卒業後は、公認会計士を数人抱える会計事務所に入り、一生懸命に毎日を生きている。
真行寺が勤めている、その会計事務所の社長の遠縁だと言っていた。
アメリカのロスで暮らしている叔母夫婦の今回の帰国は、仕事のためだと言う。十日間の滞在期間の最後の三日間を京都でと言う、たっての願いを社長が叶えてあげたのは、孝行してやれなかった両親の代わりとの思いがあったらしい。
東京での滞在中に社長との連絡係を何かとさせられていた真行寺を、叔母夫婦がえらく気に入ったとかで、京都に一緒にと言ってきてくれたのが昨日の事で。
溜まっている有給休暇の消化も兼ねて行って来いという、言わば社長命令によって、今、京都の夕暮れを見ている。
ふと、時計を確かめれば夕食に誘われている時間が迫っていた。
真行寺は、浴衣の上に半纏を羽織って、社長の叔母夫婦・ジェームス夫妻の待つ部屋に向かった。
翌日は、ゆっくり散策しながら清水寺まで行ってみたいとの希望で、祇園辺りで昼食をとった。
平日とはいえ、京都は秋の観光シーズンである。
八坂神社にもそれなりの人の流れがった。
真行寺は、昨夜ガイドブックで調べた通りに、
「ここの二年坂を歩いて行って、付きあたりの三年坂を上がって行きましょう」
少し混んでますが、と言う真行寺の説明をジェームス夫妻は、にこやかに聞いている。
どこかひたむきさを感じさせる笑顔や声、仕事をしている時の一生懸命な真行寺を、すぐに気に入ったのである。
かわいい孫のような感じだから。ついつい、プライベートな事まで聞いてみたくなる。
「真行寺くんは、今年何歳になるの?」
「はい、26になりました」
「オー グッド!ステディハ イマスカ?」
「はい?」
「ああ、あのね真行寺くん。主人が聞きたいのは、真行寺くんには恋人はいますかってことなの」
「はぁ…俺、まだまだ半人前なんで、恋人なんていません」
「そうなの?真行寺くんは、とっても素敵な男性だわ。女性がほっとかないと思うけれど」
「そんな事、ないです」
「エンリョ シテマスネ」
「遠慮なんて、そんな…」
つい、はにかむように話してしまった真行寺を、穏やかな瞳が見つめてくる。
小柄なジェームス夫人の笑顔は、亡くなった祖母を思い出させてくれるものだった。
何となく温かくなるのを感じた。
好きな人はいます。
ずっと好きなんです。
今でも大好きなんです。
言葉にはできない気持ちをくみとってくれたのか、夫人はにこやかな笑みを向けてくれる。
それからは、何を話すでもなく、ゆっくりと歩いて行った。
二年坂の中ほどにお茶屋さんがあった。
そろそろ、休憩を取った方がいいかもしれない。
「そこで、ちょっとお茶を飲んで行きましょうか?」
「そうね、ちょうど喉も渇いたわ」
三人で、軒下に置かれている長椅子に腰を落ち着けた。
この店では一番よく好まれていると言われる”抹茶セット”を頼んだ。
少し苦味のある抹茶が初めての真行寺だったが、案外に飲みやすいと思う。和菓子を頬張り、抹茶を最後まで飲み干す。
空は秋晴れで、なんて良い天気なんだろう。
ため息一つ。
以前に祖母が言っていた言葉を思い出す。
「ため息をつくと幸せが逃げるって言うのは違うんだよ。身体の中の悪いものを外に吐き出すんだよ。それがため息」
だから、幸せを逃がすんじゃない。気がつけば直ぐに溜まる辛い思いや弱音を吐きだすだけだ。
いつか、きっと会える日が来る。
その想いだけを、身体の中に残しておけばいい。
それだけで良い。
つらつらと、そんな事を考えていた時だった。
店の中から客が出てきた。ひとり、ふたりと。
そのふたり目の人が、何かに躓いたのか、少しつんのめるようにして前の人の腕を取ったのが、目の端に留まった。
「おっと、大丈夫か?」
その声には聞き覚えがあった。
何時だったか、まだ冬の頃に聞いたような。
「大丈夫です、すいません、躓いてしまって…」
この声は。
忘れた事がないこの声は。
はっとして真行寺は、声の主達を見た。
つられるようにして、声の主達も真行寺を見た。
「ア、アラタ…さん…」
「…真行寺…」
瞬間、身体が冷たくなっていくのが判った。
三洲の卒業で別れたその後の二人のお話。
11月25日〜12月28日