サヨナラは言わないまま -2-



 消灯前に何か飲み物をと思い、葉山託生は談話室横の自動販売機まで降りてきた。
 小銭を入れ目当ての物を手にとって、何気なく見渡せば、テレビの前に見知った背中を見つけた。

「真行寺くん」

 振り向いた真行寺に一瞬だけだけれど浮かんだ色を失ったような顔は、でもすぐに消えて、いつもの人懐っこい笑顔を見せてくれた。
 側に行き、向かいに腰を下ろすと、
「どうしたの、ひとりで?」
「こんばんは、葉山先輩…」

 疲れたような笑顔は、多分、今が文化祭前で一番忙しい時だからだろう。

「珍しいよね、真行寺くんがひとりでここにいるなんて」
「うん…、同室のヤツが文化祭の前でテンション高くって。疲れてるのに、なんか更に疲れそうで逃げてきたっすよ」
「270に来ればいいのに」
 そう言うと、真行寺は曖昧な笑みを浮かべた。
「三洲くんもね、今日は遅かったけど、今なら部屋にいるよ」
「…行けないっすよ…」
「どうして?」
 真行寺はそれには答えないで、またテレビに目を向けた。
「アラタさん、すっげ忙しそうだし。多分、俺なんかより疲れてるみたいだし…行けないっす」
 視線を前に向けたまま離す真行寺は、横顔だけれどひどく切ない目をしていると思った。
「真行寺くん…」


 文化部の演目の練習を終えて部活にでる。それが終わっても、最近は、前にはなかった雑用が待っている。先輩に立てついた為の仮の処分らしい。
 その事が周りで、色々噂になっている事も知っている。
 だから、どうだと言うのだろう。
 真行寺は、何も言わず、誰にも泣き言一つ零さずに、目の前にあるやらなければいけないことをしていくことだけが、自分が今できる事なのだと思うのだ。
 どこの部にも属していない生徒会と言う執行部の一人として自分に劇に出るように言った三洲は、多分、何か理由があってそう言ったのだろうと、今なら理解できる。
 だから、誰のためでもなく、三洲のためにしなければいけないと思うから。
 

「ねぇ、葉山先輩…」
「なに…」
「俺ねぇ、アラタさんの事やっぱり好きなんだなぁって…」
 葉山の方は見ずに、けれど、誰かには聞いて欲しいというような声音だ。

「前に、アラタさんのこと好きでなくなったら、どんなに楽になれるかなんて、俺、弱音吐いちゃったすけど。でも、できないっす。アラタさんのこと、やっぱり好きっす…」
「判ってるよ、真行寺くん…」
「今日、俺が食堂最後かと思ったら、アラタさんがいたっすよ。相変わらず近づくなオーラ出まくってましたけど…。あの人、先に食べ終わって出ってた後、俺が食器返しに行ったら、アラタさんのが残ってて。アラタさん、また、あんまし食べてないんすよね。7月の頃みたいに…。大丈夫かなって。また、倒れたりしないかなって…」
 なんか心配になっちゃってと、苦い笑いを浮かべてやっと顔をこちらに見せてくれた。
「俺は…アラタさんにはなんつうか…普通に元気でいて欲しいって言うか。もう、倒れて欲しくないし。アラタさんらしくしてくれていたら、それで良いかなって」
「真行寺くんがいるじゃない?」
「アラタさんは俺には側にいて欲しくないと思いますよ。それだけは判るんすよ…」
 でも、好きな気持ちはかわらないっすけどね。笑いながら真行寺から零れてくる言葉は、とても真摯であるがゆえに、葉山は、何を言ってやれば良いのか判らなかった。

 好きあっているはずの二人なのに、どうして離れている事を選ぶのだろうか。辛かったり、色々な事があって身体も心もどうにもならなくなりそうな時でも、側で支え合う関係に、どうしてならないのだろう。

 何も言えないでいる葉山に気を遣うように、
「あ、もう消灯っすね。俺、部屋に戻ります」
「うん、僕も戻らなきゃ」
「愚痴言ってすんませんでした」
 真行寺はそう言って頭を下げた後、じゃ、と手を振って部屋に戻って行った。
 


 真行寺は階段を三階まで昇りながら、三洲の事を考えていた。
 遠くからだけなのに、あんなに本当に不機嫌な表情しか見せない三洲なのだ。もう、自分の気持ちはそっと仕舞い込んでおこうと思う。
 真行寺のなにがそんなに負担になっているかなんて、三洲は自分からは決して伝えないだろう。その本当の意味なんて、だから理解できることは、これからもないと思う。
 だからこそ、三洲にこれ以上の負担を掛けたくなかった。自分がその気持ちを汲んでやることくらいしかできない。
 好きだから。
 誰よりも。
 あの人には笑っていてほしい。
 できれば、ご飯もちゃんと食べて元気でいて欲しい。

「なんだかなぁ…」

 ため息だけが零れてしまう。
 こんなに好きなのに。
 いや、こんなに好きだからこそなのかもしれない。
 三洲が距離をとりたいと願っているなら、そうしなければいけない。
 おぼろげではあるけれど、自分が三洲を想うことが自由であるように、三洲が自分を拒絶するのも彼の自由なのだと判ってきたことがある。
 押し付けちゃいけない。
 色々な思いがあっていいのだから、それらを受け入れていかなければいけない。

 強くなりたいと、初めて会った時に切に願った事がある。
 今がその時なのだろうと、真行寺は思った。
 辛い気持に嘘はないのに。こんな気持ち、いつか慣れてくるのだろうか。

 早く、文化祭なんて終わればいいのに。
 文化祭なんて。

 二階から三階への階段に足を掛けた時、270号室の方に目を向けてみる。

「おやすみなさい…」

 小さく囁いて、そのまま階段を上がっていった。






 三洲は、水を買ってくるからと出て行ったまま戻らない葉山のいない部屋で、机に向かって何をする訳でなく頬杖をついていた。
 ふと、呼ばれたような気がして顔をあげた。
 けれど、静かな部屋には物音一つしない。

 馬鹿げている。

 食堂で見かけた真行寺の事が、未だに気なって何も手に着かないなんて。
 しかも、その真行寺に呼ばれたような気にもなってしまうなんて。
 距離を取ることにしたのは自分。
 それなのに。
 離れようとすればするほどに、距離が遠くなればなるほどに、前よりも一層真行寺を想う自分がいる。
 こんなにものめり込んでいたのかと思うと、自分自身のことなのに不思議にさえ思える。物心ついた頃から、いつだって自分のテリトリーの中へは誰も入れさせたことはないのに。
 最初は適度な距離を保っていたはずなのに。
 
 心なんて。
 なんて自由にならないんだろう。

 早く。
 しがらみに塗れた文化祭なんて。
 早く終わってしまえ。

本編から、勝手に寄り道設定な真行寺×三洲です(^^ゞ。
7月13日〜7月31日