サヨナラは言わないまま -3-



 週明けの月曜日。
 今週末には、何かと話題の多い文化祭がある。
 葉山託生より先に270を出て、階段を降りようとした時、久しぶりに剣道部の田原と一緒になった。
「おはよう」
「三洲、久しぶり。おはよう」
「どう?剣道部は文化祭の準備は大丈夫か?」
「まかせて生徒会長。ばっちり」
 親指をたてて田原は、運動部員らしい爽やかな顔で答えた。

 そこに、急ぎ足で降りてきたのは、真行寺だった。
「おはようございますっ!」
 二人の横を通り過ぎる時、ぺこりと頭を下げて挨拶をする。
「おい、ミカドっ」
 踊り場まで降りていた真行寺が振り返る。
「なんすか、部長」
「今日も頑張ってやってくれよ」
 その声にはからかいの色がついていて、三洲は堪らなかった。
「はいっ」
 軽く頭を下げて、真行寺はそのまま降りて行った。

「田原、なんだよ「ミカド」って」
「ああ、あれは真行寺の今のあだ名で…」
 三洲を見ればいつもの柔和な笑顔ではあるけれど、目は笑っていなかった。
「…あー、あれだ、前に先輩に立て着いた事の、今は仮処分中なんだよ」
 三洲は冷えた眼差しで田原を見据えた。
 こんな目をした三洲を見た事がない。それの意味するところが判ってしまい、田原は何も言えなくなる。
「スポーツマンシップって、そうやって陰でいじめる処にあるのか?」
「いや、三洲…そういう訳じゃ…」
「剣道部の事に生徒会は介入しない。だけど田原、おまえ仮にも部長だろ?去年の高林の件に関与してなかったとは言え、だからって今のは真行寺へのは八つ当たりだろうが」
「…判ってるよ…」
 憮然と答える田原。
「あいつが、真行寺が、全く一切弁解も何もしないで、文化祭の演劇の方も俺の言った事も黙々とやってると…自分の嫌な面見せられてるみたいで、余計に…」
「最上級生なんだ、がっかりさせるなよ」
「そうだな…」
「それに「ミカド」ってのも止めろ。みっともない」
「三洲…おまえ…」
「後味が悪いのは去年だけで充分だろ。最後の文化祭なんだから、心残りのようなことはするなよ」
「ああ…」

 三洲は田原と校舎に向かいながら、腹の中が苦くなってくるのをどうしようもなかった。
 真行寺の置かれた立場は噂で聞いていたし、生徒会の方にも懸案事項として上がってきてもいる。
 けれど、ああやって部に出れば悔しい事だらけなのに、真行寺は一切何も言ってこない。元々、そう言う事では弱音は吐かないヤツだと言う事は判っている。
 判っているからこそ、余計に腹立たしい。それこそが八つ当りだと理解して居てもどうにもならなくて。

 受験勉強に本腰を入れたいのに。
 真行寺とは祠堂に居る時だけの夢でしかないのに。
 夏の終わりごろから、だから、少しの未練があっても、離れていけばきっと心もついてくると思っていたのに。
 いつも一緒だった生活から、なのに、いない生活に一向に慣れてくれない自分。

 



 四時間目の物理の授業が終わり、葉山と一緒に食堂に着いた時には、かなり込んでいた。
「葉山、並んでおくから、どこか座れるところの椅子確保していてくれ」
「はいはい」
 列の最後尾に並びながら葉山をみると、端の方の席を見つけてくれたようだ。
 一安心と前を向いた時、目の端に見慣れた影が通り過ぎた。振り返れば、トレイを持った真行寺が席を探している。
 近場のテーブルに落ち着いた時、その横にあの一年生もいた。
 
――― ふん…結構よろしくやってるじゃないか…

 ずっと。もうずっとその身も心もすべてが自分だけに向けられていたのに、簡単なものだったんだなと。その程度のものだったのかと。
 煩いと言い続け、カラダだけの関係だと言い続け、夏は最後の思い出を、だからあいつにやっただけだと自分に言い続け。
 もう終わりにするために。
 それなのに、どうして心が痛むんだろう。その痛みがざらざらとした感触になるのを、どうしてとめられないのだろう。
 

 進まぬ箸を、それでも進めていたら、
「ねえ、三洲くん」
「何、葉山?」
「最近、また痩せた?」
「まさか」
 葉山をみれば、何か言いたげな瞳で見つめられた
「大丈夫だよ。それとも、俺はそんなに柔に見える?」
「ん〜、そう言うんじゃないんだけど、なんか、また無理してるみたいに見えるんだよ」
「葉山、気にしすぎ」
 三洲は可笑しそうに笑った。
「三洲くん…」
「文化祭に体育祭。終われば、生徒会の役員選挙。それが終われば、本格的に受験勉強だろ。こんなところでもたついてなんかいられないよ」
「そうだね、僕よりずっと大変なんだよね。体調管理も大切なんだよね?」
「判ってくれて有難う」
 それでも箸が進まない葉山を見ると、
「真行寺くんが心配してたから…」
「……」
「三洲くん?」
「葉山、真行寺の事は何も言わないでくれるかな」
「…あ、ごめんね、三洲くん」
 それから三洲は何も言わなかった。葉山も、だから何となく居心地の悪さを感じてしまうのだった。



 五時間目は古典の授業だったが図書室での自習になった。
 課題の感想文の為の本を適当に選び、三洲は窓際の席に着いた。
 そこかしこで小さな声は聞こえるが、皆、真面目に課題に取り組んでいるらしい。
 三洲は、何気なく窓の外に目をやった。
 運動場が良く見える。この時間はどこの学年なのだろうか、リレーの授業をしているようだった。

――― あれは…

 見間違いでなければ、二年生だ。
 その瞬間、胸がトクンとなった。
 別にそこに真行寺を見つけたからでもないのに、二年生というだけで知らずに探してしまう。

 ふと、食堂での真行寺を思い出す。
 あいつが、誰と居たっていいじゃないか。誰とよろしくやっていようと関係ないじゃないか。
 あいつが誰を抱きしめようと。



 その夜、三洲はなかなか寝付く事ができなかった。
 ようやく眠りに落ちたころ、夢を見た。

 節くれだっている大きな手。
 頬を撫で、唇に指を這わせてくる。
 その指を口に含むと、まるで大切なものを扱うように抱きしめられる。
 この腕の中は、なんて温かいんだろう。
 

本編から、勝手に寄り道設定な真行寺×三洲です(^^ゞ。
7月13日〜7月31日