手帳の栞はきみのメモ 


-花冷えはデート日和 その1-


「ほんとにここで良いのかなぁ…」

 真行寺は小さく呟いた。



 祠堂の入寮日以降、新一年生との対面式も終わり、真行寺の新学年の滑り出しは順調に始まった。
 剣道部にもそこそこ新入部員も集まり、こちらも順調に始まった。
 三洲のいない寂しさを、ひとまず横においておくこともできて、真行寺は何とか三年生を楽しめるなぁなんて事も思えるようになった。
 そうして二週目に入った頃の三洲との夜の定期連絡と言う名の電話でのデートの時、

『今度の日曜日、麓に降りて来いよ』
「うっそ、やたーやったぁーーーーー、会えるんすね、アラタさん!!!」
 思わず、親指ビシッとしてしまう。
『煩いなぁ…。あんまり時間はないが、とにかく降りて来いよ』
「行く行く、絶対行きます。成長した俺を楽しみにしててよね!」
『成長たって、お前、先月会ってるだろ?』
「いや、そこは、ほら、三年生になった事だし…」
『そんなに変わり映えはしないと思うが…』
「相変わらずだね、アラタさん…」
『真行寺もな。ま、いいから、時間厳守だから』
「了解っす」



 三洲との約束を守るべく、日曜日に真行寺は麓まで出かけて行った。
 バスに揺られながら、なんとなくドキドキソワソワしてしまって、訳もなく頬が熱くなったり、窓から見える景色が、良い感じに色づいているように見えてしまったり。

 これって恋のおかげ…?

 真行寺はバスの中だと言うのに嬉しさで二ヤケきった顔になってしまって、男前が台無しになっているが気がつく事はない。
 そうして、三洲との待ち合わせの店の前までやってきた。
 この店を指定したのは三洲の方だったが、店の名を聞いた時は、思わず「はぁ…?」と、聞き返してしまった。故に、三洲をちょっと不機嫌にさせてしまったが。
 が、しかし。真行寺には、三洲が何を考えているかさっぱりわからない。

 なんで、ここ?
 どうして、ここ?

 「リバーサイドテラス」と書かれた看板を見上げながら、真行寺はため息を零す。
 この店に恨みはないけれど、でも、楽しい思い出があるかと言うと、そうでもない。
 まあ、確かに、去年のあの夜は、誤解が解けて、それはそれは互いが互いを激しく求めあったのも事実。
 誤解が解けるきっかけを作ってもらったのがこの店な訳だけれど、真行寺は今でも忘れられない、はっきりと覚えている光景がある。

 三洲が相楽先輩と一緒に居た事。

 あの時の衝撃は、軽くトラウマになってしまった感があるのだ。
 三洲のことで何せ頭の中が一杯だったから、その時には気がつかなかったけれど、思い返して見れば、相楽先輩は恋敵になる訳で。
 入試の際に世話になったと言うのに。

 沢山の?マークを浮かべながら、

「ほんとに…良いのかな…」
「おいっ」
「うわっ!」

 自分の世界に入っていた真行寺は、ビックリして思わず声をあげてしまった。

「俺が声をかけるのが、そんなに変なのか?」

 三洲は腕組みしながら、絶対零度の声で言い放つ。
 冷たく細められた目に、一文字に引き結ばれた口。

「あ、アラタさん…、いや、ちょっとびっくりしただけっす」
「ふ〜ん」
「怒らないでください〜、折角のデートが…いてっ」
「煩い。人の往来のあるところでデートなんて言うなとあれほど―――」
「そうでした、忘れてました・・・えへへ」
「相変わらず、どうしようもないほど馬鹿だな、お前は…」
「アラタさんも相変わらずっすね…」

 そうして、互いに目を合わせてぷっと吹き出してしまう。
 真行寺が本当に嬉しそうな顔をするので、三洲も先程の不機嫌なんてあっという間にどこかへ飛んでいってしまう。

「いいから、入るぞ」
「あ、はい。ってか、アラタさん、ホントに此処でご飯するんですか?」
「お前、せめて”ランチするんですか”って、オシャレに言えよ。そこら辺の飯屋じゃないんだから」
「はーい」
「お子様はこれだから…」
 呆れたように言う三洲の耳元で、真行寺は囁くように。
「でも、好きでしょ?」
 真っ赤になった三洲がキッと睨むが、真行寺にはあまり効果はないらしい。
「アラタさんのそういう顔も好き…ってぇ―――」
「あ、あのなぁ」
「暴力反対でーす。ささ、入りましょ」

 まだ紅い顔の不機嫌な三洲の背中をおして店の中に入ると、ランチタイムが始まってまだすぐだった事もあり、客はそんなに多くはない。
 予め三洲が予約しておいてくれた席に通される。
 そこは…。

「アラタさん…」
「突っ立ってないで、座れよ」
「はい…」

 真行寺が座るのを待って、三洲がランチメニューを一緒に見ようとテーブルの真ん中に広げるが、どうもおかしい。
 いつもなら思いっきり尻尾を振っているであろうな場面で、真行寺がやけに大人しい。

「どうした?」
「いや、何でも…」
「…なくはないだろ。なんだ?」
「……アラタさん…」
「ん?」
「思い切って聞きますけど、今日はどうしてこの店にしたんですか?」
「なんだ、そんな事気にしてたのか」
「だって…」

 真行寺には去年の7月が蘇ってくる。
 辛くて、切なくて、どうしようもなくて。

「真行寺は、未だに気にしてるんだろ?」
「え…」

 三洲は笑顔ではないけれども、声音は優しかった。

「ここは祠堂の生徒は殆ど来ない。だから、ゆっくり話ができる。しかも、お互いに苦い思い出しかない」
「うん…」
「真行寺と二人で、そう言うのは別の事で上書きした方がいいんだよ」
「アラタさん…」
「店の前通るたびに嫌な気分になってそうだったから、お前が」
「アラタさん、俺…」
「あー、全くもう…、いつから俺は、お前の心のケアまでしなくちゃならないのやら」
「ぐうの音もでません…」
「お子様の相手は大変だから、早く大人になってくれないと」
「あざーっす、アラタさん!俺、頑張るから…」
「はいはい、で、何食べる?」

 えへへと頭を掻きながらメニューを覗きこむ真行寺。
 三洲も覗きこめば自然と近づく顔。
 ふと、お互いに目が合ってしまい、何となく無言になったかと思うと、三洲の頬が紅くなっていく。
 つられるように真行寺の頬も紅くなっていく。
 ゴクリという音と共に真行寺の手が三洲の頬に近づいた時。

「お決まりでしょうか?」

 突然、店員に声を掛けられた。
 三洲が「三洲モード」に戻れないのを瞬時に見てとった真行寺は、極上の王子の笑みでもって、

「まだだから。もう少し待って下さいね…ってぇ…」

 涙目な真行寺。当然、店員は女性である。
 「三洲モード」になれなかった後悔が混ぜ合わさった複雑な嫉妬オーラを真行寺に向け放った三洲が、真行寺の向う脛を蹴飛ばしたのだった。