ひまわり-2-



 ドアの閉まる音を、コーヒーを飲みながら聞いた。
 まったく、どいつもこいつもオレをほったらかしにしやがって…。
 テーブルの上にドンとコーヒーカップを置いた藤真は、心の中で悪態をついた。
「そりゃな、オレだって判らなくはないよ。用事が大事なんだろうってさ。でもな、だからって今日みたいな日に出かけるか、普通」
 オレは花形の時は、一日空けといたぞ。

 朝食を食べ終えた藤真は、勝手知ったる他人の家、てな感じで、居間の方へ行き、何か面白いビデオでも見ようかと思い、物色を始める。
 バスケの試合のビデオは、今日は見たくない。できれば思い切り笑えて、何もかも忘れさせてくれるものが良い。
 しかし、そういった類のものは見つからず、あれでも牧は真面目なようで、バスケの試合のビデオしか置いてなかった。
 しかたなく、大の字に寝転がる藤真だった。
 天井を眺めていると、嫌でも今朝の事を思い出してしまう。


 朝、早くに目が覚めた藤真は、今日の自分の誕生日に、花形が何をしてくれるのか、どういった祝い方をしてくれるのか、それはそれは楽しみにしていた。
 楽しみにしすぎて、まだ寝ていた花形を起こしてしまったほどだった。
 わくわくしながら花形からの寝起きの第一声を待っていたら、その言葉は藤真へではなく、
「しまったっ、寝過ごしたっ!!! 急いで大学行かなきゃ」
と叫んで飛び起きたのである。
 はぁ? 嘘だろ、花形。
 藤真がぽかんとしている間にも、花形は急いで着替え、鞄の中身を調べている。そしておもむろに、
「あ、藤真、朝ご飯いらないから、行って来るね。早めに帰るから」
 その言葉でハツと我に帰った藤真は、花形を引きとめようと、
「こんな日に何で出かけるんだよ。ずっと楽しみにしてたのに。花形だって約束してくれてたじゃないか」
 靴を履きながら、申し訳なさそうな声で、
「ごめんな藤真、どうしても抜けられない用事なんだよ。できるだけ早く帰るから。悪い」
 悪いと思ってるなら出かけるなよ。
 そう言いたかったのに、言う前に、無情にもドアの外に花形は消えてしまっていた。
 結局、言えたのはこれだけだった。
「花形のばかやろーーーー


 藤真は、誰憚ることなく盛大な溜息をついた。そうして、天井に向かって、
「花形のばかやろーーっ」
 言えば言うほど空しくなってくる藤真だった。
 他の日ではなく、特別な意味を持つ日の誕生日には、せめてふたりきりで過ごしたかった。他の事なら何とか我慢する。けれど誕生日だけは。花形のその日には、自分は一生懸命に尽して過ごしたと思っているから、尚更に自分の時の特別な日にはどうしても、と思ってしまう。
 それなのに、花形ときたら…。
 情けなくってやるせなくなって、終いには怒っていた気力さえ萎えてしまってくるのだった。
 そんな藤真を、睡魔が襲ってくる。
 今朝が早かったこともあり、何も食べずに家を飛び出して、先ほど出された朝食で空腹が満たされた事も相まって、瞼が鉛のように重い。
 いつしか藤真は、ぶつぶつ言いながらも眠りについたのだった。


 どれくらい寝ただろうか、ふわっと目が覚めた藤真は、だれ憚ることなく大きな欠伸をした。そうして、涙を一杯ためた目を擦りながら、ぼんやりした頭で考える。
 え〜と、ここはどこだっけ?
 牧の家に腹立ち紛れに来ていた事を思い出すと、やはり口をつい出てくるのは溜息ばかりだった。
 これからどうしようか…。
 とりあえず起きて、座り込んだは良いが、何もするあてのない藤真だった。
 時間を確かめると、もう昼前になっている。どうりで腹が空いてきていると思った。
 ここは仕方なく、牧の家から出ることにした。花形との愛の巣へ帰るのは夕方でも良い。

 牧に言われた通りに鍵を新聞受けに入れ、マンションをでる。
 真夏の太陽が、容赦なく藤真に照りつける。目を眇めて、恨めしそうに空を見上げ、雨でも降らないかと思うが、これでもかと言うほどに晴れ渡っていて、藤真の願いを聞き届けてもくれそうにない。
 溜息をついて、とぼとぼと駅までの道を歩き始める。
 今日はよくよく溜息をつく日だと思った。朝早くから溜息ばかりだ。おまけにこの暑さ。もう、嫌になってしまう。
 これもそれも、この暑さもなにもかも、花形のせいだ。ええい、あのやろーーーっ。
 と、強がってみても、また溜息をついてしまうのだった。

 通りを抜けて駅が見えてきた時、藤真は悩んだ。
 夕方まで家に帰らないと心に決めても、もう何処へ行くあてもないない。しようがないからこのまま家に帰ろうか、それとも、また、反対側の電車に乗ってどこかへ行ってしまおうか。
 暑さのせいもあって、どちらにしていいか纏まらない。とりあえず、改札を通ってからでも考えようかと思い、駅に近づくと、丁度電車が入ってきていたのか、人の波が改札口から流れてきていた。
 うんざりしながらも、その人の流れをみていたら、後ろのほうに、頭一つ突き出た背の高い男がいるのが見えた。
 えっ?
 目を瞬かせてよくよく見ると、その背の高い男が改札口を通って、ロータリーの方へと向かってくる。そう、藤真のいる方へ。

花形っ!!!

 その声が聞こえたのか、顔を上げてこちらを見たのは、まさしく花形その人であった。
 藤真は汗が吹き出るのも構わずに、花形のところへ走っていった。
 いつもの笑顔が眼鏡の奥から迎えてくれる。嬉しさが込み上げる瞬間である。
「花形、こんなところに、どうして…」
「うん、あのね…」
 髪をくしゃくしゃと彼らしくなくやって、苦笑しながらぽつぽつ話し始める。
「用事のほうは、早く終わらせたよ。それで急いで家に帰ったら藤真がいなくて、代わり牧から電話があってね…」
 牧? なんで牧なんだ?
「藤真がこっちにいるから迎えに行ってやれって、珍しく怒られてさ…」
 ああ、牧の奴が気を利かせてくれたんだな。律儀な奴。ありがとう。
「それで?」
「で、迎えに来た訳。藤真、今朝はごめんな。今からでも遅くなかったら、今日、オレに付き合ってくれる?」
 花形の言葉に、あんなにも怒ってぶーたれていた藤真はどこへやらで、少し俯いたその顔には、満面の笑みが浮かんでいた。
 花形を見上げて、
「うんうん、ぜんぜん大丈夫だから。今からでも、なんでも付き合うよ」
「よかった…」
 その言葉にホッとしたように微笑むと、はいと言って藤真の目の前に差し出したものはひまわりの花だった。
「どうした、これ?」
「うん、大学の庭に咲いてたものを三本だけ貰ってきたんだ。花瓶にさせるヤツらしくて、花が小さいだろ。今は、こういう品種も出てるらしいね。知らなかったよ」
 花形と一緒にいられるなら、何も貰えなくても文句は言わないけれど、これはこれで嬉しいかもと、藤真は思う。
 ひまわりを受け取ると、花形の手を取り改札口へ急いで向かう藤真だった。
「これから、どこかへ行こうか?」
 その言葉に振り向いた藤真は、にやりと笑うと、
「まさか。急いで家に帰るんだよ。外は暑いからダメ。さ、早く」
「はいはい、言う通りにします」
 いつになく神妙な花形に、ぷっと吹き出した藤真は、今日のこれからの事を思い描いて、とてもハッピーな気分になっていた。

 花形が今朝からずっと足りなかったんだから。
 だから、これからいっぱいいっぱい花形を貰うんだ。
 覚悟してろよ、花形。


 その夜の日付が変わろうとしていた頃、藤真は腰も立たないほどに花形に愛されて、朦朧とする意識の中、今日はなんて幸せな一日だったかと思っていた。