手帳の栞はきみのメモ 


-春休みver.2-


 遅めの朝食を用意するために、二人でキッチンに立つ。が。


「アラタさん、座ってて。俺が用意するから」
「用意って、一からお前が作るのか?」
「うーんと、母さんがだいたい作ってくれてるから、コーヒー入れて、目玉焼きくらいっすねぇ。楽勝っすよ」

 フライパンを持って嬉々として台所に立つ真行寺を見ながら、何となく落ち着かない三洲であった。
 手伝おうかと言っても、良いから良いからと何もさせてくれない。ならば、せめてコーヒーくらいはと、立とうとすると座っていてと言われる。
 俺にだってできるからと、強引に真行寺の横に立つと、真行寺の何とも言えない瞳とぶつかる。

「何だよ…」
「アラタさん、台所に立った事あるんすか?”男子、厨房に入らず”って感じでしょ、アラタさん家。何にもさせてくれなさそうだし、大丈夫?」
「煩いよ、お前」

 肘鉄砲を食らわす。
 痛ぁー、なんて言っているが、嬉しそうにしている真行寺は実に楽しそうだ。
 馬鹿か、こいつは。
 なんて思ったりもするのだが、馬鹿って言うか、有り得ないって言うか、自分がこうして台所に立つ日がやってくるなんて、明日は槍でも降ってくるんじゃないか?

「あっ、良い事思いついた!」
「お前の”良い事”に、良かった試しはないけどな」
「ひどっ! 良い事、あったじゃんよー。俺とこうして出会えた事と…ってーー!」

 今度は向う脛を蹴飛ばしてやった。
 そう言う恥ずかしい事はな、夜に言え。
 って、俺も何を考えてるんだか…。我ながら、やってられない。



 何だかんだと支度が終わり、ようやく食べ始める。
 真行寺がマーガリンとジャムをぬって渡してくれたトーストは、良い感じに焼けていて歯応えも申し分ない。
 コーヒーもなかなか良い味になっている。目玉焼きも俺好みだ。これなら合格点をやれるな。
 なんの…?
 ふと湧いた言葉は、気づかなかった事にしよう。

「真行寺…」
「なんすか?」
「お前、今年は階段長には選ばれなかったのか?」
「ああ、それなら…」
「ん?」
「昨日、祠堂から電話があったすよ。アラタさんの言う通りで、階段長の候補になってるとかどうとかって…」
「なんて答えた?と言うか、何階だ?」

 気になる。凄く気になるが、ついつい相変わらずのポーカーフェイスで聞いてしまう。
 意固地なプライドが邪魔をする変な癖は、今でも健在だ。素直になるって難しい。

「…三階か四階って。返事は今日するんすよ。一晩考えて決めてくれって…」

 そんなの即決だ。

「断れ、真行寺」
「へ? あ、やっぱり、俺には荷が重すぎるすよねー。そんな柄じゃないしねぇ」
「そういう問題じゃない」
 トーストを頬張りながら、「は?」と、目が問うている。
 こいつの上目使いには、結構ドキっとさせられる。無自覚なのが始末に負えないんだよ、まったく。
「お前、今年は受験生なんだ。俺と同じ大学狙ってるのに、人の相談に乗ってる場合じゃないだろ。しかも、剣道部の部長にもなってるんだ。断れ」
「うぃっす」

 三階とか四階の階段長なんて冗談じゃない。
 真行寺は自分じゃ本当に判ってないから、だから馬鹿なんだが。
 意外にモテるのだ、こいつは。
 見目が良いうえに上背があるから、やたら目立つ。しかも、人懐っこくて真面目で真っすぐで明るくて物おじしない一直線なヤツだから、これが結構引く手数多なのだ。
 そういう真行寺の噂を、一年生の頃はあまり聞くことはなかったのに、二年生になってからと言うもの、嫌と言うほど耳に届いてきていた。
 その度に、どれだけ俺が胃の痛みを感じたことか。
 ふぅ…、思い出すだけでムカついてくる。真行寺は俺のもんなんだよ、ったく。

「…アラタさん、どこか痛むの? 昨日、きつくしたから…」
「ん?」

 真行寺が何やら心配そうな顔をしている。
 お前の事を考えてたんだよ。
 この三洲新が一人の男の事を考えるだけで、仮面がペラペラ剥がれてしまうなんて。
 盛大にため息をついた。

「いや、真行寺が心配するようなことじゃないさ」
「じゃあ、なに考えてたのさ? 眉間に皺寄せて…」
「ん…そうだな…」

 やれやれ、ここはひとつ釘を刺した方がいいな。

「真行寺」
「なに、アラタさん…」
「浮気するなよ」
「ぶっ!何でアラタさん!!!俺の事、信用してないのぉ?かなしーーー」
 よよよ、と泣き真似する真行寺の頭を小突いて、
「ばーか、そんなんじゃないよ」
「じゃあ、どうして…」
「俺が音楽祭の事で忙しくなり始めの頃だったかな…」
「あー、あの頃って、アラタさん、すっげー忙しかったすよね…。なんか、懐かしい…」
「忙しくて、お前とあんまり話とかできてなかったからだと思うんだが」
「…あったねぇ…」
「もう顔も覚えてないけれど、一年生だった。手紙を渡してくれって頼まれた事があるんだ」
「へ…?」
「三洲先輩、これ、真行寺先輩に渡して下さいって」
「なななななにそれ!!!えええっ、てか、なんで、そんな事頼むかなぁ、アラタさんに……ヤバくないっすか…」

 三洲は当時を思い出してか、可笑しそうに笑っている。
 真行寺は、初めて聞くそんな話に目を白黒である。

「そんで、アラタさん、頼まれた手紙は、どうしたっすか?」
「ああ、あれか?風に飛ばされてどこかに飛んでいったよ」
「…それって多分…焼却炉の中にっすね…」
「何、真行寺、読みたかった?」
「んな訳ないじゃないですか…。貰ったって、どうしようもないもん、俺。アラタさんだけで精一杯だったから…」
「だな。真行寺は、俺に一直線だったものな」

 だから、他所見はするな。

「そうだ、真行寺。生徒手帳と携帯電話を見せろ」
「…?…」
「いいからいいから」


 なにが良いのか判らないまま、真行寺は二階から生徒手帳と携帯電話を持ってくる。
 実は、生徒手帳は三洲には見せたくはないのだが。ないのだが、目の前で「さあ」と言うように手を出されていては、渡さない訳にもいかず。仕方なく、三洲の手に言われたものを差し出す。

 まずは携帯電話を見る。
 電話帳の登録は…自宅と三洲の携帯と実家の番号だけ。よしよし、合格。
 次は生徒手帳。
 表紙を捲って――――――。しばしの間の後、パラパラと捲って、こちらも合格。

 三洲の目の前で大きなカラダを小さくさせている真行寺に、それらを返す。
 真行寺は仰々しく「有難うございます」と言いながら受け取っている。
 思わず笑ってしまった。

「…アラタさん…、怒んないの…?」
「どうして?」
「…写真…」
「ああ、その写真ね。俺以外のだったら即効でサヨナラだけど、俺の写真だし」
「よかったぁー。なんかハラハラしたっすよ…。心臓によくないや…」
「ふふん。で、その写真はどこから手に入れたんだ?」
「ほら、俺の同室者が写真部の部長になったんすよ。でね、文化祭も体育祭も終わった後に、”真行寺は報われない毎日送ってるから、これやるよ”って言ってくれて」
「へえ、お前は良い友人に恵まれてたんだな」
「て言うか、俺がアラタさんに片想いしてるの有名っすから…」

 はにかむ様に笑う真行寺につられて、三洲も笑う。
 ふと、真行寺が真顔になる。
 首を傾げて、どうしたのか、と問いかける三洲の眼差しが本当に綺麗で。思わず手を伸ばして頬に触れる。
 まるでその瞬間を待っていたように、どちらからともなく顔を近づけて、唇を触れ合わせる。
 そっと離れた時三洲は、浮気はするな、と唇だけを動かして伝える。
 大好き。
 伝えられる吐息を追うようにもう一度口づけた時は、互いが互いを深く求めあった。




 春本番。
 共に、生まれて初めての遠距離恋愛の始まりであった。