今夜は、九月にしては少し冷える。まるで昼間の暑さが嘘みたいに。
見上げた夜空には、数日前には満月だったろうと思われる月が浮かんでいた。
「月に帰るかぐや姫は御門を連れて行ったかな…それとも、付いて行ったのか…」
囁きはほのかに明るい帳の中に消えていく。
正門前の噴水の縁に腰をおろして三洲は、ただぼんやりとしていた。
寮内が騒がしくて落ち着かない。文化祭が終わったのだから、みんなのテンションが高いのは仕方がないと理解していても。
一人きりになりたくて部屋を抜け出した。
昼間行われた講堂での演目は、どれも大盛況だった。
中でも文化部の演劇に出た真行寺は、去年の王子様役で麓の女の子達の間ではかなりの評判だったと聞いていたが、客席から黄色い声が飛び交うほどの人気ぶりだった。
やっとの事で都合をつけた休憩時間に、講堂の一番後ろから見ていても、スポットライトの当っている真行寺は見惚れる程に凛々しかった。
気慣れている袴姿の足裁きや立ち居振る舞いは、その長身も相まって本当によかった。
素直にそう思えた事で、二学期に入ってからモヤモヤとしていたモノが、まるで潮が引く様に身の内から消えていった。
『みっともない真似なんかするなよ』
本当なら、そんな釘を刺さずとも真行寺ならばやり遂げる事は難しくはなっかろう。真っすぐで、馬鹿がつくほどの真面目な性格なのだから。
そんな事が判るから。判りすぎるから。
伝えたい言葉は言えずに心の中に溜まっていく。溜まって、溢れる頃には違う言葉になって真行寺に届けられる。
その事で真行寺が傷つく事も判っているのに。
あいつの想いの上に胡坐をかいて、離れていかないと高をくくって一方的に我儘を押しつけて今まできた。
こんな扱いにくい人間よりも、もっと真行寺を大切に思ってくれる人がもしも出てきたら。
自分だけに向けられていたものが離れていったとしても、それは責められないだろう。
今思えば、真行寺に囚われたのは、きっと初めてあいつの告白を聞いた時だったのかもしれない。
真っすぐな瞳に宿る真っすぐな想い。
それがどんなにか惹き付けられるものなのか、身をもって知った。
好きと言う気持ちを自覚しても、でも、口にしては伝えられない。
よくよく損な性分だと思うが、これが「三洲 新」なのだから仕方ないじゃないか。
手の届かない存在になっていくのなら、先に手を離した方が楽だと思った。
傷を残してしまえば、きっとそれは癒えてはくれないような気がしたから。
唯一癒してくれる手が離れてしまうのだから。
受験勉強を言い訳にして、だから自分から距離を取った。
「滑稽だな…」
こんなに憶病だったなんて。
「…俺は…」
ここのところずっと真行寺の事で、頭の中はいっぱいだった。
こんな時間のこんな場所に誰かが近づいてきていた事にも、だから気がつかなかった。
「アラタさん…」
その声に振り向くと、部屋着に着替えた真行寺がそこにいた。
胸の奥がトクンとはねた。
文化祭の打ち上げは、明日の体育祭の事を考慮して簡素なものだったにも関わらず、文化部の先輩たちや後輩達から、引っ切り無しに労いの言葉をかけられ続けた真行寺は、緊張の糸が切れた事もあってか酷く疲労感を感じてしまっていた。
――― あ〜…一人になりてぇ…
ようやく解放された時はぐったりとしていたが、シャワーを浴びたおかげで、少しは楽になった身体を夜風に当てたくなっても仕方がないというもの。
真行寺は未だ騒がしい寮を後にすると、散歩に出かけた。向かう先は決めていた。
歩きながら、色々な事をぽつぽつ思いだす。
劇の練習はとにかく一生懸命にした。あれなら三洲も何も言わないだろうと思う。遠目に見ても判るくらいに眉間に皺を寄せたような冷たい目でしか見てくれなかったけれど。
「…ずっと不機嫌だったよな…」
そんなに自分と距離を取りたいのかと。そんなに自分は邪魔なのかと。
その事を認めるのは辛かったけれど、でも、思うのだ。
想いは一つだけ。ただただ、三洲の事が好き。
その気持ちは誰に言われたものでもなく強制されたものでもなく、自分自身の嘘偽りのない想いなのだ。もし、三洲から「好きになるな」と言われても、それはできない。
大切にしたい想いだから。
だから、三洲が離れたいと思うのなら。それが三洲の本心だとしたら、それを受けいれる事が、三洲への精一杯の想いやりなのだろう。
「…はぁ…、やだなー、こんなことで経験積みたくないや…」
三洲の事を思わない時は何時だってなかった。剣道部で理不尽な仮処分にも、三洲を思いながら頑張った。
三洲が聞けば、恩着せがましいと言われるのがおちだろうけれど。
そう言えば、去年の文化祭でも三洲は何故か不機嫌だった。
無視はされるは、からかわれるは、おまけにオーロラ姫は癇癪持ちで当り散らされたっけ。
それでも三洲は約束を守って、夜にデートをしてくれた。
真行寺が向かっているのは、あの夜、三洲と一緒にいた正門前の噴水だ。
女々しいのかもしれない。そうは言っても、あの夜の三洲の笑顔は今思い返しても綺麗なものだったから。
――― アラタさん、あんまし見せてくれないから…
思わず、ため息とも苦笑いともつかないものが口から洩れる。
今夜はほのかな月明かりのおかげで、ずっと疲れていた心も癒される気がする。一人きりなのが寂しいけれど。
ようやく目的の処まで来れば先客がいたようで。
噴水の縁に座っているのは。月明かりでも判るあの髪の色の人は。
何か考えるより先に声が出ていた。
「アラタさん…」
振り向いた三洲は、少し驚いたような顔をしていた。
切ない目をしていると思ったら、真行寺は三洲を見つめたまま動けなかった。
本編から、勝手に寄り道設定な真行寺×三洲です(^^ゞ。
7月13日〜7月31日