-春休みver.1-
「兼満、入るわよ」
ノックの音と共に母親がドアを開けた。
一人息子は、床に敷いた布団の上で欠伸をしながら目を擦り、
「…おはよ…」
「朝ごはんの用意してあるから食べてね」
「うん、ありがと…」
「来て下さってる先輩にもちゃんと用意するのよ」
「判ってるから…。行ってらっしゃい」
「じゃ、行ってくるわ。あ、それから、上くらい着て寝なさいよ。風邪ひくわよ」
「…判ったから。遅れるよ、母さん…」
「あら、いけない。急がなきゃ。そうそう、出かける時は鍵はちゃんと―――」
うんうん、はいはいと頷きながら手を振ると、母親はやっとドアを閉めてくれた。
途端に、身体から力が抜ける。
「あっぶねー…」
真行寺は布団の上で、ほっと胸を撫で下ろすのだった。
すぐ横のベッドでは三洲がまだ寝ている。
「着てってかぁ…。昨夜はそのまま寝たんだっけ…」
二人とも最後は疲れ果て、シャワーをあびる元気さえ残っていなかった。
そのまま寝入ってしまった三洲の身体をタオルで拭いた後、真行寺は三洲に寄り添って眠りに落ちていった。
夢の谷間をゆらゆらふらふらしていた丁度その時。
不意に聞こえたあの音は?
階段を上がってくる足音に気がついた真行寺は、咄嗟に床に敷いてあった布団に転がり落ち、掛け布団を掛ける。
今まで床の布団で寝てました、の顔をした息子に、ノックもそこそこにドアを開けた母親は「入るわよ」と声をかけたのだった。
なんて絶妙なタイミング。
てか、母さん、ノックしながらドア開けたらノックの意味ないじゃん。
「危ない危ない。もう少しで見つかるとこだったよ…」
親に見つかったりした日には、アラタさん激昂して俺との交際止めるって言うだろうなぁ…。
やれやれ。
実家で致すという事は、節約できる分とってもデンジャラスでもあった。
それはさておき。真行寺は思い出す。
春休みも終盤の三月の最後の日の昨日。
予てよりの約束で、三洲は真行寺の家に遊びに来てくれた。
祠堂での最終学年に進級する真行寺にとっては、春休みはまだゆっくりできるのであるが、四月から晴れて大学生になる三洲にとっては、この三月から四月と言うのは何かと忙しい。
その為、真行寺からの―――キャンキャン煩く吠えまくる犬のようにー――それはそれはシツコい「春休みに会いたい。家に遊びに来て」攻撃をかわしにかわしまくったのだけれど、結局は最後は根負けしてしまった形で、真行寺の家に来たのだ。
返す返すも俺は不本意なんだよオーラを、駅まで迎えに来た真行寺に出しまくってはいたけれど。
無論、三洲は一泊するつもり等なかった。
だが、しかし。そこは何となく。なし崩し的に相変わらずの何時ものように。真行寺の腕の中におさめられてしまえば、悔しいかな、その居心地のいい誘惑に勝てるはずがないのも事実であった。
真行寺曰く、伊達に二年間カラダの関係続けていた訳じゃないからね。
昼間の三洲と自分以外は誰もいない家の中。
否が応にも、ムードだけは高まっていくというもの。
三洲の卒業後会っていなかったから。四月になってしまえば、そうそう会える時間がないから。
真行寺は溜まっていた分とこれから溜まるであろう分を、三洲は渇かえた分と渇かえるであろう分を、ともに補い合ったのだ。
それはそれは夢のような時間だった。思わず顔がニヤけてしまう。
涙で潤んだ瞳。
うっすら紅潮した頬。
白い肌に散らばされている鬱血した痕。
唇から零れる甘い吐息。
数え上げたらキリがない三洲の罪深いまでの艶っぽさが思い出され、何やら下半身が落ち着かない。
「あ〜あ、俺も今年は18歳か…。うら若き高校生男子だもんね」
「んん…」
その時、ベッドで眠る三洲が寝返りをうった。
こちらに向けられた無防備に眠る三洲の顔は、あどけない幼さを湛えていた。
真行寺は片想いをしていた頃に思いを馳せ、今この時の幸せを噛みしめる。
で、その薄く開けられた唇にチュッとキスをした。
「アラタさん、朝だよ…」
「ん…」
真行寺の声に薄く目を開けた三洲はぼんやりしている。
何度か瞬きを繰り返し、目の前の男をを見つめる。
どうして此処にこいつがいる・・・?
まだ覚醒しきれていない頭で、遠くに飛ばしていた意識をなんとか手繰り寄せる。そうして徐々に思いだされていく記憶の数々。真行寺と致した、あんな事やこんな事。
泊るつもりはなかったけれど、翻弄され溺れる事を望んだのは紛れもなく自分だけれど。
やっぱり、こいつが好きなんだと。悔しいけれど、そこは認めるしかない。
そう言えば、まだ言ってなかったっけ…好きって…
ま、良いか…父さんには言ったんだから…
「…ああ、真行寺…」
「おはよ、アラタさん…」
「…おはよう、お前、早いな…」
えへへ、と頭をかく真行寺につと手をのばす。
何だろう、て感じで三洲に近づくと、首の後ろに回した手で引き寄せられて。
先に目を閉じた三洲に、真行寺は唇を触れ合わせた。
チュッと音を立てて離れると、そこには真行寺がいつだって慣れることのない三洲の笑顔があった。
もう俺、くらくらして朝からヤバイんじゃね…?
真行寺兼満、17歳。
それは、ようやく温かくなってきた春の訪れを告げるようなキスだった。