつもの事とは言え、羨ましすぎてアホらしくなってくる藤真だった。

「じゃ、またな。藤真には、今日もつき合わせて悪かったな」
「どういたしまして」
 そして、牧に聞こえるようにそっと顔を近づけ、こそっと、
「そろそろ、オレが居なくても会えるようになれよな、牧は」
「わ…わかってるよ。次は大丈夫だ」
 どうだかとクスクス笑いながら、仙道に向き直ろうとした時、藤真は思わず足を滑らしそうになってしまい、「わわわっ」と、牧にしがみ付いてしまった。
「おまえ、気を付けろよ。こんなとこで何かあったら、オレは翔陽の連中にあわす顔がないだろ」
「悪い悪い。足が滑っちまって」
 ホームでこけてしまうようなドジはしなくてすんだのだが…。

 ちょうどその時、反対側のホームへ入ってきたのは、花形が乗っている電車。

 電車の中から向かいのホームに何気なく眼をやると、見慣れた制服が立っているのに気がついた花形は、もっとよく見ようと目を凝らしたところ―――それは藤真だった。

 藤真じゃないか。あいつ、誰に抱きついてる? あれは…、海南の牧じゃないか。横にいるのは、陵南の…仙道ぉ? ええぇー――ッ!!! 牧と、なんで??? うそだろ。そんな、バカな。いや、まさか、有り得ない……事はなかった…かな…。

「あれ、花形さんじゃないですか?」
「えっ、花形? 何処?」
 仙道の指し示す方を見れば、なるほど、花形がいる。しかも、反対側の電車の中。おまけに、何やら怒っているように見えて…。
「あいつ、なんか怒ってるみたいに見えるんだけど…」
「花形さん、何か勘違いでもしたんじゃないですか? ほら、二人とも、まだ…」
 抱き付いているからと、低く相当に機嫌の悪そうな声に指摘され、ようやく牧から離れた藤真だった。

 これは、最悪…かも…