手帳の栞はきみのメモ 


-七夕ばたばた その1-


 願い事一つだけ
 アラタさんとずっと一緒にいられますように




 文化ホールでは祠堂学院の音楽祭が、あと少しで始まろうとしていた。
 真行寺はそんな中、ロビーをうろうろしていた。確か先日、招待されていたと言っていた。しかし、昨夜は何も、一言だって三洲は音楽祭の事を言わなかった。言わなかったから聞けなかった。本当は聞きたかった。けれど、聞こうとすればどうしても自分は、出したくない名前を出してしまいそうで嫌だったのだ。
 出したくない名前は相楽先輩。
 もしも来るのなら、一人で来てほしい。誰かと一緒なら、大路先輩たちが良い。ダメもとでも、その前年度の役員さん達が良い。それがもしもダメだったのなら。ダメなのだとしたら、忙しくて時間が取れなくて行けなかったよと、今夜の電話デートの時に、会えなくて残念だったの言葉と一緒に聞かせてほしい。
 ダメだったなら、ダメだったのなら、ダメなのだとしたら…。

――― ああ、もう…ダメダメダメ…

 どうして、こうも自分は相楽先輩に固執してしまうのだろう。三洲に恋焦がれていた人だったら、他にもたくさんいたはずなのに。しかも、三洲は耳にタコができるくらい口を酸っぱくして言っているではないか。憧れている「だけ」の先輩だと。それ以上でも、それ以下でもないと。
 判っている。理解している。嘘でなく、本当の事だと言い聞かせている。
 しかし、言い聞かせているという部分が、実は本音なのだ。理解していても理性がそう告げても、「恋」が持ちうる不思議な魅力の危うさが怖い。何故ならば、自分と言う存在が、まさしくそうだったからだ。
 自分にいつの間にか心動かされていた三洲。
 三洲一途に想い続けたおかげで今があるはずなのだから、相楽先輩の恋心が、必ずしも絶対にあるはずがないかもしれないが、成就しないとは誰が言いきれるであろうか。
 何があるか判らないのがこの世だ。絶対なんて事はない。
 あの三洲が自分の事を好きになってくれたのだから、尚更である。

 知られれば雷を落とされるくらいではすまないような、三洲に対してそんな失礼な事を思いながら真行寺は、ロビー中を怪しまれないように探していた。

――― あれは、もしや…

 色素の薄そうな髪の色をした、あのくらいの身長の人は?後ろ姿も見覚えがある。

――― アラタさん!

 ロビーの一番端の階段横で、隣にいる人と話をしている。

――― 隣って、もしかして、相楽先輩…

 見止めて、一瞬足が止まったけれど、意を決して近づいた。
 鼓動が、やけに騒がしい。

「アラタさん」

 驚くでなく三洲は、呼ばれる事を判っていたように、真行寺が近づいてくるのが判っていたように振り向いた。真行寺にだけ見える様に、こっそり口元を綻ばせながら。つられて真行寺も笑顔になる。

「真行寺か」
「やあ、ひさしぶり」
「アラタさん…。相楽先輩、お久しぶりです」

 そこは運動部員。きちんとOBである二人に頭を下げた。
 顔をあげると、三洲はもう三洲モードになっていた。流石である。相楽はと言うと、これ以上ないくらいに晴れやかな顔をしている。嫌な予感がした。

「今日は―――」
「招待されたのは、ここ三年くらいの生徒会役員なんだよ、真行寺」
「アラタさん、そうなんですね。他の先輩達は?」
「みんな、忙しいらしい」

 割って入るようにも思える相楽の返答である。
 生徒会役員達が招待されたのなら、どうして二人だけなのか。ほかの人の影がないのがおかしいではないか。
 もやもやもや。

「俺と三洲は、どうにか時間を作ったんだよ。伝統芸能なんて珍しいからな」
「そうですね」
「それで…、今日はどうやってきたんですか?あ、駅からバスが出てましたね―――」
「俺の車で一緒に来たんだ」
「…」

 もやもやもや。

――― 笑顔。笑顔だ、俺

「アラタさん、忙しいから、少しは楽でしたね」

 作り笑顔の難しい事と言ったら。ひきつりそうになるのを無理やりだから、ちゃんと笑えていると良いのだけれど。
 三洲がこっそり笑っている。やっぱり変な顔になっているらしい。

「真行寺、今年はインターハイに行けそうか?」
「はい!目指して頑張ってます!」
「今年はどこだっけ?」
「広島です」
「そか、行けるといいな。頑張れ」
「135番君は、何処の部?」
「あ、剣道部です」
「そうそう、そうだったな。今年は強いらしいから、頑張れよ」
「はい、有難うございます」
「アラタさん―――」

 と、口を開けかけた時。

「真行寺先輩!」

 突然後ろから声をかけられたので、真行寺は思わずこけそうになった。
 この声は!

「村上?」

 二年生の村上が近づいてくる。

「お前、こんなところでどうした?」
「あ、いや、真行寺先輩が見えたから。何してるんですか?」
「あ、それは…、今年の音楽祭に―――」
「前の生徒会役員も招待されたんだよ」
「そうなんですね」
「GWの時に会ったね。村上君、だったね」
「はい」

 村上はぺこりと頭を下げた。ロビーにはまだ人がいる。ざわついているはずなのに、無言で静まり返る四人。
 真行寺にとっては憎めない後輩の村上。しかし、三洲にとっては、真行寺の後輩と言う以前に恋敵になる。そのせいだろうか、目が怖い。相楽は三洲にとっては憧れの先輩。だが、しかし、真行寺にとっては恋敵。しかも最強に横恋慕されている。
 GW以来の四者四様である。

 何か言わなければと、真行寺が口を開こうとした時。


『もうすぐ開演です』

「もう始まるのか。行くか、三洲」
「そうですね」
「真行寺先輩、行きましょうか?」
「ああ。二年生は二階だろ?」
「俺のクラスは、一階の一番後ろなんですよ」
「そうなん、だ…」

 村上に促されるまま歩きながら、それでも振り向いてみれば、三洲が手を広げたり閉じたり。

―――あれは…一と五…。つまり15分と言う事?15分後なんだね…

 アラタさん、と、念を押すように目で問いかけると、そうだと言うような感じの視線が帰ってくる。
 了解とばかりにピースサインをすれば、三洲の口元が綻ぶのが見えた。