手帳の栞はきみのメモ 


-ゴールデン・ウィーク協奏曲 その7-


 切なげに震える睫毛
 ひどく艶めいていた甘い吐息
 背に回された腕が、手が、指が
 いつまでも強くて
 しがみつくように、まるで…



「…アラタさん……」

 呼ばれて、ふと眼を覚ました。
 声のした方に目をやると、真行寺の顔のどアップがあった。
 寝言だったのか…。
 しかし、相変わらず男前な顔してるなと思いつつ、意識を自分の身体に向ければ、腰に手ががっちり回されているわ、その腰がど〜んと重いわ、しかも、狭苦しいわ。
 何故に自分がこんな事になっているのか、三洲は考えようとしたが止めた。
 そのかわりに、ため息一つ。
 昨夜は、夕方に部屋に入ってから、ずっと真行寺に纏わりついていたというか、真行寺が纏わりついてきたと言うか。多分、二人で纏わりついていたのだろう。
 何度、肌を重ねても足りない気がして、互いに求めあった。
 途中でシャワーを浴びた後に、真行寺が買ってきたものを少しだけ食べたけれど、それ以外は。
 話もしたかったけれど、それ以上に触れ合っていたかった、肌を合わせていたかったと言うのが本音である。
 昨日まで抱えていた不安のようなモノが、今は消えているのが何よりの証拠だろう。心は本当に正直だと思った。

 やれやれ…
 俺も変わったな…
 て言うか、終わってるな…

 等と考えていても、口元には笑みが浮かんでいる三洲である。
 

 
「おい、真行寺」
「……」

 気持ちよく、きっと良い夢でも見ているであろう真行寺は、まったく起きない。
 仕方なく、三洲は肘鉄砲をくらわす。
 それでも起きない真行寺を、今度は蹴って蹴って蹴って、ベッドから追い出した。
 ドンと言う音と共に、微かなうなり声。その後に、ようやく。

「アラタさん〜、優しく起こしてよ〜」
 
 ぶうたれながら、もそもそとベッドにまた入ってくる真行寺は、三洲の腰を引き寄せた。

「おはよ、アラタさん」

 チュッとキスをしてくる。

「真行寺」
「な〜に、アラタさん…」
「腹は空かないのか?」
「ん〜、ちょっと空いてる」
「朝食付だから、そろそろ起きて食べに―――」

 その先は真行寺の唇に塞がれてしまって、言えない。
 何度も角度を変えて口づけてくる真行寺。ちょっとでも気を緩めれば応えてしまいそうになる三洲。
 ここで真行寺に流されてはいけないと、強引に離しにかかるが、力では三洲は勝てない。

「ちょっと待て、良いから待て、待てと言ったら待て」
「何なのアラタさん、待て待て待てばかり…」
「良いから聞け。ここは10時にはチェックアウトなんだよ」
「だから?」
「飯が先だ。昨夜は殆ど食べてないだろ」
「う〜ん、俺としてはアラタさんを食べた―――」

 もう一度蹴飛ばして、ベッドから落してやったのは言うまでもない。




 朝食は、ホテルの一階のレストランで食べた。
 バイキング形式なので、二人で手分けして色々な物を持ってきた。
 ご飯、味噌汁、焼き魚、卵焼き、スクランブルエッグ、クロワッサン、ロールパン、スープ、マカロニサラダにフルーツてんこ盛り。それらを二人で食べたのだけれど、三分の二は真行寺の腹の中におさまった。三洲は、見ているだけでお腹一杯だ。その食欲たるや、真行寺が自分の分まで食べてくれているような錯覚さえ起こったほどである。
 何年先になるか判らないけれど、ちょっぴり食費代を気にしてしまう三洲だった。


 10時にチェックアウトしてからは、夕方まで特に予定はない。
 五月晴れの街の中を、ゆったりと散歩した。
 途中で見かけた書店に入り、三洲は真行寺の為の参考書選びに熱中した。すでに受験生の真行寺は、そんな三洲の横で別の本を読んでいたりする。たまに軽く蹴りをいれられたりしながら、二人は二人でいる事を楽しむ。
 真行寺は、ここしばらく感じていた焦りのようなモノが、今はなくなっていることに気づく。やはり、三洲の隣が一番落ち着く事を実感して、書店内をぐるりと見回した後、こそっと三洲の頬にキスをした。
 軽く睨んだ三洲は二冊の参考書を手に持つと、やはり書店内を見まわした後、真行寺の頬に手を寄せて唇にキスをした。
 ビックリ眼な真行寺である。
 店の中で、なんて大胆な。

「あ…アラタさん…」
「お前が先に仕掛けたんじゃないか」
「そうだけど…。俺、嬉しくて舞いあがりそう」
「宇宙まで飛んで行っていいぞ」
「あ…あのねぇ…」

 クスクス笑っている三洲が会計をすませるのを待って、二人はまた街中へ歩き出た。

「アラタさん、身体、きつくない?」
「ん〜、ちょっと疲れてきたな」
「もう少し行った先に公園があるけど、そこで休む?それか、どこか喫茶店に入る?」
「そうだなぁ…」
「お昼ご飯は、まだ後で良いからさ」
「じゃ、近くの―――」
「アラタさん?」

 立ち止まった三洲が、真っすぐ前を見ている。
 何だろうと思った真行寺が、その視線の先に目をやると。

「駒沢に、野沢先輩…」

 真行寺と三洲に気がついた野沢が、ニコニコな笑顔で手を振っている。その横では、紅い顔をした駒沢が明後日の方向を向いていた。
 つられて、真行寺も手を振った。




 邪魔をしては悪いからと、三洲が真行寺の手をとって回れ右で野沢達から離れていこうとするのを、当の野沢は全く気にする事もなく、二人を捕まえたその足で、近くの喫茶店に入っていった。
 終始笑顔な野沢は、真行寺と駒沢を席に残し、三洲と二人でセルフ・コーナーへコーヒーを注文しにいった。
 そして、コンディメントバーへ移動した時だった。

「ねえ、三洲」
「何だよ」
「まあまあ、真行寺と一緒のところを邪魔されたからって、そんなに怒らない」
「怒ってないから」
「そう?三洲は気がついてないみたいだけど、四人でここに移動してる時、ぶすってしてたよね。今もしてるし」
「してないから」
「まあまあ、そんな事は置いといて。実は、聞きたい事があるんだ」
「?」
「今日は駒沢とデートなんだけどね、時間がそんなになくてさ」
「俺達もなく―――」
「でさ、三洲って生徒会してた関係で色んな事に詳しいじゃない?」
「???」
「ちょっとだけ休憩できるところとか、知ってる?」
「はあ?」
「つまり、そう言う訳でさ、そう言う事なんだよ」

 思わず野沢の顔を見てしまったが、相変わらずにこにこしていて、真意の程が判らない。
 判らないけれど、ここは、早めに彼らには目的のところへ行ってもらいたい。

「昨日泊った駅裏のシティホテルの辺りには、オシャレで新しいのが幾つかあったな」
「駒沢と一緒でも大丈夫かな?」
「大丈夫だろ」
「そっかー、やっぱり三洲に聞いて良かった。駒沢、恥ずかしがりだから、逃げ出したらどうしようかと思ってたんだ」
「……」
「あいつ、可愛いんだよ〜。すぐ紅くなっちゃってさ。なんだかんだ言いながら、野沢さんが良いならって言うんだ。それからさ――」
「それは良かったな」

 人の恋路には興味のない三洲は、さっさとマグカップを持って席で待つ真行寺達のところに行った。その後を、三洲の不機嫌もなんのそのな笑顔の野沢がついていく。
 微かな不機嫌オーラを纏った三洲と、笑顔満開な野沢。
 真行寺と駒沢は、もうどうして良いのやらな心境でコーヒーを飲むしかなかった。


 喫茶店を出た後、野沢は「ありがとう!」と言いながら、駒沢を半ば強引な感じで連れて行った。
 真行寺には良く判らない。

「なんで『ありがとう』なんすか?」
「さあな」
「アラタさん、野沢先輩と何の話ししてたんすか?」
「気になるか?」
「ん〜、まあ、ちょっとだけ。ほんとに、ちょっとだけっす」

 えへへ、とちょっと肩を竦めて笑う真行寺に、三洲は脱力する。
 歩きながら考える。考える。考える。

「なあ、真行寺」
「何?」
「お前、相楽先輩の事、気にしてるだろ?」
「……」
「黙らなくても判ってるから」
「アラタさん…」
「あの人は、俺の尊敬する先輩」
「うん…」
「憧れていたし尊敬もしていたし、それは今も変わらない」
「うん…」
「それ以上でもそれ以下でもない。尊敬してる先輩。それだけだから」

 三洲が静かに真行寺に伝える。
 真行寺も、それは充分に承知はしているのだ。
 しかし。

「でもさ、相楽先輩はアラタさんの事…」
「生憎、俺は一人で手一杯なんでね」
「アラタさん…」
「しかも、その一人は俺の事しか頭になくて、まったく周りの事に気がつかないときてるから、目が離せない」
「え?」
「俺は、告白されないように気をつけてたからな。誰かさんには通じなかったけれど」
「それって、俺?」
「他に誰がいる?」
「ですね…」
「俺はお前を見てた。お前の周りも見てた。だから、判るんだよ」
「何が?」
「隙あらば告って、お付き合いしたいって奴らがいた事に」
「はい?」
 
 真行寺には初耳オンパレードな話しばかりである。
 三洲は、実はずっと自分を見ていてくれたらしいとか、他諸々。

「俺、もてないっすよ〜」
「本人が、そう思ってるだけだろ」
「えーーー、嘘みたいな話し…」
「まあ、そういう裏表のない人懐っこい処に皆は惹かれるんだろうな」
「アラタさんは?」
「俺?」
「そう。アラタさんは、俺のどこに惹かれたの?」
「ん〜、押しの強さかな」
「それだけっすか…」

 がっくりと肩を落とす真行寺に、三洲は可笑しそうに笑っている。
 恋に落ちた瞬間から、思い立ったが吉日の如く、押して押して押しまくった真行寺。恋の駆け引きなんて、到底できない彼のそんな純粋なところに惹かれたとは、勿論まだ言わない。
 何故なら、自分にはない部分だからだ。妬ましくもあり、だから惹かれた。
 
「真行寺、良く聞けよ」
「なんすか?」
「お前が思っている以上に、お前の周りにはお前を狙ってる奴がいる事を忘れるな」
「肝に銘じます」
「でないと、足元をすくわれるぞ」
「は〜い」
「もう少し歩こうか」
「良いの?休まなくて良い?」
「良いんだよ」

 GWの最終日。
 快晴な事もあり、街中は人が多い。
 そんな中を、二人はゆったりと時間の許す限り一緒にいた。
 互いに、想い人に悪い虫がつきませんようにと願いながら。