夏合宿協奏曲-4-



 さて、その夜の事。
 夕飯の後、ミーティングがなくなってすっかり寛いでいる部員たちを置いて、藤真と花形は体育館へと向かっていた。手には、タオルとバスタオル―――藤真が必ずバスタオル持参だと言い張ったので―――を持って。
 花形は藤真の後をついて行っていた。体育館が見えてきた時、明かりが半分も点いていない事に少々変だなとは思いつつ、それでも藤真の後をおとなしくついていく。

 体育館に近づいた時、突然、藤真は道を逸れて散歩道の方を歩いていく。
「おい、藤真っ、何処行くんだよ。体育館は目の前に―――」
「うるさいな花形。黙ってついてこいよ」
「なんなんだよ、いったい…」
 ぶつくさ言いながら、それでもどんどん歩いていく藤真の後を遅れまいとついて行った。よく見ると、藤真の手には懐中電灯が握られている。夜の散歩道は、街灯が少しは点在しているが、全体的に暗い。その為の懐中電灯なのだろう。と言う事は、藤真は始めから体育館へは行くつもりがなかったらしい。
「何だよ何だよいったい…」
 またもぶつくさと不満を藤真の背中に投げかけながらも、ようやく暗がりに慣れてきた目で辺りをきょろきょろ見回す余裕が少しは出てきた。
 この道には覚えがある。それもそのはず。昼間、藤真と歩いた散歩道ではないか。今、藤真は何処へ行こうとしているのか。この先にあったバンガローなのだろうか。まさかそれはないだろうと思い、藤真についていくと、当の藤真はバンガローの前まで歩いていった。

「藤真、こんなところまで来て、何するの…」
 花形の声には無視を決め込んで、藤真はバンガローのドアを開けると―――昼間、鍵が開いていたのは確認済みであったから―――中へ入っていった。おいおいおい、と思いつつも、花形は仕方なく藤真の後について中へ入った。
 ドアを閉めるとバンガローの中は、まだ昼間の暑さの名残か、少しむっとしていた。藤真は懐中電灯を消すと、カーテンを開けた。街灯のささやかな明かりと月明かりが、部屋の中に差し込んできている。それでも薄暗いのにはかわりなく、こんなところで藤真はいったい何をしようとしているのだろうか。

 はてなマークを一杯浮かべた花形に、藤真はようやく向き直り、薄暗い中でもなんとなく判るくらいホッとしたように微笑んで、やおら花形に抱きついてきた。
「おおい、藤真ったら…。何する―――」
「花形…はながた…。もう、俺、我慢なんてできないよ」
 甘ったるい声で抱きついてくる藤真を花形は必死で引き剥がそうとするが、
「いまさら離れるなんて嫌だからな」
 そう言うが早いか藤真は花形の首に両腕を回し自分の顔までぐっと近づけると、今度はディープなキスをしてくる。
 花形とて藤真とキスをするのは嫌ではない。むしろ大好きである。今が合宿中でなければ、何とか時間や場所を確保して藤真とあんな事やこんな事もやってしまいたい花形なので、藤真のあまりのディープさに眩暈をおこし、思わず応えてしまいそうになってしまうのであるが、しかし、このまま藤真の訳の判らないペースのままズルズルといってしまっては今までの努力が水の泡になってしまうと、自制心をフル活動させ藤真を何とか引き剥がし、
「ちょっと待てよ。そんなにがっつくなって…」
 突然、花形から引き剥がされ、藤真は口をパクパクさせている。
「なんで。どうしてだよ花形ぁ〜」
 濡れたような甘ったるい声は腰に響くナァ、とやるせない気持ちになりながらもここは一つちゃんと言っておかなければと思い、
「あのな、良いから、ちょっと待てって。俺も藤真にキスしたいから、ちょっと待て、なっ」
「何だよ、いったい。この期に及んで止めるっていうのか」
「そうじゃなくて。俺だって藤真とキスしたいよ。中にだって入れたいさ。でもな、合宿中は禁欲生活するって決めただろ」
「判ってるよ。判ってるけど、もう我慢できなくて…どうしようもなかったんだよ……。ここ、見つけたらさ、もう…」
 うな垂れる藤真にしょうがないなぁという風に微笑んだ花形は、藤真の顎を手で上げるとその唇にチュッと軽くキスをしてやる。
「俺だって同じだよ。俺も我慢できそうになかったから、毎日毎日必要以上に練習して、そういう気持ちにならないようにしてただけだからさ」
「そうだったのか。花形、平気そうだったから、淡白なんだとばかり…」
「まさか。これでもうら若き青少年なんだから」
 その言葉に二人ともプッと吹き出してしまう。先程までの訳の判らない緊張感のようなものがとれていく。
「…花形、頼むから、ここでしよ」
「ここまできてしまったもんな。じゃ遠慮なく…」

 花形は胡坐をかいてすわり、その上に藤真を座らせた。藤真は花形の首に両腕をまわし、花形は藤真の背中に腕を回し、シャツ越しに身体を密着させる。
 ふたりは、待ってましたとばかりにお互いの唇を貪りあう。少しづつ息が上がってくると、藤真は荒い息の中に甘い吐息を漏らすようになってくる。頃合を見計らって花形は藤真の下着の中へ手を入れようとした、と丁度その時である。外からなにやら話し声が聞こえてきたのである。

―――なっ…ええ…

 しかも、その話し声は、だんだんと自分達のいるバンガローに近づいてくるではないか。
 はたと動きを止めるふたり。じっとそのままにしていると、話し声はバンガローのドアの前で止まり、「ここですか?」なんて呑気そうな声が聞こえたと同時にドアが開けられる。
「嘘…」
 ふたりは同時に囁いた。
 誰かがひょいと部屋の中に顔を出したかと思うと、後ろにいる人から何かを貰って部屋の中を照らす。
 花形と藤真は懐中電灯の明かりに照らされて、眩しくて相手の顔が見えなかったのだが、その瞬間、
「あれぇ、花形さんと藤真さんじゃないですかぁ」
 おもわず顔を見合わせたふたりは、声の主に向かって、
「仙道っ!!! どうしてここに?」
 すると仙道の後ろにいたもう一つの影がひょいと顔を覗かせてきた。
「ふ・藤真!! おまけに花形まで…。お前ら、こんなとこで何やってんだよ」
 その声に花形と藤真は、またしても驚く。
「牧っ!!! なんでここに?」
 藤真の声で我に帰った花形は、ここに至ってようやく自分たちの懐中電灯でドアの方を照らした。
 そこには驚いて開いた口が塞がらないと言うような顔をした牧と仙道がいた。
 藤真は、絶対に誰も来ないと思われていたところへ人が来た事への驚きと、これからもっと気持ち良くなるはずだったにもかかわらず良いところで邪魔された恨みや不満を一緒にさせて、夏も凍りそうな低い声で、
「お前ら、いったい何しに来たんだよ?」
 牧はちょっとしどろもどろになりながら、
「いや、ちょっと、そのな…、まあ、なんだよ、あれだ…」
と、訳の判らない事を言っている。そこへすかさず呑気な声で仙道が、
「花形さんと藤真さん達と同じ事をしようと思ってですよ」
と告げる。
「仙道っ!!!」
 何故か牧が困ったように叫ぶが、仙道は牧の方をむいて、
「だって、ここでやろうっていったの牧さんでしょ」
事も無げにしれっと言う。
「まっまぁ、そうかもしれないが、だけど、そんな事一々説明しなくても……」
「別に良いじゃないですか。知らない仲な訳じゃないんだから」
「そうだとしてもだなあ、言って良い事と良くない事もあってだな…」
「ふ〜ん、そんなもんですかねぇ。俺には悪い事でもしようとしてたとしか聞こえませんけど」
「おまえなぁ…」
 なにやらドアの前でもめ始める牧と仙道である。

 もう何が何だか。ややあって、花形は藤真を立たせると、自分も立って、
「藤真、もう帰ろ。何か俺、もうする気なくなっちゃったよ…」
「えーーーーーっ、そんなぁ花形…」
 ぷーと膨れる藤真の手を引いて、まだ揉めている牧と仙道の横を通り過ぎると、さっさと来た道を帰り始める花形だった。
「ちょっ、花形っ、手離せよ。まだやりかけなのに、これからなのにぃ…」
「もう、良いんだよ。早く早く」
 花形に急かされながらもどうにも気が治まらない藤真は、振り向きざまに大声で怒鳴る事しかできなかった
「牧っ!!! 覚えてろよっ!!! これで済むと思うなよっ!!!」

 その後、合宿所へ戻ったふたりは目を合わせることなくシャワーを浴び、寝るしかなかった。とは言っても、もんもんとして寝付いたのは明け方近くだったが。


□ □ □



 翌日、藤真は、まだ合宿途中であるにもかかわらず、翔陽に一足遅れて同じところで合宿をしている海南へ、練習試合を申し込んだ。
 レギュラーの選手や他の部員たちの「まだ早いんじゃ…」の声には聞く耳持たずで、花形にしても、その理由や藤真の気持ちが判るので止める事をしなかった。いや、できなかったのだ。
 かくして、練習試合が始まった。
 瞳に小さな炎を滾らせ闘志をむき出しにした藤真はスタメンから出場し、本来ならそんな藤真を受けてたつはずの牧が、何故か気後れしたような動きをする中、接戦の末、翔陽が練習試合とはいえ海南に勝利したのだった。

 試合終了後、控えの部員からタオルとスポーツドリンクを貰った花形は、ひとり黙ったまま汗を拭いながら水分補給に努めた。そうして静かに考える。
 藤真を本気で怒らせるのは止めよう、と。