小さな海 -3-



 海側の空き部屋の暖房は、いつも早めに来る三洲がつけていてくれる。毛布も、三洲がどこからか調達してくれた。それでも、冬の始まりのこんな夜には心もとない。求めに応じるままに抱いてしまった後に眠ってしまった三洲の身体を、寒さに晒さないように抱きしめた。それしか、自分にはできないから。

 ここのところの三洲はずっとこうだ。性急に自分を求め、さらに、一度達しても足らないかのように求めてくる。その後は、疲れるのだろう暫く眠ってしまう。以前なら、自分の方が寝てしまっていたのに。
 自分だけの片想いで、ただの「カラダダケノカンケイ」。冷たく簡単にあしらわれ、心の距離を感じさせる言葉も吐かれてしまう。なのに、なぜか違う熱さがあるように思える。

 何だろう。
 何か。
 何かが以前と違う気がする。

 三洲は気付かれないようにしているが、能天気な自分もそこまで馬鹿じゃない。突き放されているのに求められていると言う、小さく微かな違和感だ。気にするほどの事でもなく、ただの気のせいかもしれない。でも、目を逸らすこともできない。
 一度生まれてしまった違和感を、無視なんてできない。

 本当に欲しいのは心だ。三洲の心が欲しい。自分と同じように好きになってもらいたい。
 想いを、受け入れて欲しい。

 ――― 遠いなぁ

 目を固く瞑り、三洲の肩口に口づけた。







 真行寺は部活が休みになった放課後、担任から頼まれた用事のため、科学室の掃除に来ていた。ここが終われば、次は音楽室である。一緒に頼まれたクラスメイト達もそうだが、掃除なら授業が終わった後に全校生徒で行っているのに、どうして自分達だけ余計にしなければいけないのかと、不平不満を口にしていた。

「まあ、良いじゃんよ。息抜きになるし」
「真行寺だって嫌だろ?」
「大好きだよ〜」
「お前はなあ、明るいなぁ」
「どうも」

 彼特有の人懐っこい笑顔は、周りも明るくさせる。

「あれ…」
「どした?」
「今、生徒会長が通ったぜ、真行寺ぃ」
「ホントに?」
「おーおー、真行寺の絶賛片想中な」
「煩い」

 クラスメイト達にからかわれながらも真行寺は、科学室から顔を出して廊下をさっと見回した。一つ置いた隣は音楽室になっている。その向こうが音楽準備室だ。そこに入っていく三洲の背中が見えた。

「卒業式の準備なんかで忙しいから、声はかけるな。追いかけても来るな」

 いつものように名を呼びそうになった所を、夜中の逢瀬の帰り際、冷めた目で三洲がそう言っていたのを思いだし、慌てて言葉を飲み込んだ。今さら念を押されなくてもと、あの時は思ったものだが、こうして三洲を見かければ声をかけてしまう自分だから、三洲としては言いたかったのだろう。

「危ない危ない」

 こっそり囁いて、クラスメイト達のところに戻ることにした。


 音楽室の掃除も終えた帰り道、真行寺は音楽準備室をもう一度振り返ってみた。
 その時。ちょうどドアが開き、誰かが出てきた。後ろ姿しか見えないけれど、あれは三洲と同じ二年生だろうか。
 遅れて三洲が出てきた。なにか話をしている。遠目ではあるけれど、親しそうにみえる。
 ドアが閉められたのを見止め、真行寺は踵を返すように階段を下りて行った。別に盗み見していた訳でもないのに、何故か見てはいけないような気がしたのだ。
 心の中がざわつく。
 二人きりだったのかもしれないし、そうではなかったかもしれない。用事であったろうし、三洲が学内で誰と一緒にいようと、何をしていようと、それは自分には関係のない事だ。知っている全てが、三洲の全てではないだろう。ましてや、生徒会の仕事もあるのだから。
 それなのに、言葉をつくし、尤もな説明を並べ立てても、一度ざわつき始めた心は、なかなか落ち着いてくれない。

「アラタさん…」

 自分との逢瀬が夜中だから、他の誰かとは放課後なのだろうか。忙しい中、僅かな時間を作ってまで会いたい人がいるのだろうか。

「アラタさん…」

 胸が痛い。
 一学年違う年齢差。「カラダダケノカンケイ」と一線を引かれている心の差。
 普段から感じていた不安は、漠然としていて現実ではないように思っていた。けれど、今日見た光景は、三洲との間の距離を身近に指示されたようだった。

「片想いって…辛いなぁ…」

 真行寺の呟きは、誰に聞こえる事はなかった。





 廊下には誰もいないと思っていたのに、ちらっと見えたあの背中は真行寺に似ていた。すぐに階段を下りて行ったが、どうなんだろう。
 こんな時間にこんな場所にいるところを、もしも真行寺に見られていたとしたら。

「三洲?」
「…はい」
「掃除当番の生徒達だろうに、三洲は気になるんだ」
「いえ…、今日はこれで」
「またな」
「まだ終わらないんですか?」
「もう少しね。じゃあね」

 男は何度か三洲を呼び出した。する事も、決まってキスだけだ。それ以上を要求はされないが、断れないもどかしさを感じていた。
 いつ終わりにしてくれるのか。解放されるのか。弱みは、握っている分には良いけれど、握られていては口の出しようがない。
 真行寺と同じだと思った。
 彼に対しても、弱みを握っている事を嵩にきるように接してきている。そういう理由付けがあれば簡単だと、そう高をくくっていたからだ。
 それなのに、何時から変わっていったのか。何時から大切な存在になっていったのか。
 ずっと、本音の本心で真行寺を求めていた事に目を背け、知らないふりをしてきた。そのうちに、目を瞑り、見ないふりをしていた。そんな自分の心に、もう嘘はつけないと正面から対峙した頃には、自分でも信じられないくらいに深く傾倒していた。心は、もう真行寺しかいない。



 その夜も、三洲は真行寺をいつもの空き部屋へ呼び出した。
 何度かの行為の後、今夜は真行寺の方が眠っている。
 穏やかな寝息を立てる真行寺の頬に、人差し指でなぞる様にそっと触れてみた。そうして、手の平を当て、彼の体温を感じてみる。

「お前は…温かいな…」

 小さな囁きは、真行寺の耳には届かない。その事が、今は有難い。
 素直でない自分は、決して口に出しては伝えられない。しかも、他人とキスとは言え触れ合ってまでいる。それが、例え真行寺のためなのだとしても、自分自身が赦せない。
 真摯な気持ちでいてくれる真行寺に、だから言えない。

「お前が…好きだ…」 

 眠っている真行寺にしか伝えられない。
 三洲の頬を、涙が伝い落ちた。


真行寺×三洲+オリキャラ
7月17日