優しい嘘 -4-



 落ち着いた先は、名古屋駅にほど近いホテルのツインの部屋だった。
 タクシーの中でも、フロントで真行寺が部屋をとっている時も、部屋に入ってソファ代わりにベッドに腰掛けた時も、三洲は一切口をきかなかった。
 口を真一文字に引き結んだまま、何を考えているのか。
 真行寺は、仕方なくシャワーを先に浴びた。

 バスタオルで身体を拭きながら、ベッドに腰掛けている三洲を見つめた。
 やっと会えた想い人。笑顔も声すらも自分には、今はくれないけれど。
 いつも寂しさと隣り合わせの中で、三洲を思い出さない日はなかった。
 それなのに、もし会える事があったなら、最初に言おうと思っていた言葉を思い出せない。
 大人になった三洲は、あの頃と変わらずに綺麗な顔立ちをしている。
 言いたかった言葉は、何だったのだろう。

「アラタさんもシャワー浴びたら?」

 その言葉で、ようやく三洲は真行寺を見た。
 その瞳は、冷たいのか温かいのか良く判らない。

「話って?」
「うん…」
「言えよ。言いたい事があるんだろ」

 三洲は居心地がよくないのか、苛々してきているようだ。
 何から話そうか。何を話そうか。
 一度、目を閉じて。
 思い出せない言葉よりも、やはり一番聞きたい事は理由だ。

「アラタさん、俺達、やっと付き合い始めたのに、どうして別れる事を選んだの?」
「なんだ、そんな事か」
「アラタさんにはそんな事でも、俺には大事なことなんだよ」

 三洲の側により、真行寺もベッドに腰掛けた。

「卒業式の日にあんな事聞かされて、はい、そうですかって納得するとでも思った?」
「お前、何も言わなかったからな」
「俺は…アラタさんがあんまり思いつめてたみたいだから。だから、何も言えなかった」
「それで?」
「俺は…、俺はずっとアラタさんと…」
「飽きたんだよ」
「え?」
「真行寺に飽きたんだよ」
「アラタさん…」

 三洲は、真行寺の目を見据えて、顔色一つ変えないで言いきった。
 思いもよらなかった理由を突き付けられて、真行寺は眩暈がしそうだった。
 そんな事があるはずがない。絶対にない。
 二学期の終業式の日。時間ぎりぎりまで一緒にいた。改札口を隔てて、名残惜しげに手を振ってくれた三洲は、真行寺が切なくなるほどの笑みを見せてくれた。
 だから、卒業式まで会えなくても。寂しいと思う事はあっても。二人の気持ちが繋がっていると思えたから。その絆を信じていたのに。

「嘘だ…」
「どうして?」
「飽きたなんて、嘘だ」
「一時の気の迷いだっったんだろうな。だから、離れている間に飽きたんだよ」
「そんな事…」
「受験もあったけど、あの三学期は静かでよかった。お前、煩かったものな」
「アラタさん…」
「やっと静かになったと思ったのに。お前は相変わらず強引で。もしかして、やりたかったのか?」

 口角の端をあげ、そんな事を言う。それは、男にしては妖艶な笑みに見える。
 しかし、こんなに近くにいるのに、その奥の三洲の気持ちが読めない。
 こんなにも平気に、自分に辛辣な言葉を浴びせられるのか。
 一緒に過ごした二年間は、辛辣な言葉の裏には、確かな想いがあった事を三洲自身が伝えてくれたのに。
 三洲の本音が判らないのは、あの日とまるで同じようで。三洲の哀しい決意が、そこにあるように思えて仕方がないからだ。

「お前、もしかして、俺を見かけて勃ったのか?ほんとに、相変わらずだな。何時まで経ってもやりたいばっかりで」
「……」
「ま、俺も男は久しぶりだから。相手してやるよ」
「アラタさん…」
「真行寺のおかげで、男も気持ち良いって教えて貰ったようなもんだからな」

 そう言いながら立ち上がり、真行寺の首の後ろに手を回してきた。
 噛みつくような口づけ。口腔内を舌が、まるで蹂躙するかのように舐めまわしてくる。
 頭の芯がぼんやりとしてくる。まるで眩暈でも起こしたかのような感覚。
 後は、もう無我夢中で三洲の唇を吸い上げた。
 ベッドに押し倒し、着ているシャツのボタンを外すが、気が急いているのか上手くいかない。
 我慢できなくて、どうにもならなくて。
 三洲の汗の匂いにくらくらして、もう、何もかもが判らないまま、止まることなどできなかった。






 まるで夢のような時間…







 真行寺は、狭いベッドで三洲を庇うように寝返りを打った。
 いや、打とうとした。
 腰を抱いていた左腕に、何の感触もない事に気がついて、慌てて起き上った。
 三洲がいない。
 もしかして、一人で寝ていた?
 そんな筈はない。意識を飛ばした三洲の身体を綺麗にして、二人で一つのベッドで眠ったのだ。
 布団に手を当ててみると、すでに冷たかった。
 部屋に設置してある小さなデスクの横に置いていた三洲の荷物をみるが、なくなっている。
 三洲は、自分に声すら掛けずに出て行ったのだ。

「アラタさん…、なんで…」

 ようやく腕の中に三洲を捕まえたと思ったのに。
 昨夜、三洲から聞かされた言葉は、本心ではないと思っている。
 10代の頃の、確かに幼い恋だったろう。
 けれど、心は一点の曇りもなく、ひたすらな想いしかなかった。
 三洲からの思いがけない告白は、身体だけでなく心も繋がっていた事を教えてくれたのに。
 どうして、自分からは三洲を捕まえられないのだろう。
 こんなに想って追いかけているのに。

 項垂れていた頭をあげて、隣のベッドを何気なく見る。
 昨夜は、あのベッドで抱き合った。シーツもベッドカバーもくしゃくしゃになっていたはずだ。
 今は、汚れものは一つに丸められていて、名残もなにも残っていない。
 そのベッドの上に、真行寺の服が丁寧にたたまれて置かれていた。
 脱ぎ散らかしていたはずなのに。
 きちんと集めて、畳んでくれたのは。

「アラタさん…」

 真行寺は、それを両手に取って顔を埋めた。
 三洲は、どんな気持ちで自分の服を揃えてくれたのだろう。一枚一枚丁寧にたたみながら、何を思っていたのだろう。
 自分がどうでもいい存在ならば、こんな事はしない人だ。
 きっちりと線引きをして、中と外とでは天と地ほどの差をつける。

「アラタさん…」

 くぐもった声になっているのは、顔をまだ埋めているだけではない。
 丁寧にたたまれた服に、三洲の本音が隠れているのが判ったから。
 真行寺の前では、見事に仮面を被ったままでいられた三洲が。
 眠っている、その横で服を揃えていてくれた三洲が。
 涙はとめどなく溢れるばかりで、堪らなく胸が痛んだ。

 本当の理由は判らない。
 何が、彼をここまでさせるのか。
 けれども、三洲の心には、未だに自分がいる。
 それは、もう確信に近かった。

「アラタさん…、俺、絶対に諦めないから…」

 カーテンの隙間から、弱い朝陽が差し込んでいる。



 その頃三洲は、始発で乗った新幹線の中にいた。


三洲の卒業で別れたその後の二人のお話。
11月25日〜12月28日