-ゴールデン・ウィーク協奏曲 その2-
朝一の講義のために三洲は、いつもの席でノートを広げていた。
昨夜の真行寺の電話をぶつ切りした時の怒りも後悔もモヤモヤも、一晩寝ればきれいさっぱり自分の中には残っていない。と思っていた。
「三洲、どうした、ぼーっとして」
「奥田か、おはよう」
「珍しいよな、三洲がぼんやりしてるなんて」
隣で講義に使うノート等を準備している友人の奥田の言葉に、三洲はひっかかる。
ぼんやりとぼーっとしてたって?誰が?俺が?
「俺、なんか変な事言った?」
「俺は、ぼんやりもぼーっともしてないよ」
「じゃ、それはなんなんだよ」
奥田が指差すものは自分が広げているノート。そこには、当てもなく書かれたと思われる円が何重にも書かれてあった。
無意識のうちに、指だけが動いていたようだ。
三洲は、何事もなかったように。
「ただの落書きだよ」
「三洲って無駄な事しなさそうなのに、落書きなんてするんだ。なんか、不思議」
「俺も人間だから」
「寝不足でもきちっとしてそうだけどな。昨夜は、徹夜でもしたのか?」
「どうして?」
「んー、なんか目の下に隈みたいなのができてるし。入学したてで気が張り過ぎてるのは判るけど、そんなんじゃ持たないぞ」
「忠告、ありがとう」
友人の言葉に一応礼を言った後、三洲は考える。
寝不足な顔?隈?だから、ぼんやりとぼーっとしている?
んなバカな。
今朝は、そりゃすっきりはっきりな目覚めではなかったかもしれないが、ちゃんと睡眠はとった。
ただ、ずっと夢を見ていたような気はする。何の夢だったかは忘れてしまったが。
その後も、出会う友人達に口々に言われてしまう。
『覇気がない』
『寝不足?』
『一足早い五月病?』
他にもいっぱい。
うるさーーーーい!
何なんだよ、いったい。そんなに俺の顔は変なのか?
トイレの手洗い場の鏡で思わず確認してしまう。
鏡に映る自分の顔。いつもと変わらないと思うのだけれど、確かに言われてみれば、何となく元気はなさそうな感じだ。しかも、”隈”のようなものがあるようにも見える。と言うか、生まれてこの方、目の下に隈なんぞを作ったことがないから、あるように見えても、それが隈とは判りにくい。
ため息ひとつ。
そりゃ元気もなくなるだろう。
真行寺のバカのあの一言は、俺には信じられなかったのだから。
『相楽先輩には気をつけて―――』
結局、最後まで話をせずに電話を切った。真行寺の「おやすみ」の言葉を聞かずにだ。
すっかり生活の一部と化したあの言葉を聞かなかったと言う事実に、今更に胸がちくっと痛む。それが、どんなに小さな痛みでも、真行寺だとおもうだけで眉間に皺がよる。
俺にこんな顔させられるのは、真行寺だけなんだよなぁ。
今頃どうしているのだろう。
弁当でも食べているのだろうか。
真行寺は、今夜は電話はかけてくるんだろうか。
昨夜は、怒りにまかせて「お前とはこれまでだ」なんて言ってしまったが、もちろん三洲にそんなつもりなどなく。つい、言ってしまっただけなのである。
と、その時、デイバッグに入れてある携帯のバイブ音が聞こえた。
慌ててバッグの中を探し、携帯を手に取ってみる。
「まさか、真行寺じゃないだろうな…。まさかな…。昼休みだし…。でも…」
僅かな期待と不安でもって携帯をあけると、着信の主は真行寺ではなかった。
なんだか、身体がだる重く感じるのは気のせいか。
マナーモード中の携帯は、相変わらず着信を告げている。出るべきか、悩む三洲。
きっと、出ても後悔、出なくても後悔するに決まっている。本当に損な性格だと、今ほど自分を呪った事はないのではなかろうか。
仕方なく。
「はい」
『三洲?』
「相楽先輩、何か?」
『三洲はお昼はもう食べたのか?』
「いえ…」
『よかった。なら、一緒に食べないか。いつものカフェで待ってるから』
「はあ…」
相楽は、言いたい事を伝えたら、すぐに電話を切った。
昨日の今日である。確かに、真行寺の言葉には腹を立ててしまったけれど。
断れなかったのだから、行くしかない、が、何となく気が重い。
三洲は、両手で頬を叩いてから、相楽が待つカフェに向かった。
カフェのドアを開けると、端のテーブルから相楽が手を振っている。
三洲は、完璧な三洲モードになった。いつもの柔和な笑みを向けながら側まで行く。
相楽の前の席に座って、ふたりともランチをたのんだ。
「誘って頂いて、ありがとうございます」
「近くまで来たから寄ったんだよ。親睦旅行の話もあるし」
「そうなんですね。それより、相楽先輩は、こんなにしょっちゅうここに来て大丈夫なんですか?単位とかは?」
「単位は粗方とってるから大丈夫だ。三洲が心配する事じゃないよ」
「すいませんでした」
「GWの最初のほうで二泊三日でいくけれど、後半はどうするんだ?」
「後半ですか?予定は入っています。中学時代の友人達と同窓会でもしようかと言ってるんです」
「そか、もう予定入っていたのか…」
「何かありましたでしょうか?」
「いや、三洲に一度はうちの大学にも遊びに来てもらおうかと思って。五月祭をやるんだよ」
「せっかく誘って頂いたのに、申し訳ありません」
「いや、いいんだよ。三洲も色々と頑張ってるみたいだし」
「???」
「疲れた顔してるから、三洲のことだから、勉強のし過ぎなんじゃないのか」
「そんなことないです。昨夜は、ちょっと遅かっただけです」
相楽に嘘を織り交ぜた話をする時がくるなんて、三洲は我ながら驚いていた。
別に本当の事を話さなきゃならないとは思わないけれど、それでも、今までなら、上手にかわしていたのに。
俺は、いったい何をやっているんだろう…
相楽と話をしていても、今日は楽しいと思える時間はやってこなかった。
午後の講義に出るからと、先にカフェを出た。
歩きながら、ついつい大きなため息がでてしまう。
ため息をつきながらも考える。
今日は、携帯の電源は入れておこう。マナーモードで気がつかなかった時は、それはそれで仕方がない。仕方がないけれど、自分から「これまでだ」宣言した以上、真行寺からの連絡を待つしかない。
しかし、真行寺は電話を掛けてくるだろうか。あの真行寺である。三洲の言う事に逆らう事を(ほぼ)しない彼なのだ。
こんな事ならば、在学中に真行寺に対してもう少し素直になっていたら良かった。そうすれば―――。
そこまで考えて、またため息。
それができたら苦労はしない。できなかったからこそ、あの文化祭の前の告白になったのだから。三洲が三洲だったから。そんな三洲を、真行寺も知っている。
あああ、だが、しかし。
こういうのが嫌だから、しがらみのある付き合いは避けてきたのに。真行寺以外は上手くいっていたのに。
かといって真行寺と別れると言う選択肢は、三洲にはない。告白をした時に、三洲の辞書から「別れる」という単語は抹殺されたのだ。
これが、もしかして、惚れた弱みと言うものだろうか。
なんだか考えれば考える程、ドツボに嵌っていくようだ。
三洲は生まれて初めて、好きな人を想えば想うほど落ち込んでいくと言う経験をする事になった。