優しい嘘 -3-



 初めて出会ったあの日は、雪深い山間の陽射しが温かい日だった。
 ふと見せたあどけない表情に捉われて、気がついた時には恋に落ちていた。
 理屈ではなく。打算もなにもない真っすぐな想い。ただひたすらに好き。
 今も変わらずに、三洲だけを好き。
 雪が舞う中、別れの言葉しか残してくれなかったけれど、それでも尚、想いは色褪せる事はなかった。


 互いに見つめあっていたのは、多分そんなに長い時間ではなかったと思う。
 八年の歳月が三洲を大人に変えてはいても、色素の薄い髪も声も真行寺の覚えている三洲だった。
 
「アラタさん…なんで…」

 やっと言えた言葉に、しかし、三洲は一瞬だけ表情を曇らせただけで、すぐに感情のない瞳の色になった。
 真行寺の問いかけには答えないで、三洲の前に立つ相楽貴博に視線を移すと。

「先輩、すいませんでした、扱けそうになって」
「いや、それはいいさ」
「じゃ、行きましょうか」
「……」

 相楽は真行寺の事が気になるものの、三洲に促されて二年坂を上がっていった。
 真行寺は、何も言えず後ろ姿を見ているしかなく。

「真行寺くん?」

 ジェームス夫人の声で我に返った真行寺は、慌てて背広の内ポケットから名刺を取り出した。
 急いで三洲の後を追いかける。

「アラタさん!」

 三洲の腕を掴むと、そうされるとは思っていなかったのか、腕がビクリと震えたのが判った。
 けれど、今は三洲の気持ちなどに構ってはいられない。
 手に名刺を強引に握らせる。

「これ、俺の連絡先が書いてあるから。アラタさん、連絡ください」
「……」

 目の前で真行寺の渡した名刺を捨てるような事はしなかったが、最後まで返事をしなかった。
 真行寺には背中しか見せたくないかのように、そのまま歩いて行った。
 よく見れば、三洲は相楽と二人きりではなく、他にも数人の男女と一緒だった。

「真行寺くん?」
「あっ、はい、すいません…」
「あの方たちは?」
「あの…高校の時の先輩達です…」
「そうなの…。素敵な方達ね」
「はぁ…、そうなんですよ。生徒会長をしてたりして、優秀でした…」
「真行寺くんの自慢の先輩達なのね」
「そうです…。変に時間潰してしまって。さ、行きましょうか」

 二年坂から三年坂を歩いて、清水寺に到着する。
 観光客が本当に多い。その中を、先に歩いて行ったはずの三洲を探すが、見つける事はできなかった。
 遠くの山を眺めながら、頭に浮かぶのは三洲の事ばかり。


 祠堂で一緒に過ごした二年の間、彼はいつも忙しい毎日を送っていた。そんな忙しい三洲を何時も追いかけていた。
 あんなに充実した日々は、いずれ三洲の卒業で終わるのだろうと思っていたところに、思いがけない告白を彼から聞いた。
 嬉しさや戸惑いもあったけれど、それ以上に、彼と一緒に歩いて行ける人になろうと思ったのだ。
 三洲とともに。
 すべては三洲とともにあり続けるために。

 あれからは、他の誰かに心を捉われる事もない。
 友人達からはよく不思議がられたけれど、自分自身でさえよくわからない。多分、不器用なのだろうと思う。


 翌日、ジェームス夫妻を関西国際空港で見送った後、東京へ帰るためにJRの新大阪駅まで急いだ。
 19時発の新幹線に乗り込み、指定の席に座ると、ようやく肩の荷がおりた気がして、大きなため息をついた。
 ゆっくり滑りだした新幹線の窓から、すっかり陽が落ちた街並みが微かにみえる。やがて窓ガラスには、自分の顔しか映らなくなった。
 疲れているのかそうでないのか。よく判らない顔をしている。
 明日も休みを取っているので、急いで帰る必要もないのだけれど。待っていてくれる人もいないのだけれど。
 三洲が待っていてくれたなら。
 帰る場所に三洲がいてくれたなら、どんなに疲れていたって、きっと心は弾んでいるはず。
 思わず、口元に苦い笑いが浮かぶ。
 何時もはそんな事を思わないのに、今夜はどうしようもない。
 昨日の思いがけない再会が、真行寺を堪らなくさせる。切なくさせる。

――― アラタさん…何してるの…何処にいるの…まだ、京都にいるの…

 会いたい。会いたい。声が聞きたい。
 話がしたい。何を思って、どうやっていたのか。
 自分の事を思い出す事はなかったか。
 あの二年間を三洲はどう思っているのか。
 どうして、別れを選んだのか。

 堂々巡りの問いかけは、辿り着く答えに巡り合えないまま、いつだって宙に浮いたままだ。
 新幹線の揺れが眠気を誘っている。今夜も三洲を想いながら瞼を閉じる。

 車内アナウンスが、京都駅到着を知らせる。

 ――― 京都か…

 車内から、ホームにいる待ち人を何気なく見ると、その中に三洲達を見つけた。
 胸の辺りがギュッとなる。

「アラタさん…まさか…」

 三洲達が乗り込み、真行寺のいる車内に入ってくるのが見えた。
 まさか、帰りの車内で一緒になるとは。
 それぞれが網棚に荷物をあげている。向こうは、まだこちらに気が付いていない。
 新幹線が発車され、ゆっくりと京都駅を後にする。

 真行寺は、今はもう三洲の事を一心に考えていた。
 昨日、偶然に出会い、なんとか連絡先を渡した。けれど、あの三洲が、自分から連絡をしてくるとは思っていない。
 一度、自分の中で決めた事を、そう易々と変える人ではない。
 三洲と言う人は、自分が動かなければ、きっとずっと動いてはくれない。

 初めて出会った時、一日に二度も出会えた奇跡を信じて彼を探したあの日。
 八年の月日が横たわる今の二人に、昨日と今日も出会えた奇跡がある。
 今、このチャンスを手に取らなければ、自分は絶対に後悔する。

 車内アナウンスが、次の停車駅を告げた。

「よし、決めた」

 真行寺は、荷物を持って三洲達のところまで行った。

「こんばんは、真行寺です。アラタさんの荷物はどれですか?」

 突然に声を掛けられて、皆は真行寺をみているだけで声がでない。中でも、三洲が一番驚いている。
 やっと、連れの女性が。

「三洲くんの荷物はこれよ」

 指差された荷物を、すいませんと言いながら真行寺は網棚からとると、三洲の手首を掴み、無理やりに出口まで連れて行った。

「おい!真行寺っ!」
「すいません、アラタさん。次で降りますよ」
「離せよ、真行寺っ」
「いやです」

 名古屋駅に到着して、ドアが開くと、真行寺は三洲の手首をひっぱりながら一緒に降りた。
 真行寺の腕を離そうともがいてはいるが、意地でも離さない。
 その内に、新幹線が出発した。
 今のが東京行の最終便であることは、三洲も知っている。

「いきましょ、アラタさん」
「何処へ行く?」
「いいから一緒に来て」
「何も話はない。手を離せ」

 階段を降りようとしていた真行寺は、立ち止まり三洲を振り返った。

「アラタさん、俺達付き合ってたんだよね。だったら、アラタさんは、俺の話を聞く義務がある」
「何言って…」
「あの時、俺はアラタさんの言った事に納得した訳じゃない。何も言えなかっただけ。アラタさんは、自分の気持ちだけ俺に押し付けただけじゃないか。だったら、今度は俺の話を聞く番だよ」
「真行寺…」
「とにかく、一緒に来て。近くのビジネスホテルに泊まるから。話はそれから」

 真行寺は三洲の手を離さないままタクシーに乗り込み、名古屋駅にほど近いホテルに泊ることにした。


三洲の卒業で別れたその後の二人のお話。
11月25日〜12月28日