手帳の栞はきみのメモ 


-桜吹雪か葉桜か その1-


 本日、祠堂の入寮日。
 晴れて三年生に進級したその日、真行寺兼満は、寮の割り当てられた部屋の前で感涙に咽びなく思いで立っていた。
 三洲が卒業した後の祠堂で、どうやってこの一年間を過ごしたらいいか悩んでいた事が、今ここで報われたかもしれない。
 なんか、もう、思いっきり叫びたい。

 アラタさーーーーーーん!

 270号室の前で、きっと三洲からの置き土産なのだと。だから、当然真行寺は右側を使うつもりである。
 ドアノブに手を掛け、赤い糸ならぬ赤い縄に感謝しながら、やっとの思いでドアを開ける。
 有難い事に同室者はまだだった。
 では、遠慮なく。

「アラタさんのベッドに、ダーイブ!」

 ベッドの上で両手両足をばたつかせ、真行寺は全身で喜びを表した。
 去年まで三洲が使っていた部屋のベッド。枕もシーツも何もかもが愛おしい。
 枕を抱き締めれば三洲を抱きしめているようで。

 去年、何回くらいこのベッドでアラタさんと…

 いつもいつも罵詈雑言の嵐の中を、それでも離すまいと腕の中に抱けば、三洲はやがては大人しく真行寺の愛撫に身を任せてくれた。
 一年生の頃のまだまだ若い性は、相手を気遣っているつもりでも我を忘れてしまう。失敗だってあっただろう。ほとんど覚えていないけれど。
 秋の人肌恋しい季節の中を過ごす頃には、お互いがお互いの温もりを欲するようになっていた。…と思う。
 雪の季節を、やっぱり相変わらず罵倒だけはされつつも一緒に過ごした。春を越え、去年の三洲が多忙の中の超多忙を極め始めた頃は、ちょっと距離も置いたけれど。今思い返せば、そう言うのも良かったのだと思う。
 なんせ『デート』ができたのだから。

「アラタさん…、今頃どうしてるかなぁ…」

 春休みに会えたあの日、駅まで送っていってからこっち、三洲からの連絡はやっぱりない。いっそ清々しいくらいに、ない。
 真行寺は”階段長にはなりませんでした”を伝えたかったのに、何度携帯にかけても電源を入れてくれていない。携帯電話嫌いのその潔さに、感嘆すらする思いだ。
 付き合っているはずなのに。三洲の家族にも紹介して貰ったのに。どうして真行寺からは捕まえられないのだろうか。

「アラタさんらしいって言うか…、俺の声とか聞きたくないのかなぁ…」

 俺は何時だってアラタさんの声が聞きたいのに…。

「そうだ!部屋が決まった事、報告しにいこっと」

 そうと決まれば行動の早い真行寺である。
 ラフな部屋着に着替え、テレホンカードを持って一階へと向かった。
 実はこのテレホンカード。真行寺にとっては宝物なのだった。

 春休みに一度だけ会えたあの日。三洲は、多分その日しか会えないと踏んでいたのだろう。
 切符を買った三洲が改札口を通っていくのを見ていたら、真っすぐ進まずに横にちょっと逸れて、手招きされる。
 別れ際にキスでもしてくれるのかな・・・・何てことある訳ないから、何かなと三洲の側に行くと。
「手、出せ」
「へ?」
「だから、手を出せと言っている」
「はい」
 と、差し出した手のひらにポンと置かれた封筒一通。
「何これ?」
「中…」
 言われるままに中の物を出してみると、テレホンカードが出てきた。しかも何枚もある。ちゃちゃと数えたら22枚あった。
「これって…」
 三洲はほんのちょっぴり頬を紅らめると、ぷいとそっぽを向いて。
「家にあるテレカを探したら、それだけでできたから真行寺にやるよ。少し使ってるのもあるけど、それだけあれば何とかなるだろ」
「アラタさん…」
「高校生に電話代はキツいから…」
 ますますそっぽを向く三洲。
「ありがとう…アラタさん…」
「うん…。じゃな」
 その後は、振り返ることなく階段を上がっていった。
 三洲が三洲らいしいまま、それでも、すこしづつ真行寺に優しくあろうとしてくれていることが堪らなく嬉しかった。

 そういう大事な宝物のテレホンカードで、今日は電話をかけよう。
 無事に入寮がすんだ事。三洲と同じ部屋だった事。

「アラタさん、びっくりするかなぁ…」

 真行寺は受話器をとると、最初のテレホンカードを入れた。
 プッシュボタンを押していると、側に誰かが寄ってきた。

「…会長に?」
「そだよ〜」

 良かったなと言うように肩をポンと叩いて、声の主は食堂の方へ歩いて行った。
 進級して1階の階段長になった駒沢は、三洲との関係を知る同学年では唯一の仲間である。
 その背中に向かって真行寺は、びしっと親指を立てた。




 その頃三洲は、大学に来ていた。