――― 俺はいったい…
4月。
月がまだ始まったばかりの午後、綾南高校の校門横に牧の姿があった。
丁度部活を終えたバスケ部員達が帰ろうとしていた時、越野が先に気がついた。
「あれって、海南の牧じゃねぇ? てか、卒業したんだよなあの人…」
越野の指さす方をみれば、先月卒業式を終えたばかりの牧がいる。
「どうしてこんなとこに?」
「用事でもあるんか?」
「さあ、わかんね」
眩しそうに仙道は向こうに立っている牧を見つめた。
あの日別れてから一切連絡を取り合わなかった。忘れていたわけじゃない。むしろ、牧を思わない時がないくらい、ずっと思っていた。
どうしているか、何も言ってこない自分の事を少しは気にかけてくれているだろうか。自分が忘れずにずっと思い続けているように、牧も思っていてくれているだろうか。
胸の奥でちりちりと痛むそれは、仙道を捉えて離してくれず。正直にいえば、苦しいと思ったこともある。
けれど、そんなことは今はもうどうでも良い。牧が待っている。自分に会うために。
嬉しくて。
「悪い、俺、牧さんと約束あったから先に帰るよ」
「え?」
「おい仙道っ」
驚いている仲間たちに振り返りながら告げると、仙道は牧が待つ校門まで走りだした。
「牧さん」
仙道の声に振り向いた牧は、
「仙道、練習はもう終わったか?」
「はい…、今日はなんで?」
「まぁ、ちょっとな。少し歩くか」
促され、牧に少し遅れるようにして二人は歩き出した。
緩い坂道を降りながら、
「仙道の…」
「俺の?」
「お前、下宿してるんだろ?何処にある?」
首を傾げた仙道に、
「一度見てみたいと思って、お前の住んでいるところを」
「いいですよ、学校からそんなに遠くないです」
何か面白いですね、と、仙道は牧と並んで歩き出す時にはにかむ様に言った。
返事の代わりに牧は、顎で先を促す。
「踏切の手前を左です」
「そか」
それきり会話らしいものはなく、緩やかな坂道を下る二人をまだ少し肌寒さを残す風が行き過ぎるだけで。
仙道は、自分に会いに来た牧が何も話さないことに、理由さえもまだ知らされていない事に特に不満も不安も持たなかった。こうして二人だけで歩くことが特別な事のように思えるから。
小さな交差点を左に折れ、15分ほど歩いた頃、
「あのアパートです」
指さす方を見て、
「ああ…」
目指すアパートの前に着いた時、
「部屋、上がりますか?」
「…いや、ここで良い。お前の住んでいるところだけ見たかっただけだから。海も学校も近くて良いな」
「ほんと、監督には感謝です」
足元の石ころをコンと蹴る。その時、
「仙道」
「はい…」
「手をだせ」
言われるまま右手を出した仙道のその掌に牧は、ポケットから出したものを渡した。
「これって」
それは何処かのドア・キーだった。
牧を見る。
「ん、なんて言うか…、あれだ、一人暮らしを始めた」
「牧さんが?どうして…」
「大学生になるから、ま、社会勉強かな」
吹き出す仙道に、
「○○駅から10分のところのマンションだ。4階だから」
「…だから?」
「いつでも遊びに来たら良い。俺がいない時でも遠慮はいらない」
「牧さん…」
「じゃ、俺は帰るよ。用は済んだから」
仙道の肩をぽんと叩いて、牧は踵を返した。
手の中のキーを見つめ仙道は牧に、
「牧さんっ、なんでっ…」
その返事のつもりか、牧は振り返りもせずに手だけをあげて振るだけだった。
その夜。
仙道はテーブルにキーを置いたまま寝転がっていた。
昼間会った牧の事ばかりを考えてしまう。
新しい部屋のキーだと言っていた。何時訪ねても良いのだと。牧が、多分自分だけに。
彼の想い人は、今は誰かのものになっている。
心の穴を埋めるために?叶わなかった変わりに?
もし、そうだったとしたら。いや、そうだったとしても、牧が自ら動いて自分を誘いこもうとしている事実には変わりはない。
だったら答えは一つしかない。
仙道は起き上がり、キーを手に取った。
――― 牧さん、あんたの手の中に入るよ…それから…
「離さないからね」
う〜んと伸びをした仙道は、今夜は眠れそうになかった。