伝えたい言葉 -2-




 三洲はエレベーターに乗り込むと、目指す3階のボタンを押した。
 ドアがその重みを教えるようにゆっくりと締まり、3階までの僅かな時間。
 過去2回行われた同窓会には、外せない用事が重なり出席できなかった。
 そうすると、段々と自分の中から祠堂が遠くなっていっているようで。今回も案内の葉書が来たところで、出席はしないつもりだった。
 だが、事情が変わった。
 会いたくなった。と言うよりも、顔を見たくなったというべきか。


 3階に着きドアが開きロビーへと歩き出す。懐かしい顔を見つけた。
 『私立祠堂学院高等学校 第○○期卒業生 同窓会』 と書かれた案内板の横に設けられた受付には、幹事の矢倉がいた。
「久しぶり」
「三洲〜、やっと来てくれたな」
 互いに握手を交わすが、なんとなく照れてしまう。
 矢倉の隣にいるのは、
「八津?」
「久しぶり、三洲」
「雰囲気が高校の頃と変わってたから。へぇ〜」
 三洲は矢倉と八津の顔を交互に見て、意味深な笑みを見せた。

「ま、そんな訳でね」
 矢倉は肩を竦めて、だが、その笑顔がすべてを教えてくれている。
「ここに名前、書いてくれ」
「はいはい」
 少しかがんで、今回の名簿に名を記した。
 そこにあるのは見知った名前ばかりで。ほんとは楽しめたらどんな良かったかと思う。


――― 今日は皆に会いたいから来た訳じゃないから


 三洲は、今気がついたように、
「そうだ、崎は来てるのか?」
「ギイもかなり忙しい身でさ、今日は最後までじゃないらしいが来てるよ」
 矢倉が顎で教えてくれたのは、3階にある宴会場の中でも小ぶりの広さの部屋だった。
「ほら、一番広いところを一つだと何となく話しづらいかと思って、今回は中くらいのを二つ予約したんだよ。って、三洲、聞いてる?」
 矢倉と八津に向き直ると、
「ああ、すまない」
 逸る気持ちを抑え、三洲は祠堂にいた頃の皆が知る三洲としての柔和な笑みを浮かべる。
「俺は崎たちのいる方に先に行ってるよ」


 宴会場の入口で立ち止まり中を見渡すと、幾つかのテーブルの一つに崎を見つける。
「崎!」
 声をかけると、顔を挙げた崎と目が合う。
「三洲!久しぶり〜、元気だったか?」
 崎らしい声で屈託なく笑いながら掛けられた声に、
「なんとかな」
 近づいて、
「かなり忙しいんだろ、崎は? すっかり御曹司モードになってる」
「まあ…。でも、三洲もだろ? 噂は聞いてるよ」
「はは、嫌な噂じゃなきゃいいけどな」
「何言ってるんだよ、医学界のホープって言われている癖に」
「まさか」
 笑顔を絶やさずに話しながら、やっぱりこいつのことは好きにはなれないな。三洲の崎への印象は、結局は独りよがりのものかもしれない。そういう自分を狭量だと思うけれど、こればかりは仕方がないのだ。


「ちょっと良いか?」
 崎に小さく耳打ちすると、
「ああ」
「じゃ、ちょっと崎を借りるよ」
 三洲もそうだったが、崎は多分それ以上に慕われていたのだろう。名残惜しそうな同窓の者達からの視線を背に受けながら、崎をロビーまで連れ出した。前を歩く三洲についてくる来る崎。
「三洲、どこまで行くんだ?」
 僅かに硬くなる声音を背中に聞きながら、三洲は何も答えずに歩くだけ。
 もうロビーの端まできてしまう。この先にはトイレだけしかないところで立ち止まった三洲に、
「何の話なんだ、三洲」
 何も言わずこちらに背を向けたままの三洲を不審に思い、肩に手をかけた。
 まるでその行為を待っていたかのように三洲は、振り向きざまに崎の左顎めがけて拳を振り上げた。
 予期していなかった三洲からの一発に、崎は後ろによろけてしまうが、すぐに態勢を立て直す。
「なんだよ、いきなり!」
 三洲は握りしめていた拳を広げ、痛みを逃がすために手を振った。そうして、冷やかに細めた眼で、
「崎には幾つも貸しがあったろ。今、返してもらった」
「何が言いたい」
「判らなかったら、自分の胸に手を当てて考えろ」
「くそ、口の中が切れてる。三洲、加減しなかったろ」
「用はすんだ。じゃ」
 崎を残し、三洲は何が起こったのかと驚いている皆の中を受付までくると、
「済まないな矢倉。俺は用事があるから帰る」
「三洲…」
 肩をぽんと叩いて、すぐそばの階段から降りて行った。その背中に、
「三洲っ! 言いたい事があれば言えば良い!」
 三洲は振り返ることなく、ホテルを後にした。


「崎くん、大丈夫かい?」
「ああ、口の中がちょっと切れただけだから」
 心配で声をかけてくれた吉沢に、
「ちょっと、顔あらってくるわ」

 

 トイレの洗面台の鏡に映る自分の顔を見ながら、
「ったく。三洲のヤツ。どうせ真行寺のことだろうが、俺はアドバイスしただけだ」
 そんなに大事なら、手離さずにおけばいいものを。
 祠堂に居た時の三年の文化祭の事を思い出す。あの時と状況は同じだろう。
 文化部の演目に運動部の真行寺を出させたのは、頼まれたからかもしれないが、最終的には三洲が自分で判断し本人に伝えたのだ。託生から聞かされていたあの頃、どうみたって両想いの真行寺に対して、三洲はまるで理不尽のように真行寺に酷く辛く当っていたらしい。
 好きを好きと言わないのか、言えないのか。屈折した想いは、態度や雰囲気だけでは結局は人には伝わらない。
 相楽先輩も三洲も、見ていてじれったくなるほどに、それは時としてイラつかせるほどに素直じゃなかった。
 口にして言えば良いじゃないか。その事で自分の望むと望まぬとに道が別れようと、気持ちの整理はつくだろう。
 大切な。大事にしたいと切に願う想い人と、どうしたって側にはいられない時がある。どうしても叶えられない望みが崎の瞳に影を落とす。
 けれど、心のどこかでは。
「やっぱり…羨ましかったのかもな…」
 崎は自嘲めいたため息をついた。





 三洲は同窓会に顔を出した後、スペインへ向かった。
 大学で師事していた教授が出席する『国際法医遺伝学会議』へ、今回初めて三洲の同行に許可をもらったのだ。他にも何人も同行する者はいるが、三洲は中でも一番若く、いくらホープと言われていても許可を貰える事に期待はしていなかった。
 今年の開催地がスペインだと聞いていた。同行の打診があった時は真行寺の事が頭を過り、迷わなかったと言えば嘘になる。
 遠く離れていれば、まだ平気でいられた。それが、会おうと思えば会える距離に行ける事実を突き付けられた途端、心のざわつきは収まる事を放棄してしまった。
 今思えば、平気だと言い聞かせていただけかも知れないけれど。


 会いたい。
 ただただ、会いたい…。


 こんなに切に思った事はなかった。だから、スペイン行きが決まったのを受けて若林教授にメールを送った。
 多分きっかけが欲しかったのだと思う。
 色々な思いが交差する。意地やしがらみや恩義を感じていることも。何よりも、当の本人である真行寺の気持ちに対して、配慮する事無く一方的に決めてしまった事だ。ただ、そうまでしなければ自身の気持ちが揺らぐようで、返って居た堪れなくなる。
 でも、もうそんな事に捉われなくてもいいんじゃないか。
 一度くらい、思ったままを口にしても。




 国際会議は、三日間の開催予定で行われるが、三洲が同行して出席するのは初日だけで、後は現地解散になる。本来なら三洲はすぐに帰国しなければいけなかったが、殆ど、休みなく仕事をしていたおかげで、短いが数日は休みがとれた。
 どれだけ胸を撫で下ろしたか。


 ハガキに記された連絡先だけを頼りに国際線の小さな飛行機で、真行寺がいま働いている街に向かった。飛行場からはタクシーを拾う。ホテルの名を告げると、ここではかなり評判が良い日系のホテルらしく、運転手は笑顔で三洲を乗せてくれた。

 やっと。
 こんな近くまでやってきた。自分から。
 連絡は一切せずに。


 真行寺はどんな顔をするだろう。もう、三洲にとって遠い人になってはいないだろうか。
 あんなふうに送り出したのだから。今でも。と願うのは虫がよすぎるかもしれない。
 あんなにも容赦ない態度ばかりとっていたから、愛想をつかされたとしても仕方がないけれど、真行寺なら、と期待する気持ちも確かにある。


 ようやくホテルが見えてきた。
 気がつけば手が汗ばんでいる。と同時に、痛いくらいに疼く胸の中。


 到着して、フロントでまず部屋を取った。
 予約もせずここまで来てしまうなんて。なんて自分らしくないことかと、苦笑いが浮かぶ。

 部屋に落ち着くと、逸る気持ちを抑えるようにシャワーをあびた。心配も不安も期待さえも、とにかく洗い流して落ち着かせたかった。
 熱い目のお湯にあたったおかげで少しは胸のざわつきもおさまってくれたようだ。


――― 今のうちになら会えるかも…


 部屋の電話からフロントへ尋ねる。
 このホテルに研修目的で派遣されている真行寺に会えるにはどうすればいいか。
 真行寺が大学の後輩である事をつげると、少し待たされた後、プライベートルームの場所と真行寺の部屋を教えてもらう。


――― 会いに行こう


 一階のロビーからフロントに教えられた場所に向かう。
 足取りは重いのかそうでないのか、もう判らない。判っているのは、自分の心臓の鼓動が聞こえてきそうな感覚に眩暈を起こしそうになっていること。

 そうして辿り着いた部屋の前。
 「NO・102」と書かれたドアの向こうに彼がいる。居るはず。
 ノックをしようとして、僅かな躊躇いが。
 ああ、だけど。
 目を閉じて、ドアをノックした。
 少し間があって、聞こえてきた声。
「はい」
 ずっと。もうずっと長い間聞きたいと願っていた声とともにドアが開けられた。

 
 人は、あまりにも予期せぬ事に出会った時は、きっと顔から表情が無くなるものかもしれない。
 互いの間に止まった時間が横たわる。
 僅かな間であったかもしれないけれど、三洲には己の罪を見せられているようで堪らなかった。


 そんな沈黙を破るように、先に口を開いたのは真行寺だった。
「アラタ、さん?」
 少し首を傾げ、瞬きをする事さえ忘れたように真行寺に見つめられる。
「アラタさん、だよね?」
「…久しぶりだな真行寺」
「夢…」
「え?」
「夢なら…覚めてほしくない」
「本物だよ」
 真行寺の口がまた僅かに開かれるが、声は発せられない。そのかわり、何かに耐えるような表情が、見ているだけで辛さが伝わってきて。
「すまなかった…」
 静かに首を振ってくれるのは何故?
「それより真行寺…、中に入れてもらえない?」
 その言葉にハッとしたように、
「あああ、アラタさん、ごめん…なんかびっくりしちゃって俺…」
 頭を掻きながら少し慌てている。ぎこちない手がドアを開けてくれて、中へ入れてもらえた。
 真行寺が後ろ手にドアを閉めたのを背に感じつつ、ざっと見回してみる。
 そんなに広くはない部屋には、ベッドと机と椅子が三脚ある。


――― ここでお前は過ごしてきたのか…


「アラタさん、なんで?」
「会いに来たんだ…」
 振り返り、真行寺にと。
「うそ…」
「どうして?」
「だって…だってアラタさん、全然連絡くれなっかたじゃないっすか…、俺からだってハガキ一枚しか送らせてくれなかったのに…」
「そうだな…」
「ずっと、なんにもなくて…なんでいきなり…」
 少しずつ近づきながら。
「真行寺に、会いたかったから…」
「本当に…」
「俺の事、思い出す事はあった?」
「…いっつもアラタさんのこと考えてた…、アラタさんは?」
「俺は…思い出す事はなかったな…」
 真行寺が僅かに顔を強張らせる、辛そうに。
「馬鹿だなぁ、忘れた事がないから思い出す必要なんてなかったんだよ」


 突然、腕を引かれ、真行寺に強く抱きしめられた。
 重ねられた唇は角度を変えて、息をつく間さえ与えられないくらいに何度も何度も重ねられた。
 やっと解放された時は大きな両手で頬を包み込まれていた。
「夢なら覚めないで…」
「だから本物だって…」
「アラタさん…アラタさん、アラタ、さん…」
 それからはうわ言のように名を呼ばれ、口づけながら互いの服を脱がせ合った。直に触れる肌が熱い。
 そのままベッドに二人して倒れこむ。
 真行寺の背中を掻き抱きながら、深くなる口づけに何も考えられなくなっていった。
 遠くなっていく意識の中でみたものは、真行寺の頬に光る涙だった。


このお話は『真夜中のうたた寝』の櫻井 香(kou)様が書かれました「アルテミス」の優希の”勝手に続きバージョン”なのです^^;
「アルテミス」を読み終えた後、ある場面が頭から離れてくれなくて、勢いのままに書いてしまいました。
『2』で終わる予定です。…のつもりでしたが、番外編と言う名の『3』に続きます^^;
6月21日〜7月2日