夏合宿協奏曲-2-



 二段ベッドの上で横になっているせいもあるだろうが、天井の模様をぼんやりとでも眺められるようになったのは、暗闇に目が慣れてきた証拠だろう。
 藤真は、同室の連中に聞こえないように、そっと大きなため息を吐いた。

 翔陽バスケ部の今年の夏合宿は、県内でも比較的名の知れたスポーツガーデン施設で行われていた。
 春先に花形と二人で説明会に訪れた時には、「費用がかかりすぎる」と言う理由で候補からは外していた。
 IHに出場した場合を想定しての夏合宿所探しだったため、合宿にかける費用はできるだけ抑えなければならなかったからなのだが、IH行きを逃したおかげと言うか何と言うか、無理だと諦めていた場所での合宿が叶うなんて、何の因果かは判らないけれど、あまり手放しでは喜べない藤真だった。
 しかし、流石に施設の設備は行き届いていて、何の文句もない。三年生と二年生の数人が四人部屋、他の二年生、一年生は六人部屋を充分に割当てる事ができたし、風呂場もそこそこ広くて、高校生軍団が使うには充分だと思われる。食事はバイキング形式で大抵の好きな物が食べられるし、食堂自体も、他に宿泊している合宿関係者と時間がかち合っても、何とか食事ができるくらいの広さはある。。肝心の体育館は、コートが二面取れるものを一つは借りることができているしで、合宿の内容に関しては、今年は文句のつけようがないくらいに充実している。

 やはり、ここを選んで良かったと心の底から思えるのに、それでも、藤真の口からため息が漏れてしまうのには、至極プライベートな問題が絡んでいる事に原因があった。
 去年までの片想い中では考えられなかった変化が藤真に起こっているためで、今年の合宿は、ある意味、自分の忍耐力を試される場でもあるのかもしれない。

 初日の夜は皆でがやがやしながら眠りにつき、二日目は他の三人が爆睡してくれていたおかげで自分も気兼ねなく眠れた。
 だけど、三日目の今夜は、先ほど、ぽこっと目を覚ましたかと思えば、どうした訳かそれからはいくら寝ようとしても寝る事ができない。明日の事を考えて眠らなければと焦れば焦るほど、目は冴えてゆくばかり。天井の模様までが見えるまでになってしまえば、そうそうは眠れないだろうと思われる。
 それと言うのも、藤真にとって至極プライベートな問題の大半を占めていると言っても過言ではない、向こうの二段ベッドの上段で寝ている花形の寝息が聞こえてきて、藤真を悩ませて寝かせてくれないのだ。
 何度目かのため息をつきながら、

 禁欲生活三日目にして、寝息を聞いただけで勃ってしまいましたなんて、オレもバッカだよなぁ…

 それとなく花形を見ると、ちょうど寝返りを打ったらしく、こちらに顔を向けている。それだけで、ドキッとしてしまう藤真は、去年まではこんな風にまではならなかったのに、今年に限って何故?と、愚痴の一つも零したくなってしまう。花形が本当に気持ちよさそうに寝ているものだから、余計にそう思う。

 こんな時にふと、監督と言うのは因果な仕事だなぁと思ってしまうのだ。
 みんなは自分の組んだ合宿用の練習メニューを最初から最後までこなしているおかげで、夜は疲れてぐっすり寝られるのだろう。指示を出している事の方が多く、自然と運動量はみんなよりは少なくなる自分は、三分の二程をこなすだけで精一杯で、みんなよりはさほど疲れもなく、その為に気持ちよく寝る事ができないのだと思う。

 ええい、もう、考えんのは止め止め。

 ついつい溜息をついてしまう生活に、少しの間だけとは言え、また戻ってきてしまっている事に、情けなくなってくる気持ちを振り払おうと、藤真は二段ベッドの下段で寝ている長谷川を起こしてしまわないように、そっとベッドから下り、気持ち良さそうに寝ている花形を少しだけ見つめた後、三人には気づかれないように静かに部屋から出て行った。

 向かった先は体育館。一時間くらい汗を流せば、ほどよく疲れて眠れるだろうと思ったからだ。
 照明を半分だけつけた薄明かりの中、ボールを手にすると、ピンと張り詰めたような緊張感が生まれてくる。大好きな瞬間である。
 しかし、今はそんな事は横に置いといて、あの邪な気持ちから何とか解放されたくて、藤真は雑念を振り払うかのように一心にボールを追いかけ、シュートを打ち続けた。


―――


 一時間には満たない時間だったけれど、しっかりと汗をかいたおかげで、随分気持ちが楽になったような気がする。シャワーで汗を流しながら、これでようやく眠れるのかと思うと、何となく目がとろんとしてくる藤真だった。
 軽い眠気に襲われたようなふわふわした足取りで、それでもあまり音を立てないようにと気をつけながら部屋まで戻ってくると、ドアの前に誰かが立っていた。近づくと、
「藤真か?」
「誰?」
なんて聞くまでもなかったのに、つい聞いてしまったのは、まさか、そんなところに居るとは思わなかったからだ。
「どうしたんだよ、花形、こんなところで。寝てたんじゃ…」
「いや、目が覚めたらお前がいないから、どうかしたのかと思って。シャワー浴びに行ってたのか?」
事の理由をすべて言ってしまうのには相手が花形とは言え、やはり少し躊躇うものがあり、
「そ。もう、暑くて目が覚めちゃってさ。花形はそんな事なかった? 良く眠れてるか?」
「おかげさまで、監督から扱かれてるからね。にしてもさ、部屋のエアコンが合わなかったのかな、藤真には。涼しいと思ったけどなぁ…」
「……」
 まだ目が覚めたばかりで、人の苦労など知る由もなさそうな涼しい顔をしている花形を見ていると、一人だけで悶々と悩んでいた自分が、何だかアホらしいやらバカらしいやら可哀想やらで、色んな気持ちがごちゃ混ぜになってしまったような、なんとも複雑な気持ちになってしまう藤真だった。
 だから、ついぽろっと、
「花形って淡白なんだ…」
 その言葉に、鳩が豆鉄砲をくらった様な顔をした花形は、「なにそれ?」とでも言いた気な視線を送ってくるのだが、説明するのも面倒に思えてきた藤真は、やっと眠れそうな気配の方を優先する事にした。
「何でもない。もう遅いし、部屋、先に入るぞ」
 花形を放っておいたまま、さっさと部屋へ入っていく藤真の背中を見ながら、当の花形は、藤真の言った言葉の意味を考えていた。

 淡白って、なんのことだろ……

 目が覚めたばかりの眠気全開な頭では、ろくな思考ができる訳がなく、更に、昼間の練習で、体力を夜まで温存させる暇もないくらいに疲れ果ててもいる。そんな花形が、藤真の悩みを理解するのには今の状況では無理な話で、せめてキスの一つでもしてくれないだろうかと、期待を込めてベッドの中から見ている藤真の目の前を、ぼんやりと考え事をしながら自分のベッドへ戻ったとしても、それは仕方のない事だった。


 藤真の悩みは、まだまだ当分は解消されそうにはなかった。