プラネタリウム -2-



 まだ薄ぼんやりする目を指でこすり、明るい方に首を傾げる。

――― 朝…なのか…

 喉がやけに乾いている。なにか飲みたいと身体を起こそうとしてようやく気がついた。
「…仙道…?」
 大きな男である。身体の重みもあるだろうにさして感じなかったのは、身体半分を自分に預けるようにして寝ていたからだろうか。
 それにしてもどうしてこんな風に寝てしまっていたのか、牧には覚えがない。
「起きろ仙道…おい…起きてくれ…」
 仙道の肩を押しのけるようにしてみても、動かない。仕方なく頬を軽く叩いてもう一度名前を呼んだ。
 もぞもぞと、ようやく牧の上から起きだした仙道は、
「なんですか牧さん…、まだ眠いのに…」
 のびをしながら大きな欠伸もして、まだ眠い仙道は目を擦っている。
「ふぁぁ…牧さん、起きるの早いっすね…」
「おまえ、いいからどけ…」
「んぁ、ああ、ごめんなさい」
 首の辺りを掻きながら胡坐をかいた仙道のすぐ目の前を牧は起き上がり、早くなにか飲みたくて立ち上がった。立ち上がったつもりだった。
 毛布に足を取られ、滑ってしまったのである。とっさに仙道に腕を支えられたからよかったものの、
「まだ酔ってますね、牧さんは。だめだなぁ」
「あのなぁ、足を取られて滑りかけただけだ。仙道、お前、それよりどうして……」
「ここにいるかって?」
「ま、まあ、それもあるが、なんでくっついて寝ていた?」
 ふっと笑った仙道は、
「牧さんが離してくれなかったからですよ、覚えてないんですか?」
「おまっ、仙道、なんてことを…」
「覚えてなかったら良いですけどね、ゆうべは楽しかったなぁ…」
 牧は、昨夜のことに頭を巡らせる。
 藤真と仙道と三人で久しぶりに飲んでいた。藤真が帰った後は…仙道と飲みなおした事は覚えている。が、何を話し、何がきっかけで一緒に寝ていたのかが思い出せない。
「俺は…」
 茫然。その言葉そのままの牧が、仙道には何となく嬉しかったりする。牧の真面目な人柄なのだろうなと思う。
 仙道は、昨夜の事に思いを馳せた。



 
「なあ…」
「はい」
「仙道は……」
「なんですか」
「…仙道は………」
 飲むピッチはそんなに早くはなかった。牧は時折、手に持つグラスを見つめていたり、どこか遠くを見るような仕草をする。言いたいことがあるのかそうでないのか、話したいことがあるのかそうでないのか。おおよそ仙道のよく知っている牧らしからぬ感じなのだ。今も、名を呼ぶだけでその先には進まない。
 頑ななわけでもない、ただ、牧自身に自然に身に付いているものが口を滑らかにさせないのだろう。胸の内を曝け出すのを、きっとよしとしないのだ。それなのに切なさに迷っている。
 牧が迷っている。帝王とまで呼ばれ、他の誰をも寄せ付けない圧倒的な強さを誇っていた男が迷っている。
 恋をして。
 焦がれながら果たせなかった想いをふっきれないままに、迷っている。吐き出されたいと願う想いが、迷わせている。
 真摯な想いだったろうことがみてとれて、仙道はどうにも疼く胸の奥のチリチリと痛むような感覚を久しぶりに思い出していた。

――― そんなに無防備でどうするの…

「ん?  なにか言ったか?」
 案外に聡い彼は柔らかな声音で問うが、見透かされているのが己であることには気が付いていない。

――― まいったな…

「牧さんは…」
「ん?」
 声をかけてみたけれど、その先が出てこない。いや、そうじゃない。喉まで出かかっているのに、何かが押しとどめている。
 確かめた方がいいのだろうか。牧は、藤真に好意を持っている。恋という名が持つ甘い香りのようなものをその身に纏わせて。本人にその意識がないだけで、傍にいるだけで伝わる想いにこちらが戸惑ってしまいそうになる。

――― このひとって、本当はとっても素直なんだ…

「牧さんってさ、弱いところなんて見せないですよね」
「俺か…そうだな…どうなんだろな…迷うとかそういうのには縁がないな」
「はは、牧さんらしいや」
 自覚のない分、やっかいだ。それを本人は知らない。
「だけど…」
「なんだ?」
「牧さんは、今迷ってる」
 牧の視線が仙道を捉える。静かに。驚くでなく、非難するでなく。静かに見つめる。
 仙道は、もうそれ以上は何も言わず、見つめられるままに見つめ返す。
 先に逸らしたのは牧の方だった。
「今夜は…仙道、俺のそばにいろ」
「いいですよ、付き合いますよ」
 その言葉を受けて牧は、彼には珍しい柔らかな笑みを仙道に向けた。
「氷、とってきます」
 立ち上がる口実をみつけ用事を済ませると、牧の隣に座り込んだ。

 互いに横顔を見ては笑いあい、互いの手元を見てはとりとめのない話をした。暖房もよく効いているいる部屋だから、途中からは上着を脱いだ牧が横になって。仙道はその横で、言われた通り傍を離れずにいた。
 そうして、いつの間にか眠りに落ちて行ったのだ。
 夢うつつの中で、腰をひかれた記憶がある。




「ねぇ牧さん…」
 いまだ茫然としている牧に仙道は、
「牧さんは昨夜、俺を抱いたんですよ」
「っ…、本当か仙道…」
 らしからぬ風で目を瞠って問う牧に、仙道は噴出した。
「仙道、おまえなぁ…」
「すいません、ごめんなさい。嘘ですよ、なんにもありませんでしたから」
「あ、あのなお前…、ほんとに…」
「牧さんがあんまりらしくなかったから」
 くすくす笑う仙道の目尻には涙がたまって仕方がない。
 ふう、とため息をつく牧に、
「牧さん」
「今度は、なんだ?」
「昨夜は遅くまで飲むのに付き合いましたから、今度、俺に付き合ってください」
「どこかにいくのか?」
「内緒ですけどね」
 人差し指を唇にあて仙道はいたずらっぽく笑うと、
「俺の好きなところについてきて下さい」
「ああ、何時いく?」
「そうですね…あさってが良いかな。1時に海岸前の駅で。約束ですよ」
「判ったよ」
「じゃ、指きりしましょうか?」
 牧は仙道を小突くと、
「ばか…」
 
 仙道はなんだかおかしくて笑いがとまらない。久しぶりに感じた、嬉しいという気持ち。
 牧に話せば、きっとこんなことぐらいでと笑い飛ばすかもしれない。だけど、本当に久しぶりにこんな気持ちになった。

 今はまだ漠然としたものだけれど。
 いつか、形を成すかもしれない。
 それは、そう遠くないかもしれないと仙道は思った。