-桜吹雪か葉桜か その2-
三洲は大学の正門を通る時、見上げた先にある桜が今が盛りと咲いている事に、思わず笑みを浮かべた。
今年の春は例年よりも気温が上がらず、葉桜になるのはまだ少し先になるだろうと思われる。
祠堂ではどうだろうか?
確か、今日が入寮日のはず。満開の桜の下での登校にはならなかっただろう。
そう言えば…
真行寺は階段長の事、どうしたのだろう。
携帯嫌いは知っているだろうに、結局、春休み中には家の方には連絡がなかった。
まさかとは思うが。受けていないと思うが。釘を刺したんだし。ついでに、浮気防止の釘も忘れずに刺したし。
何となく気なる…。いや、もっと凄く気になる。
今日くらいは携帯の電源は入れておいた方が良いかもしれない。
そんな事を考えながら、携帯を取り出しつつ正面入り口からホールへと入っていく。
ここの吹き抜けは結構な広さがあるよな…
あいつにも…
と、その時。
「三洲っ!」
「え…」
声のする方を見上げれば、吹き抜けの二階手摺から見知った顔が覗いていた。
「相楽先輩…」
相楽に声を掛けられて、三洲は本当に驚いた。ここに居る人ではなかったからだ。
ひとまず、キャンパス内にある喫茶店に入った。
「相楽先輩…スペインじゃなかったんですか?」
「いや、そろそろ本腰入れて卒業の事考えようと思って。三洲は、この大学にしたんだ。今日が初めてか?」
「いえ、先日のオリエンテーションには参加しましたから、二日目です。それより、先輩こそ、ここではないでしょう?」
「うちの大学のサークルと交流があってな。今日は誘われたんだよ」
誘われて良かったよ、と話す相楽の笑みに何となく含むものを感じたが、受け流す術は流石である。
三洲は、いつもの三洲スマイルで相楽の話に相槌をうつ。
「三洲は、自宅から通いか?」
「はい、親に負担はかけられないですから」
「三洲らしいな」
「そうでしょうか」
「そうだっ!今日はこれから予定は入ってるのか?」
「え、いえ、特には…」
三洲はデイバックから手帳を取り出して、これからの予定を確かめてみた。
ちょうどその時、三洲の携帯が鳴った。
着信を見れば、それは真行寺からである。
「ちょっと、すいません」
「ああ、いいよ」
三洲はテーブルから少し離れたところで携帯を耳にあてた。
『もしもーーーーし!』
「どうした?」
『アラタさんっ!電源、入れてくれたっすね、ありがとっす!』
「真行寺、煩いからもっと静かに話せ」
『だってーーー、声、聞きたかったすよーーー、もう何日聞いてなかったか…、俺、寂しい…』
「はいはい。だから、静かにって…」
『アラタさん、今どこ?家?散歩?それか、図書館…な訳ないよね、携帯通じたし。どこどこ?』
「お前、ほんとに高3か?小学生並みだな」
『そりゃないっすよ…。俺も、立派な高3になりましたからねっ』
「どうだか、怪しいもんだな」
『ひどっ、アラタさん…』
相楽は、少し離れたところで携帯で話す三洲を、見るともなしにみていた。
いつも柔和な笑みを湛えている後輩。そんな三洲しか知らなかったのに、去年の7月、違う顔を知ることになった。
不機嫌だった三洲。彼にそんな顔をさせた後輩。受験番号135番の、確か、真行寺とか言っていただろうか。
今、三洲に電話を掛けてきているのが誰かは判らない。家族からかもしれない。
でも、それは違う気がした。なぜなら、三洲の表情が、あれはなんて言ったらいいだろう。彼には似合わないような百面相をしているみたいに見えるのだ。
嬉しそうに、時に、冷たい目をしてみたり。あんなに表情を変える三洲は、ひょっとして初めてかもと思うくらいだ。
誰だよ、相手は……
いったい、誰なんだよ
ふと、三洲の手帳が目に止まった。
予定を確かめるために開いたままの手帳には、栞と思われるものがあった。しかし、どうみても普通の栞ではない。何かのメモ用紙に見える。あの三洲が、あんな物を使うのだろうか?
いけないいけないいけない。
呪文のように唱えても、好奇心は巨大だった。
ついつい、その栞を手にとってみた。
思った通り、折り畳まれているだけのメモ用紙だった。開けて見るとそこには、相合傘のマークに『アラタさんとカネミツ』の名前が、お世辞にも上手いとは言えない字で書かれてあった。
三洲の字でないのは確かだ。彼は、もっと達筆である。
真行寺君、…か…
三洲がこんな落書きを大事に持ってるなんてな…
「所有物」から「恋人」に昇格したといったところだろう。
しかし、相楽は思う。
三洲の場合は「所有物」の方が厄介だと思ったのだ、あの時。ならば「恋人」になった(らしい)あの後輩とは、これからは対等な恋敵になるのではないだろうか。
相楽は、メモ用紙の栞を元に戻した。
「それで、真行寺。階段長はどうした?」
『それそれ!アラタさんに報告しなきゃって、ずっと思ってたっすよーーー』
「って、お前、もしかして受けたのか?」
『へ?違いますよ。ちゃんと断りました。それより聞いて下さい、すっげーーー嬉しい事があるんす…』
「何だ、言ってみろ」
『俺、何号室になったと思います?』
「知るかよ、そんな事」
『聞いて驚いてください。何と何と、270号室なんですよーーー。俺、もう、どうしようかと…』
「へえ。流石、俺と付き合ってるだけあるな。俺の引きの強さが、お前にも作用したんだよ」
『へへへ、ありがとぅっす、アラタさん。で、アラタさん、今、どこっすか?』
ハッ、と思いだした三洲。
真行寺との会話につい夢中になってしまい、相楽をほったらかしにしてしまっている。
礼節を欠くような三洲は三洲ではない。と、自分に言い聞かせ。
「真行寺、今、大学に来てるんだ。相楽先輩と一緒に喫茶店にいる……」
『…………』
「真行寺?」
『あ、あ、あ、あ…アラタさん…』
「何だよ、どうした?」
『ううううわ浮気はなしっすよ……』
「…………」
『アラタさん?』
三洲は、ぶつっと携帯を切ると、ついでに電源も落とした。
浮気はなしって、いったい誰に向かって言ってるんだ。
一回、死んでこい!
携帯に向かって呪いの言葉をかけた三洲は、そっと深呼吸をして相楽に向き直った。
満面の三洲スマイルで。
相楽が再び恋に落ちたのは、言うまでもない。