手帳の栞はきみのメモ 


-ゴールデン・ウィーク協奏曲 その5-


 二日目の夜も三洲には真行寺から電話が入り、結局は相楽が最初に描いていた通りにはいかなかった。
 世の中、やっぱりそんなに甘くない。
 相楽はこの親睦旅行で再確認する羽目になった。
 一度目は、三洲が在学中に音楽祭を手伝った時。色々な理由をこじつけて、ようやくデート(と、相楽は思っている)したのに、後から現れた真行寺にかっさわれてしまった。
 そして今回も、良いところで、良い雰囲気に持って行けそうな時に、絶妙なタイミングで邪魔をする。
 三つ下の後輩は、恋敵としてはこれ以上ないくらいに最強だ。
 これから、どうやって進めていけばよいか。

 反省を含めて、これからの事を運転中に考えている相楽は、今、三洲を最寄りの駅まで送っていく最中だったりする。
 親睦旅行から戻ってきた東京で皆と別れ、三洲には(本当は家まで送りたかった)駅まで送るからと、車に乗せたのだ。
 次の約束を取り付けたい。
 何か…、何か理由はないものだろうか。



 そんな事を考えているとは露とも思っていない三洲は、最寄りの駅まで早く着かないかと実は内心落ち着かないでいた。
 一刻も早く、自室のベッドに横になりたい。
 何だかとっても疲れた今回の旅行。終わってくれてほっとしている。先輩への義理も、一つは返した。やれやれだ。

――― あれ…この辺は…

 相楽が、どういう走らせ方をしているかは気にしなかったのだけれど、この辺りには見覚えがある。
 真行寺達剣道部がお世話になっている、防具店が確かあったはず。
 一度だけ真行寺と一緒に来た事がある。必死にお願いをされて、しかし、あの頃は、心は真行寺しかいなかったけれど、態度に出すのはいつも辛辣なものだった。なので、寄り道も何もせずに、行って、用事を済ませ、帰ってきただけのものだった。しかも、多分、自分は不機嫌な顔しかしていなかったはず。
 ちょっぴり胸が痛む小さな思い出。それでも、真行寺との思い出の場所には違いない。
 会いたい。
 会える訳もないのに、会いたい。
 GWに入ったばかりで、三日目で中休みはないだろうし、昨夜も真行寺はそういう事は言ってなかったから。

 少し気落ちした心のままで、その防具店の前を通り過ぎようとしたその時。

「真行寺っ!」
「はっ?なに、三洲?」
「先輩、ちょっと停めてください」
「お、おお、おおお。ちょっと待てな」

 少し走って車を停車させると、三洲は構わずに降りていった。

「真行寺っ!」
「ア、アラタさんっ!」

 防具店から出てきた真行寺が走り寄ってくる。
 何だか、こういう光景、以前は良く見た記憶がある。

「アラタさん、どうしたの?旅行は?」
「帰りだよ。お前こそ、どうしてここに?今日は休みじゃないだろ?」
「あ、うん、そうなんだけど―――」

 真行寺と三洲が、どうしたこうしたと話をしているところへ、車を停車させた相楽が降りてきた。
 真行寺の後ろからは、一緒に防具店から出てきた学生が来ていた。

「三洲?」
「真行寺先輩?」
「あ…」
「え…」

 四者四様の顔がそこにはあった。



 立ち話も何なので、そこの喫茶店にと機転を働かせたのは相楽だった。
 天下の往来で男四人ががやがやしていれば人目につく。ましてや、祠堂きってのハンサム・ボーイたちなのだ。
 ようやく喫茶店に落ち着いた四人。

「真行寺、後輩を連れて買い出しか?」
「あ、はい、アラタさん。そうなんすよー」
「どうして今日に?」
「明日の予定だったんすけど。こいつ、二年の村上って言います。今の二年生の中では一番期待している選手なんすよね。で、村上の竹刀が折れてしまって替えがなくって、買いにいかなきゃってなって。なら、ついでに、試合用に竹刀の鍔も欲しいって言うから、急遽、今日買い出しに来たんすよ〜。だから、祠堂には駒沢に残ってもらって、練習見てもらってるます」
「ふ〜ん…」

 腕組をした三洲は、納得したのかしていないのか。真行寺には判らない。

「村上です。はじめまして」

 真行寺に紹介された村上は、先輩達に丁寧に挨拶をした。

「はじめまして。去年は祠堂では直接会う事はなかったね。真行寺の一年先輩になる三洲です」

 三洲が三洲モードで村上に話しかける。あのよそ行きの笑顔で。誰が見ても、その笑顔は柔和で人当たりがよく、素敵な先輩である事を伺わせる。
 しかし、真行寺には判る。手に取るように判るのだ。
 何故か知らないが、三洲は怒っている。

――― アラタさん…、なんか怖いんすけど…

 相楽も自己紹介した。
 そして、三洲は村上、ひいては真行寺にも言い聞かせるかのように、相楽がいかに偉大な先輩だったか、在学中には「伝説の男」と言われていたかを説明した。
 その違和感に、真行寺は頭を傾げるばかりである。

――― そんな今更な事を、なんで…

 沢山の?マークに覆われた真行寺にはやはり、今一つ、三洲の心が読めないでいた。
 しかし、三洲にはそんな真行寺が判る。
 どうせ、自分の機嫌の悪い理由なんて思いつきもしないだろう。

――― 俺は、そいつを知っているんだ…お前に…

 心の中で思っているだけでは、相手には伝わらない。
 祠堂時代、嫌と言うほど経験してきた事なのに、三洲は真行寺に本当の事が言えない。剣道部のその後輩が真行寺に横恋慕しているなんて、どうして言えようか。
 そう。これは、嫉妬である。
 そう言えば、同室だった葉山にはヤキモチ焼いたっけ。しかし、彼は同級だったからまだしも、後輩に対してヤキモチなんて、プライドが許さない。
 プライドは許さないが、眼差しだけの牽制は送っておこう。
 真行寺は俺のもの。
 しかし、敵もさるもの。三洲の視線を受けてもびくともしない。
 真行寺は気づいていないし、これは、先が思いやられると言うもの。三洲は、こっそりとため息をついた。



 どうせ最寄駅までなのだからと、相楽の車に真行寺と後輩も乗せてもらった。
 今後の三洲との約束を取り付けたいのに、できないままの相楽。
 真行寺目当ての後輩を間近に見て、嫉妬めらめらな三洲。
 そんな三洲をあまり気にしていない後輩の村上。
 三洲に会えて本当ならラッキーと浮かれるはずが、何が何やらさっぱりな真行寺。
 車内の雰囲気は、言わずもがなである。
 

 一番近くの最寄り駅で、三洲・真行寺・村上は、相楽に丁寧に礼を言って車を降りた。
 真行寺と村上も三洲に丁寧に挨拶をして別れた。
 中央コンコースを切符を買うために窓口まで行く途中で、真行寺は実はこっそり三洲を見ていた。

「あのな、村上。切符買ったら、売店で帰りのおやつを買ってきてくれる?」
「真行寺先輩は?」
「ちょっとトイレに行ってくるから。頼むな」
「はい」

 真行寺は、言い終えるとトイレに急いだ。
 中へ入ると、一番端の個室の前に三洲が立っていた。
 手招きされずとも躊躇せずに個室に入る真行寺。
 男二人には少々狭い。故に、密着してしまう身体。

「アラタさん…」
「何も言うな…」

 真行寺の瞳が切なげに揺れている。
 それは、三洲とて同じ事。
 二人の間に誰も入れたくない。
 共にそう願っていても、一緒にはまだいられない。そんな事は百も承知で始めた遠距離恋愛なのだから。
 それでも求める気持ちは止められない。
 三洲の手が真行寺の首に回され、二人の唇が重なり合う。

 と、思われた瞬間。

「真行寺先輩!切符もおやつも買ってきましたっ!まだですか?」

 互いの息はかかるのに。

「あ…、ちょっとまって、もう出るから…」

 (お前、あんな後輩に邪魔されて…)
 (アラタさん…、すんません…)
 (楽しみは後にとっておくから)
 (はい…)
 (早く行ってやれよ…)

 真行寺はすばやくチュッと三洲の頬にキスをして、トイレから出ていった。
 三洲はと言えば、暫く壁に寄り掛かっていた。真行寺が触れた頬に手を当てて。

「あのやろう…、ほっとかれた俺はどうすれば良いんだよ…」

 真行寺兼満、三洲と出会ってから二年と少し。
 未だに三洲が、自分の些細な行動で変化が起きるなんて事には、あまり気が付いていないのだった。