夏の気まぐれ -2-



 次ぎの日、午前中の練習に、藤真の姿はなかった。

 監督を兼任している藤真が留守の時は、副主将である花形と他の三年生のレギュラー達が、練習を見ることになっているのだが、後輩達にあれこれと指示を出しながら練習をこなしている花形の頭の中は、留守でいない藤真の事で殆どを占められていた。

 昨日の事を謝るつもりで、いつもの電車に乗り込み、前の駅から乗ってきているはずの藤真を探したけれど、今日に限って見つける事ができず、気になりながらもそのまま学校へ来てみても藤真は来ていない。監督を兼任をするようになった藤真の朝は、他の部員達よりもずっと早く始まっているはずなのに、今日はどうしたのだろうか。

 休憩中、水飲み場でみんなで集まれば、無断欠席をしている藤真の話ばかりだ。
「あの藤真が練習に出てこないなんて、何かあったのか?」
「風邪でもひいたのかな、エアコンのつけっぱなしとかで」
 それは絶対にないとツッコミを入れたいのを我慢しながら、みんなの話には適当に相槌をうつしかない花形。
「どうだろうな、連絡は…なかったから…」
「ほんとうに、誰も藤真の欠席の理由は聞いてないのか?」
 核心を突くような長谷川の言葉に、みんな黙ってしまい、しかし、このままで良い訳がなく、花形は、
「大丈夫だと思うよ。後で、家の方に電話してみるから。みんな、そんなに心配するなって。藤真だって、子供じゃないんだから。多分、すぐに連絡が入れられないような用事ができたんだろ」
「どんな?」
 長谷川、高野、永野達の視線を一斉に浴びてしまい、
「う〜んと、まあ、判らんが、でも、そんなに心配はないって。あの藤真のことだから、大丈夫だよ」
 説得力があるのかそうでないのか、よく判らない花形の言い訳に、みんなは取りあえず、藤真の事は花形に任せて、練習だけはこなそうと話し合った。

 休憩が終わり、みんなの後から体育館に戻りながら、花形は、これから、どうしたものかと考えていた。
 昨日の今日なので、兎に角心配でしょうがない。心配が不安を呼び起こし、さらに大きくなって花形に襲いかかってくる。
 まさかとは思うけれど、あんな事くらいで練習に出て来れないほど落込んでいるのだろうか。藤真に限ってそれはないだろうと思いつつ、少し自惚れてみれば、そう言うのもありかもとか思ってみたり。いやいやいや、あの藤真だから、やはりそれはないだろう。

 と、まあ、こんな感じで、花形は藤真の事を考えないでいる事が一秒だってないくらいに頭の中を占領されてしまっていた。こんな事では、また、以前のような失敗をしてしまうかもしれない。それだけは絶対に避けたい花形は、いつも以上に気を使いながら練習を見る事になり、藤真並にピリピリとした練習になってしまった、夏練二日目の翔陽だった。




 その頃、藤真は、ぶらぶらとあてもなく海沿いの国道を歩いていた。

 結局、昨夜は、何もやる気がおこらずにそのまま寝てしまい、朝日の眩しさで目がさめた後、ぼんやりしつつもいつものように制服に着替え、いつものように駅までの道を歩き、いつものようにホームに入ってきた電車を眺め―――
 目の前に止まった電車を見た時、、ようやく、ほけ〜としていた意識がはっきりしたのだった。
 この電車に乗れば、次ぎの駅から乗ってくる花形と顔を会わせる。朝の楽しみの一つになっていたその事が、何故か急に気の重いものになってしまい、足が進んでくれず、いつものように電車に乗り込むことができなかった。
 どんな顔をして会えば良い? 少しは傷ついた顔をしてもいいのだろうか? それとも、いつものように、何もなかったように笑って挨拶をすれば良いのだろうか?
 藤真には、まだ、どうすれば良いのか判らないでいた。
 今は、会いたくない。もう少し、気持の整理がついたら…。

 そう考えていた時、向かいのホームに電車が入ってくるのが見え、藤真は夢中で走り出していた。
 気が付いた時には、その電車に乗り込んでいた。
 いつもとは、違う風景を眺めながら、監督も兼任している自分が、プライベートな悩みを練習に持ち込んでしまった事に、少なからず驚いていた。けれど、そんな自分を責める気持は不思議と浮かんではこなかった。どちらも、自分にとっては大事なことなのだから。
 たまには、監督抜きで練習をしてみるのも、みんなにとっては良い経験になるだろうし、と、同時に、昨夜、電話も何も寄越してこなかった花形を、少しは心配させてやりたい気持もあったのかもしれない。

 今頃、皆、ちゃんと練習してるかなぁ。花形は…、ちゃんとオレの事、心配してくれてるかなぁ…。

 しかし―――
 海沿いを歩いていると、嫌でも目に付くのは海水浴に来ている人達ばかりだ。しかも、有難い事に、カップルが断然に多く、一番に気にしなければいけない部活の事よりも、花形の事ばかりを考えてしまう。
 頭の中を空っぽにして、冷静に、冷静にと自分に言い聞かせる。
 が、少しでも時間が許せば海に遊びに行こうなんて、夏休み前に花形と交わした約束を思い出してしまうと、もう、我慢の限界だった。会わないで気持の整理をつけようと思ったは良いけれど、こんなに回りが気なっては整理をつけるどころではない。
 やはり、学校へ戻ろう。
 今から戻れば、昼過ぎには翔陽へつくだろう。部員達は、帰ってしまっているだろうけれど、花形は残っているはずである。多分、そのはずだ。もし、残っていなければ、みんなと一緒に帰っていれば、どうすればいいか…。
 考える必要なんて、あるもんか。呼び出せば良いんだよ。
 よしっ!!!


 気持の固まった藤真は、踵を返すと、急いで翔陽へ向かった。





 電車の中を走ってしまいたい衝動を我慢して、炎天下の中、へとへとになりながらも藤真が翔陽へ辿り着いたのは、昼を少し回った後だった。

 今日の練習予定は午前中だけだから、すでに部員達は帰っているはずである。自分がいない時は、できるだけ居残り練習もさせないようにしているので、もし、この時間まで誰か残っているとすれば、花形だけだ。
 今日は、ずっと連絡を入れなかった。家の方に電話くらいはしてくれてはいるだろうけれど、行き先も何も告げずに、連絡さえ取れないところに居たのだから、きっと、花形なら、そんな自分を待って、まだ体育館に居てくれていると思う

 今更に、随分心配させてしまっただろう事を少し後悔しながら、校門をくぐり、部室へは向かわずに、直接体育館の方へ回ってみた。ボールの音が聞こえ、何故か頬が緩んでくる。
 ドリブルでもしているのだろうか。そんな事を考えながら、弾む息を整える間もなく開いているドアに近づいて、ヒョイと中を覗くと、思った通り花形がいた。ただ、一人ではなく、一緒に二年の伊藤も。

 え…うそ…

 藤真は、思わず、ドアの側に隠れてしまった。そんな必要など全くないのに。
「なんで、伊藤がいるんだろ…」
 花形だけがいると確信していたからだろうか、、伊藤が一緒にいる事に、かなり動揺してしまっている。
 藤真や花形達が引退すれば、後を引き継ぐ事になっている次期主将候補である伊藤が、皆が帰った後も残ると言う花形に頼み込んで、居残り練習をさせてもらっているだけなのだが、頭の中真っ白状態の今の藤真には、哀しいかな、そこまで考えてやる余裕がなかった。おかげで、定まらない思考が、あらぬ方向へ傾きかけている事にも気が付かない。

 深呼吸を数回して、もう一度、体育館の中をこっそりと覗いてみた。
 花形が手本を示し、伊藤にやらせる。ボールを出してやりながら、気が付いた所を指摘したり、立ち止まっては何かアドバイスをだし、その後、伊藤の背中をぽんと叩いて、また、シュートを打たせている。離れてはいるけれど、上手く教えているように見える。
 伊藤は、ラッキーだな、先輩に直に教えてもらえて。それに、花形も流石と言うか、教えるのも上手いんだ、あいつは。
 それに―――。 

 花形は優しい。本人に、そんな自覚はあまりないらしいけれど、後輩であろうと、練習の邪魔になりそうなギャラリーの女の子達にも、誰にでも、分け隔てなく接している。普通より背が高すぎて、無表情だとか、そっけないように見えているだけで、その素顔は穏やかで優しい。
 そんな花形に惹かれて、散々片想いを続けた後、ようやく両思いになれて、すべてを手に入れたはずだったけれど、二人を見ているうちに、なんだか、自分だけのものだと思っていたものが、本当はそうではなくて、自分は、どこかで何か勘違いでもしていたのではないだろうかと、何故かは判らないけれど、そんな風に思えてくる。

 ちがう、違うちがう…

 ふと湧き上がった考えを、首を振って追い出す。つまらない事で喧嘩をしてしまい、それからは、まだ会う事も、話さえしていないだけだから、いつもとは違う状態のおかげで、何を考えてもマイナスの方向へ流れて行きやすくなっているだけだ。それだけだ。普通に手でも振って、声をかければ良いだけの話だ。
 それなのに、それだけで良いはずなのに、なのに、どうして自分の足は、体育館から離れていっているのだろう。会いたくて、やっとの事でここまで来たのに、どうして回れ右をしてしまうんだろう。

 藤真は、どうにもならない気持を抱えたまま、結局、学校を後にするしかなかった。
 駅のベンチに腰をかけて、長い長いため息をつく。
 花形に関してだけは、自分でもイライラするくらい臆病になってしまう時がある。普通の親友でいる時は何ともないのだけれど、一歩進んだ関係になってくると、片想いをしている時もそうだったように、途端に弱気になってしまう。それなのに、感情剥き出しな言葉を投げつけてみたりもしてしまう。
 冷静ではいられなくなるくらい、どうしようもないくらいに、花形の事が好きと言う事なのだろうけれど。
「まったく、何やってんだか。バカだよ、オレは…。それより、これから、どうすっかなぁ…」



「花形先輩、お先に失礼します」
「お疲れさん。気を付けて帰れよ」

 残って練習をした後、二人で体育館の後片付けをすませた花形は、もう少し残るつもりで伊藤を先に帰らせた。
 部室に戻り、藤真がまだ来てはいない事を確かめると、手近にある椅子に座った。同時に出るため息は、今日は何度ついたことだろう。
 朝から藤真とは、さっぱり連絡がとれない。こんな事になるのなら、昨夜は気まずいとか思わずに電話をかけておけばよかったと、海の底深くまで落込んでいた。
 練習中に少しでも時間を見つけて電話をしてみても、聞こえてくるのは呼び出し音ばかり。居留守でも決め込んで、かかってくる電話を無視し続けてくれているのだったら、どんなに良いだろうかと思うのだが、受話器の向こう側に人の気配を感じる事ができず、やり切れなさが募るだけだった。

 本当に、藤真はどこにいるのだろう。今頃、どうしているのだろうか。
「昨日の今日だけなのに、やけに遠いなぁ…。だけど、このままって訳にはいかないし、何とかしないと…」
 どうせ、このまま家に帰っても藤真の事が気にかかり、きっと何も手につかないだろうと思われる。と言うより、じっと落ち着いて居られる訳がないのだ。それならば、いっそのこと―――。
「藤真のマンションの前で待つしかないか」
 どう考えても、今のところ、藤真を家の前で待つ事が最善の策だと思われた花形は、早速、部室を後にして、自宅へ電話を入れた。そうして、時に心配で倒れそうになる自分を叱咤しながら、藤真のマンションへと向かった。



 その頃、花形の心配の元は、また、海岸通をとぼとぼと歩いていた。
 海の色が好きで、海を見る事も好きな藤真だったけれど、今日に限って言えば、どんよりとした灰色にしか見えない海に、可笑しいやら、哀れやらで、自分を笑いたくなってくる。

 立ち止まって、ぼけ〜と遠くを見ていた時、肩をぽんと叩かれた。何だろうかと思って振り向いてみれば、
「仙道…」
「やっぱり藤真さんだったんですね。こんにちは」
 そこには、今日も見事に髪を逆立ててにっこりと笑う仙道がいた。
「あ…、え〜と、あれ? お前、この近くだった?」
「今ね、練習試合の帰りなんですよ。どっかで見た事のある後姿だったから、用事思い出しましたっつって、みんなと別れてきたところなんすけどね。それより、藤真さんこそ、こんなところで何してんですか? しかも、ひとりで」
「うん、まぁね、ちょっと色々とあってさ…」
 それ以上の事は、たとえ良く知る仲の仙道とは言え、言えるはずもなく、少し視線を泳がせた後、また、ぼんやりと海の方を見る藤真だった。

 そんな藤真を見て、何となく事情を察した仙道は、
「藤真さん、オレに少し付き合いません? あそこの喫茶店、結構静かで落ち着けるんですよね。でもって、冷たい物でも飲みませんか?」
 仙道の指差す方向には、小ぢんまりとした喫茶店が見える。そんな店がある事にも気が付かないで歩いていた自分に少し苦笑した藤真は、これからの予定も何もなく、朝からずっと出歩いていて疲れてもいたので、仙道の誘いを受け入れる事にした。
「良いよ、オレも何か飲みたかったし」
 その答えにホッとした仙道は、藤真を促して歩き始めた。