ひまわり-1-



 ある夏の日。
 起きるにはまだ早く、未だ夢の中にいる仙道を、カーテンの透き間から夏の朝の陽射しが容赦なく差し込んできて、投げ出している腕を暖めてくれていた。けれども、それも束の間。だんだんと暑くなってくる陽射しに、目を覚まさずにはいられなかった。
 おおきな欠伸をして、とろんとした瞼を瞬かせるが、すっきりと目は覚めてくれない。
 そんな仙道を後ろから抱きつくようにして寝ている牧は、まだ夢の中らしく、少しでも身じろぐと、腕に力入れてくる。当分は離してくれそうもない牧に、それでも仙道は穏やかな笑みを浮かべた。幸せだと実感できるのだ。
 牧の腕を擦りながら、今日の予定をゆったりと考えていた丁度その時。

ピンポンピンポンピーンポーン ピンポンピンポンピンポンピンポンピーンポーンピーンポーンピンポンピンポン

 と、けたたましいドアのインターホンの音が鳴る。
 これは、顔を見ずとも判る。あの人だ。あの人しかいない。こんな朝早くに、人の迷惑顧みずにインターホンを鳴らせるのはあの人しかいない。
 これは、もう今日の予定も決まったようなもので、仙道はどうしてくれようかと考えを巡らせたが、良い案も浮かぶはずもなく、仕方なく牧を起こすことにした。
 どうせ、俺に用事じゃないからね、あの人は。

「牧さん、起きてくださいっ。お客さんですよっ。牧さんっ!!」
 何度声を掛けても起きないので、仕方なく肘鉄を一発食らわしてみる。
 ガコッ!
「うう〜ん、何だよ仙道。起こすならもっと優しくし…て…」
 一発では足りないのか、また寝てしまう牧。仙道はもう一発食らわせる。すると。
「なんだよ、仙道…。もうちょっと優しく起こしてくれても良いだろ」
 いうなり首筋にキスをしてくる牧に、いい加減焦れてきていた仙道は、
「お客さんがきてますよ、牧さんっ」
 ふんっと言う感じで言い放つ。
「へ、客? こんな朝早くから誰だ?」

 その間もインターホンは鳴りっぱなしであったから、牧は耳を澄ませて聞いてみる。
「なんだ、藤真のヤツか。いいよ、ほっとけ。それよりなぁ…」
 仙道の首筋にまたキスをしてくる牧であったが、何だか機嫌を損ねてしまっている仙道は、無視をきめこんで牧のキスにとんと応えてくれない。
 もういい加減にしてくれよと、
「はいはい、判りましたっ。出ますよ、出てきます」
 ぶつぶつ言ってベッドから降りて玄関へ行こうとしたところ、うしろから仙道に声を掛けられる。
「牧さん、その格好のまま出て行ったら、いくら藤真さんでも驚きますよ」
 その言葉に牧は自分の姿を確認し、手近にあったバスタオルを取ると腰に巻いて、玄関まで出て行った。
「やれやれ、牧さんも大変だな…」
 溜息をつく仙道だった。


 まだ鳴り止まないインターホンを聞きながら、
「いい加減にしろっ、藤真っ」
と、言うなりバッとドアをあけると、そこには、今日も暑苦しいくらい元気な笑顔の藤真がいた。
「おっはよー、牧。元気ぃ?」
 くらくらと脱力しかける牧だったが、体制をすばやく立て直すと、腰に手を当てて、
「何の用だよ、こんな朝早くから」
「遊びに来た」
 しれっという藤真に、またもくらくらとしてしまいそうになる牧だが、ここは何としても追い返さなければいけない。
「ダメ」
 ピシャリと言い放った。が、それでめげる藤真でもなく、
「なんで?」
「あ・あのなぁ、何でって、仙道がいるからだよ。気を利かせろ」
「なんだ、仙道か。なら良いじゃんか。知らない仲な訳じゃないんだから」
と言いながら玄関の中へ入ろうとするのを牧は、パシッとばかりに足で止める。
「入れてくれたって良いだろ」
「ダメだ。久しぶりなんだから、ほんとに気を利かせろ、藤真」
「まきぃ〜」
 何とも甘ったるい声で、今度は甘えてくる藤真だった。
「うっ…、あ、あのなぁ…」
 こんな風に甘えられると、昔、惚れていた事もある牧は藤真をどうにも突き放す事が出来なくなるのだ。
 後ろには仙道、前には藤真。ピンチな牧だった。



 玄関先での五月蝿いやり取りを聞きながら、仙道はジーンズを履いて、シャツに腕を通していた。
 あれだものなぁ。何時までたっても弱いんだから…。
 きっと同棲している花形が朝早くから出かけていないのだろう。暇で仕方なくか、怒ってかはしらないが、それで牧のところまで押しかけてきたのだろう。
 盛大な溜息をついて、仙道は玄関へと出て行った。

「牧さん、風邪ひきますよ」
 そう言って、牧の肩にバスローブをかけてやる。
「ああ、すまんな」
「いいんですって」
 それから藤真に向き直った仙道は、
「おはようございます、藤真さん。今日はまた、何のご用ですか?」
 極上の笑みを浮かべながら嫌味もちょっと付け加えた挨拶をする。藤真の方も負けてはいない。こちらもさらに超極上の笑みを浮かべながら、
「おはよう仙道。遊びにきたから入れてくれ」
 ダメと言う仙道の声が耳に入っていないのか、大男二人が立っている玄関から、178cmのその人は、遠慮と言う言葉をしらないかのように、づかづかと入ってきた。

 こうなってしまっては牧も仙道もどうすることもできず、ふたりして顔を見合わせて、おおきな溜息をつくしかなかった。
 そして、こそこそと、

――― 牧さんがちゃんと追い返さないから…
――― 俺も頑張ったんだけどな…
――― でも藤真さん、入っちゃったじゃないですか…
――― ん〜、まあなぁ…
――― ほんとに、もう…

 そんなふたりの密かな言い争いを気にしない藤真は、キッチンから、
「おーい、お腹空いてるから、何かたべさせてくれよー」
 その声に仕方なくキッチンへ向かおうとする仙道は、ジロッと牧を睨むのを忘れないのだった。

 トースト2枚とコーヒーだけを用意して藤真の前におき、盛大な溜息とともに仙道は、
「これだけしかありませんから
と、嫌味たっぷりに言い放つ。
 藤真は目の前に出されたトーストとコーヒーを見て、仙道へわがままたっぷりに、
「もっと良いもの、ないのかよ〜」
駄々をこねるのだった。
 牧はふたりを遠巻きにして見ているだけであった。仙道が怒っているのが手に取るように判るので、おいそれとは近づけないのである。
 そんな牧の心中を知ってか知らずか、仙道は、もう自分のするべき事は済んだと言わんばかりに、居間に置いてあったスポーツバッグを取り上げると、さっさと帰り支度を始めた。
 キッチンの入り口で、まだ固まったままの牧の横を通り、
「オレ、もう下宿に帰りますね。後はがんばってください、牧さん」
 その声にハッと我に帰る牧。慌てて、
「え、もう帰るのか。まだ良いじゃないか、こんなに早く帰らなくても…」
「オレがいちゃ、邪魔でしょうから」
 ひらひらと手を振りながらスニーカーを履く。その背中に向かって、
「おい、仙道」
 声を掛けても振り返ることもせず、仙道はドアの外へと消えていった。
 せっかくふたりの休みが久しぶりに重なって、本当なら、今日一日、どこへも出かけずに、仙道にぴつたりくっついて抱きしめていたかったのに。肩を落とすしかない牧だった。

 その間も、突然やってきた台風の如きの藤真は、牧に、もっと何かつくってくれと五月蝿いほどにせがんでくる。
 溜息をついて、気落ちした牧は、仕方なく、サラダを用意してやるのだった。
 トーストにコーヒーだけの時は文句を言っていたが、サラダをつけてもらって取り敢えずは満足したのか、藤真は嬉々として朝食を食べ始めた。トーストとコーヒーのお代わりを要求してきたのは、言うまでもなかったが。
 牧はと言えば、仙道が用意しておいてくれたコーヒーを飲みながら、そんな藤真を見ているだけだった。

 ふと、牧の目に冷蔵庫に貼り付けてあったカレンダーが目に入った。
 八月のそれには、牧と仙道の休みに丸がついてある。そして、今日の日にちを確認して、牧はある事に思い至る。
 今日、八月十五日は、ふたりの休みが重なった日でもあったが、思い出したのだ。藤真の誕生日でもあったのだ。

――― はは〜ん、それで花形と喧嘩でもして、拗ねてんだな。やれやれ…

 牧は、コーヒーを飲んでいる藤真に聞いてみた。
「花形はどうした?」
「朝からいねぇよ、あんなヤツ」
 ふん、とばかりに答える藤真だった。
 残りのコーヒーを飲み干すと、牧は藤真に、子供へ言い含めるような感じで話し始めた。
「あのな藤真。花形がいないから、だけじゃないんだろ、ここへ来たのは。今日がおまえにとって特別だったからだろ。それ位の事は、花形だって判ってるだろうに。それでも出かけたという事は、余程の用事があったんだろ。それなのに、いちいち拗ねてたりしてたら、いくら寛大な花形でも、うんざりするだろうよ」
 牧の言葉をなにも言わずに聞いていた藤真は、コーヒーカップに視線を落とすと、ぽつりと。
「…それでも、一緒に、居たかったんだよ…」
 最後は消え入りそうな声で心情を吐露する藤真に、牧ははぁ〜と溜息しか出てこない。
 一緒に住んでいるだけでも幸せだろうに、この目の前の駄々っ子は、相当に甘やかされているからだろうか、それだけでは満足しないらしい。
 オレなんて、仙道と暮らせるなら、そこが地球の果てでも幸せなのにな。

 しかし、このまま藤真に付き合っていても仕方がない。怒って出て行った仙道と何とか仲直りしなければいけない。でなければ、別れるとか言い出されかねない部分があったりするから。
 あれこれと思案していた牧は、藤真の目の前に、鍵を置いた。
「オレはこれから出かけるから、帰るんなら、鍵を閉めといてくれ。鍵は―――、そうだな、新聞受けにでも入れといてくれ」
 じゃ頼んだぞと言うと、牧は藤真の事はそっちのけで、出かける準備をさっさと始め、もう一度念を押した後、部屋から出て行った。